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act.6
それからしばらくして……困ったことになった。
自宅にストックしてある私の『食糧』、つまり糖類が、味気なく感じるようになってしまったのだ。今まで毎食おいしいおいしいと食べ、感じていたことが嘘のように。
頭に浮かぶのは、舞李にもらったあのひとさじのこと。そして部室で飲む、紅茶入りのはちみつ……ではなく、はちみつ入りの紅茶のこと。
あれから私は「気に入ったわ」と言って、舞李にその瓶を部室に常備してもらうようになっていた。そして紅茶を飲む機会のたびに、入れて『食べる』のだった。満たされるのはそのときだけだ。
手持ちの蜜類でも、お腹は膨れないこともない。食べれば一応おいしくはあるし、お腹も膨れる。
けれど、もう満足感は感じられなかった。
どれを試しても同じだった。あの、カナダから取り寄せた最高級品のメープルシロップですらも、水のように感じた。
よって、私は不審に思われないかためらったけれど、舞李にお願いしてみた。
「あのはちみつが気に入ってしまったのだけど、分けてもらうことはできるかしら」
突然こんなお願いなど、不躾だったかもしれないのに、舞李はむしろ喜んでくれた。
「はい! 気に入っていただけたなら嬉しいです。家にありますから新しいのを持ってきますね」
そして翌日持ってきてくれた。
以前のものよりずっと大きな、手で包めるほどの、中サイズの瓶。
手にして私はごくりと喉を鳴らしてしまいそうになった。おいしくてたまらない、私にとって本当の『食事』が、今ここにある。
「ありがとう。おいくらかしら」
私の言葉に舞李はもじもじとする。
「えっと……、お金をいただいてもいいのでしょうか」
先輩からお金をもらうというのはためらうのだろうが、私とて、タダでもらうつもりはなかった。
「なにを言うの。タダってわけにはいかないわ」
「そう、ですか……。では、申し訳ないですが五百円で……」
言われた値段に私は驚いた。スーパーで売っているものですら千円以上はするというのに。これほど大きな瓶で、しかも中身は極上ときたのに。
「安すぎるわよ。市販品だってもっとするでしょう」
「いえ! こちらも売り物はそうですけど……これは身内向けなので……おじいちゃんもご近所に分けるときはそのくらいで……」
舞李の説明が本当かはわからなかったが、そして私は倍以上の金額を出しても良かったのだが、そう言われているというのに、無理やりそれ以上のお金を押し付けてもきっと恐縮されてしまう。私はお言葉に甘えることにした。
「なんだか悪いわね……なにか、今度お礼をさせてちょうだい」
お財布から取り出した五百円玉を渡しながら私は言ったのだけど、舞李は勢いよく首を振った。
「いえ! いえ! そんな」
ここまではためらいながらだったのに、次の言葉ははっきりとしていた。
「おいしく食べていただければ、それが一番の幸せなので」
にこっと笑った舞李。何故かそのとき、はちみつに似たような舞李の香りが、ふわっと私に届いた。
この極上のはちみつが気に入ってしまったからだろうか。それとも別の理由だろうか。
私はそれに、なんと「おいしそうな香り」などと思ってしまったのである。
そして直後、そんな自分に驚愕した。
おいしそう?
はじめは『どこか色っぽい』と感じていて、それすらちょっとおかしなことだと思うのに、今度は『おいしそう』である。余計にわからなくなってしまう。
ただ、笑ったときさらりと揺れた舞李の金髪が、まるでとろりとした金色のはちみつのように見えたのだった。
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