act.5

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act.5

 半月が過ぎる頃には、舞李もすっかり部活に馴染んでいた。明るく素直な性格で、先輩の言うことはよく聞き、同級生とも積極的に話しているからだろう。  紅茶の専門的な知識はまだまだであるが、淹れる腕についてはなかなかだった。まぁこの部活の部員は、それが活動であるので並みの女の子よりはるかにうまいのだが……そうはいっても、舞李の腕も『並みの女の子』より少しは上だったといえよう。  舞李いわく、「母がお菓子を作るのが好きで、あわせる紅茶も丁寧に淹れるひとなんです」とのこと。  毎日、部員の誰かがお茶を淹れるのであるが、最近では舞李が部活に慣れるべく、また、より上達するように淹れる日が多くなっていた。それを部員みんなで飲んで、またアドバイスをするのであった。  今日もそのたぐい。そして指導役は私の番だった。  お湯を沸かして、カップをあたためて……。丁寧に手順を辿る。  ティーポットの中の茶葉を蒸らしている間に、舞李が持ってきていた袋からなにかを取り出した。  それは瓶。金色の液体が入っている。  私は一目でわかった。はちみつだ。  でもそれがちょっと不思議だったのは、明らかに市販のものではなかったからだ。素朴なラベルがついていたけれど、家のプリンタで印字したように素っ気ないものだった。 「舞李さん、それははちみつ?」  尋ねると舞李は私を見て、微笑んだ。 「はい」 「どこのもの? あまり売っているように見えないけど……」  しげしげと見てしまった私に舞李は教えてくれた。その様子はちょっと誇らしげで、このはちみつを愛していることがよく伝わってきた。 「祖父が田舎で養蜂をしていまして……ほとんどは卸しているんですけど、近所のひとや身内用にこうして、自宅で処理して瓶に詰めて分けているんです」 「そうなの。……」  なるほど、瓶からハンドメイドというわけね。  私はより興味を覚えて、じっくり見てしまった。  瓶越しのはちみつ。輝かしい金色で艶めかしかった。それに、流通しているものではなく、身近なところで作られたものなど初めて見る。 「今日は紅茶に入れてみたいなと思って……。使っても良いか聞いてみようと持ってきたんです」 「あら、もちろんいいでしょう。私も興味があるわ」  私の『興味』のたぐいについては、もちろん言うつもりはないけれど。  よって私はいつも口実にしていることを言う。 「お砂糖もいいけれど、はちみつもとても紅茶に合うものね」 「そうですね。揚羽先輩は、紅茶に甘いものを入れるのがお好きなんでしたよね」  半月の間、一緒にお茶を飲むことが多かったので、もう舞李も把握していただろう。 「ええ、甘い紅茶が好きなの」  私の言葉に、舞李がふと提案した。 「良かったら少しお味見いかがですか?」  ちょっと驚いたけれど、舞李の言ったことは渡りに船だった。紅茶に入れるのも良いけれど、直接食べるほうがより味わえるし、おいしい。  きっと舞李は、お祖父(じい)さんの作ったという誇りあるはちみつを試してほしいのだろう。  私はそう受け取って、「ではいただこうかしら」といただくことにした。  舞李はそれも持ってきていたらしい、木でできたスプーンを取り上げて、はちみつの瓶の蓋を開けた。  途端、ふわっと香ったはちみつのにおいに私は思わずくらっとしてしまった。  あまりに芳醇だったので。  濃くて芳醇なだけではない。  これは、ああ、そうだ。  これまで舞李から感じていた香り。  舞李のまとっていた香りを十倍にも濃くしたらこんなふうになるのだろう。私の『蜜を食事とする』体質でとらえている、嗅覚とは少し違う香りなのだろうが、大変魅惑的だった。  舞李は私のそんな思考や様子には気付いていないのだろう、瓶からスプーンではちみつをすくった。  スプーンに絡みつき、とろりと瓶の残りのはちみつへ落ちる、ひとすじの金色。  とろり、濃厚な感触が私の肌に落ちてくるようで、ぞくりとした。  見ているだけだというのに、官能すら感じてしまったのだ。あまりに色っぽい。  蜜類を魅力的に感じたことはあっても、これほど強く感じたことはなかった。  垂れる蜜を丁寧に切り、舞李は「どうぞ」とスプーンを差し出してくれた。  私はそこでやっと、はっとする。見入っていた自分にも驚いた。いくら私にとって真の食べ物である蜜であるといっても、こんな感覚。  見ているだけでもこれだけ強く感覚に訴えてきたのに、口に含んだらどうなってしまうのだろう。恐ろしさすら感じつつ、私は黒髪を耳にかけて、そっとスプーンを口に入れた。  予想どおり、私の頭がくらりと揺れた。まだ飲んだことのない、お酒とはこのようなものかもしれない、と思う。  まるで酔ったような酩酊感だった。ただし、大変心地の良いたぐいの。  味は言うまでもなかった。はちみつの原料である花の香りが口いっぱいに広がって、まるで口の中が花畑になってしまったようだった。そして濃度があるのにまろやかで、つるりと喉の奥へ落ちていってしまうような感覚。  飲み下してから、私はしばし呆然としてしまったくらいだ。  これほどおいしい蜜を、私は食べたことがなかった。  極上だ。  私はぼんやりと思った。  はちみつを食べる、ただそれだけのことに、ぽうっとしてしまった私を不思議に思ったのだろう、舞李の声がした。 「あの、揚羽先輩? おくちに合いませんでしたか?」  言われてやっと私は舞李を見た。  目に入ったのは、艶やかな金色。舞李の髪の色。そして髪の色だけでなく、彼女の持つ『色』を表すもの。 「いえ、とてもおいしかったからびっくりしたの」  なんとか言ったけれど、他人から見て、そうおかしな様子ではなかったようだ。少なくとも舞李は私の答えに心配をぬぐわれたどころか、嬉しそうな様子になった。 「そうですか! 自慢のはちみつなんです。そう言ってもらえると嬉しいです」  満面の笑みになる。きっとこのはちみつを作っているというお祖父さんが大好きで、誇りなのだろう。それはとてもかわいらしいことだったけれど。  私はそのあと、このはちみつのことばかりが頭にあった。  完成した紅茶と一緒に舞李が出したはちみつは、部員にも大変好評だった。 「おいしいわ」 「とてもまろやかね」  口々にみんな褒めたけれど、やはり私は上の空だった。  極上のはちみつ。これほどのものは食べたことがなかったし、それに。  人間だったら『お腹がいっぱいで苦しい』という感覚なのだろう。胸がいっぱいになってたまらなかったのだ。  家に帰ってだいぶ冷静になってから、私は考えた。  今日はとても良い体験をした。  美味も過ぎる味だったはちみつの味ばかりが頭を占めていたけれど、ふと香りについて思い当たった。  芳醇なはちみつの香りと、そしてそれを薄めたような舞李の香りである。  あのはちみつが普段から身近にあるゆえに、舞李からあんな香りがしたのだろうか。  私は考えたけれど、わからなかった。  だって「田舎の祖父が」と舞李は言った。舞李の自宅で作っているわけではないのだ。それほどには近しくないのに、香りなんて移るだろうか。  それは現実的ではない気がする。いや、そもそもはちみつの香りなんて、いくら近くにいようとも身に染み入るたぐいのものではないだろう。  私は首をひねるしかないのであった。
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