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たしかに、はじめは私だけが知っている人だった。
私が通っていた小学校は一学年三組あったけれど、うまいことすれ違いで、五年生になるまで私はかなえと同じクラスになったことがなかったから。
きっと、かなえは私という存在を、同じクラスになるまで知らなかったと思う、ずっと前から…低学年の頃から、かなえを見ていた私とは違って。
なんたって私はおとなしい典型的な地味子で、かなえのほうは、いつも友達の中心にいて笑っているようなタイプだったし。
つまり、かなえは自然とまわりから注目が集まる部類の子だったのだ。
だから私も、かなえという子のことを当然の流れとして知っていた。
おしゃれで明るくてかわいい彼女のことを、公園にあつまってわいわいと遊んでいる子供たちの輪のなかの、はしっこの方から、もじもじといつも私は見ていた。
どうせ他人に話したってバカにされるだけだから、今まで誰にも言ったことはないけれど、まわりの子たちが、テレビ画面のむこうのかっこいいアイドルや、クラスにいる素敵な男の子にキャーキャーと騒いでいる時期、私ときたら、校内でたまにすれ違うだけのかなえに、ドキドキと胸を高鳴らせていたのだった。
この感情の正体は、うまく言えないんだけど、女の子としての憧れの気持ちだとか、ファン的なミーハー気分なものだとか、そういうものとは異なるものだったと思う。
誤解を恐れずに言えば、どちらかというと…恋に似ていたのかもしれない。
かなえとは、いったいどういう女の子なのか。
どんな食べ物が好きで嫌いで、どんな教科が得意で苦手で、どんな趣味があって、将来の夢は何かとか、とにかく、かなえのいろんなことが知りたかった。
だから私は、なるべく校内でかなえに出会えるよう、その行動パターンをチェックし(時間割の確認とか、放課後はよくどこで遊ぶかとか)そして彼女を気配を探ったりして(まわりにたくさんの子供たちが集まって騒いでいても、そのなかにいる、かなえの姿を私はパッと見つけ出すことができる) 地味子なりにスリリングで楽しい小学校生活を送っていたのだ。
それが、かなえとクラスがいっしょになるまでの、私のよくある日常だった。
…なんていう言い方をしてみたところで、基本的には五年生、六年生と、はじめてかなえと同じクラスになった私の状況は、以前までとあまり変わらなかったけれど。
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