act.3

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act.3

 それから一週間ほど経った、ある放課後のこと。普段どおりに部活に行くと彼女がいた。  『いた』といっても、もちろん一人ではなかった。新入部員の彼女が一人で部室にいるのはありえないだろうから。まだ部室の鍵だってもらっていないだろうし。  部室にはほかに、部長と、そしてほかに何人かの部員がいて、今日はそれぞれ作業をしていた。  十二月に紅茶の品評会があるのだ。紅茶部といえども、お茶を飲んで、まぁおいしいわね、なんて優雅なことばかりしているわけではない。大体、それでは部活として学校にも認められないだろう。  よって、一ヵ月に一度ほどのペースでなにか催しをする。  文化祭では紅茶専門カフェを開いたし。もう一ヵ月以上前のことだけど。  今回は、来月行われる品評会……新しい茶葉のテイスティングを、部外の一般生徒にも開放して行われる……の準備をしているというわけだ。  茶葉の仕入れだの、普段より多く使う食器の手配だの、使う資料の作成など……やることは多岐にわたる。私も今日の作業は心得ていて、割り振られている紅茶の種類の資料作成をしようとしたのだけど。 「揚羽さん」  部屋の棚から資料のファイルを出したところで、部長に名前を呼ばれた。振り向くと、部長は新入部員の彼女を伴って、にこにこしている。 「今日は資料作成をするのよね」 「はい」  私が単純に肯定すると、部長は彼女を示す。 「鉢谷さんに見学してもらってもいいかしら。紅茶の種類の基本を資料作成ついでに学べるかと思って」 「ああ……そうですね。はい、いいですよ」  部長の言ったことは合理的だったし別段拒否する理由もなかったので、私はそのまま頷いた。紅茶部員として、紅茶の茶葉の種類を知っていることは基礎といえる。少なくともよく出回っているものについてくらいは、知っておいたほうがいい。  私の今日作ろうとしている資料は、まさにそれ。『日本でよく飲まれている紅茶とその茶葉』だった。品評会の、一般生徒向けのリーフレットに載せるのである。  なので新入部員の彼女に勉強させるのにはうってつけということだろう。 「じゃ、お願いするわね」 「はい。……鉢谷さん、だったわね。こっちで作業しましょう」  私は初めて彼女を呼んだ。彼女は初めてこの部室に来たとき見せたような、明るい笑顔を見せて「よろしくお願いします!」と言ってくれた。  部室の一角の机で私と彼女は隣同士座った。このほうが資料がよく見えるのだ。 「私は鏡宮 揚羽。二年B組。よろしくね」  私はまず簡単に自己紹介した。彼女は頷いて「よろしくお願いします」ともう一度言った。 「じゃあ、鉢谷さん……」  言いかけたところで彼女がそれを制した。 「名字でなくていいです」  私はちょっと驚いたけれど、すぐ「わかったわ」と言った。この学校ではそういうことも多い。 「じゃ、舞李さん、でいいかしら」 「はい、鏡宮先輩」  自分で「名前で」と所望した割には私のことは名字で呼んだ。  律儀な子だ。  私はちょっとおかしく思った。 「私があなたを名前で呼ぶなら、私のことも名前がいいわね」 「そうですね。では……揚羽先輩」  私の名前を呼んだ彼女は、笑うと余計に幼く見えた。  それで一応の自己紹介は済んで、資料をめくりはじめた。 「紅茶はどこでもよく飲まれているから、なんとなくは知っているかもしれないけど……」  私の言葉に彼女……舞李は頷く。 「はい、アッサムとかセイロンとか、ダージリンとかならわかりますね」 「そうよね」  確かにそのくらいの知識がなければ、そもそも紅茶部なんて選ばないだろうし。 「それらの中でも、ランクがあるのはどうかしら。例えばファーストフラッシュ……」  私はファイルからそれぞれの資料を抜き出しながら、説明していく。私の説明には、「知ってます」だの「ここはどういう意味ですか」だのと、素直な肯定や質問が返ってきた。ただ頷かれるだけよりもずっと話しやすかったし、説明もしやすかった。後輩として優秀な子になりそうだ、と私は思う。  けれど、感じたのはそればかりでなかった。  隣に座る舞李から、なんだかほの甘いような香りがするような気がしたのだ。  もちろん、女の子なのだから良い香りをまとっていても、なんの不思議もない。たとえば香水とかシャンプーとか……。  思ったけれど、なんだか違うような感じがする。ほかの女の子のよくまとっている、それらとはまるで違う香り。  ちっとも不快なものではなかったけれど。  それどころか心地良い香りともいえた。  これはもしかしたら、初めて顔を見たときに感じた『色』なのかもしれない、と私は思った。  それに思い当たればなんだか当たっているような気がした。  香りは、官能。  隣に座る彼女は、きっちり制服を着たうえにあどけない顔立ちをしていて、少なくとも見た目は色っぽさとはずいぶん遠いのだけど、なにかあるのかもしれない。  ぼんやりと頭の隅で思いながら私は作業と舞李への説明を続けていって……部活の時間はすぐに終わってしまった。
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