あめいじんぐ

1/1
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

あめいじんぐ

犯罪予報士ポワ子ちゃん ぷろろーぐ『あめいじんぐ・きゅーしゅつげき』 1  見下ろすと、めまいがするような高さに自分の身体がある。ごくりとつばを飲んで、一歩前に踏み出すと、豪風が身体をあおった。  私の自殺を食い止めるように、その風はごうごうと吹くのである。しかし、私は止める気は無かった。  退けば餓死は歴然である。進めば落下死だが、餓死よりはマシな気がするので、私はそちらを選択することにしたのだった。  普通のサラリーマンがリストラで自殺、そう珍しいことでもない。ぼんやりと考えながら、私は革靴の底でビルの屋上のフェンスを擦った。足はつるりと滑り、中々上に上がれない。  五十代のおっさんには中々きついものがある。  私は必死に自分を奮い立たせて、自殺を受け入れようとしていた。  この街は暖かい、が、相応に冷たい。  暖かい物には暖かいし、冷たい物には冷たい。  私は冷たい方に傾いたようだ。  ふっと、微笑み、フェンスを飛び越えた。  身体が大きく浮き上がり、次に重力に引っ張られてみるみる加速して行く。身体は大の字を描いてみるみる地面に引き寄せられて行く。  半分程過ぎた所で、光が目の前を塞いだ。  曇り空から太陽が顔を出す。  ぶおん、前方から風が巻き起こる。  五十代にしてはふさふさとした髪が更に暴れ出した。  ふんわりとした感触が体中を包んだかと思うと、私の落下は終わっていた。  ひゅるひゅると音を立てながら、私の身体は空を滑空していた。  何が何だか分からない。  花の匂いによく似た、とても心地のいい香りが私の鼻腔をくすぐっている。  何が起こった?  私の自殺は水際で阻止された。  では、どうやって阻止されたのか?  どうやら、三角形の凧のような物――パラグライダーに身体をすくわれたようだった。  私は服の襟をつかまれてぶらりと持ち上げられている。母虎に首根っこをくわえられて運ばれる虎の赤ちゃんに似ていると思う。 「良かった。間に合いましたね」  いい匂いの発信源、私の自殺を食い止めたその子はニコリと笑った。  ぎょっとして上を見るが、彼女が茶色っぽい服と帽子をつけているらしいことしか分からなかった。ついでに、髪は輝くような金髪で、とても長い。二つに束ねて無造作に放り出している。  絡まないのだろうか?  私はそんなどうでもいい懸念を向けた。 「暴れないでくださいね。私、あんまり運転上手じゃないので、二人揃って死にますよ」  私は死にたいんだ。と言おうとしたが、すぐに口を閉じた。  女の子の手はかじかむように震えていた。 「握力の限界です。私の身体に抱きついてください」 「え、いや、しかし」  私はあたふたとした。  パラグライダーがぐるぐると傾いてしまう。 「大丈夫です。お胸が小さいから、劣情を催す心配はありません」  何の心配だよ。  私はとりあえず、彼女の身体につかまることにした。  確かに、お胸は小さそうだった。というか、無かった。  女の子は操縦桿のようなものを握ると、自在にパラグライダーを操って、誰も歩いていない歩道に突っ込んで行く。  三角形の凧のようなものはゆっくりと地面に降下して行く。  女の子は身体を縮めて、両足を地面に接地させるように伸ばした。私の靴と、少女の靴が地面に擦れて、少しゴムが焼けるような匂いがした。  私は少女を振り返った。  華々しい金髪、そして、かの有名な、エルキュールポワロのコスプレだと思われる格好。背の低い女の子だ。もう、幼女と言って差し支えないような年頃の。 「私はポワコット・シャーローン。世界一の名探偵になる女です」  少女は胸を張った。  どこにも冗談は無さそうだった。  本当に誇らしく、そんな無茶なことを言うのだった。 いちわめ 『ふぁんたすてぃっく・せんにゅーそーさ』 1  双葉タワー。  この街の中心にあるタワーである。  樹を模したカラーリングで、絡まるツタのような装飾が為されている。天辺には二枚の葉っぱのオブジェクトが、萌えいづる新芽のように設置されている。  ポワ子ちゃんはそのオブジェクトの前で腕組みをしていた。  屋上は庭園になっており、色とりどりの花や草木が整然と植えられていた。 「自殺するとは何事ですか。恥ずかしくないのですか!」 「だって、生きる意味を見失ってしまったんです。リストラされてしまって。妻子もいないし。もう、五十二歳だし、年金払ってなかったし」 「……ふん、そんなことで自殺するなんて百年早いです!」 「その理屈はおかしい気が」 「とにかくです。犯罪予報士ポワ子の名に賭けて、貴方を自殺させることはしません。文句があるなら言うといいですよ、全部こてんぱんに論破しますから」  何なんだ、この幼女は。  私は遠い目をしながら、今の状況を整理してみることにする。  丸井商事という会社に勤めていた私だが、今日付けを持ってリストラを通告された。一生懸命働いていた積もりなのだが、それでも周りはそうは思ってくれなかったらしい。  私はこの世界にいらない人間なのだ。  そう思うと、私自身がひどく侘しい物のように思えて来た。 「確かに、五十二歳でリストラされれば再就職は難しいかもしれませんが、この屋上で見ている限り、貴方はハローワークなんかを見る気配すら見せませんでしたね」 「な、なぜそれを」 「ずっと見ていました」 「そんなこと、不可能では」 「私は世界一の探偵になる女です。不可能はございません!」  ポワコットさんは、胸を張った。 「ところで、私は貴方を何と呼べばいいんでしょう」 「みんな、私のことはポワ子と呼びます」 「いじめられてないですか?」 「ないです」  ポワ子ちゃんは不思議そうに首をかしげた。  だったら、いいのだが。  そう思っていると、ポワ子ちゃんが口を開く気配がした。  私は口を閉ざした。 「伊木貝探さん、貴方を含む誰かが、あの会社からリストラされるであろうことは、三日目の時点で推理していました。丸井商事はある取引に失敗しており、規模を縮小せざるを得ない状況に陥っています」 「そんなこと、どうして知ってるんだい」 「ふふん、探偵はどんなことだって嗅ぎ付けられるんです。この街は私により二十四時間監視され続けているのです」 「な、何でそんなこと」  いや、それはさすがに嘘だろう。 「私の将来の夢は世界一の名探偵、もう一つは世界征服です! 世界は私の管理下におかれるべきなのです!」  何だか、この子の頭が心配になってきた。  それにしても、背格好の割に達者にしゃべる女の子である。丸い帽子に、黒いスーツ、半ズボン、やはり、エルキュール・ポワロのコスプレなのだろうか。 「じゃあ何で、ポワロなんだい」  世界一と言ったら普通、シャーロック・ホームズだろう。よく知らないけど。 「私の本名がポワコットだからです」 「本名なのっ!?」  仰天して身を乗り出すと、ポワ子ちゃんはこくりとうなずいた。  外国人の名前にしたっておかしいだろう。 「むむ、今、馬鹿にしましたね! ポワコットは親にもらった大事な名前です! 馬鹿にするのは親を馬鹿にされるのと同じこと! 謝ってください。謝れー!」  ポワ子ちゃんは私の胸をぽかぽか叩いた。  年相応に弱々しいパンチである。 「ご、ごめんごめん、悪かったよ」  ポワ子ちゃんがぐずりと鼻をすすった。  その頃にはもう気を取り直したのか、また両手を腰に当てて微笑むのであった。 「ふふん、とにかく自殺するのであれば、一つ提案があります。私と一緒に働きませんか?」  また、何を言い出すのだこの子は。  私は瞬きを繰り返した。  ポワ子ちゃんと来たら、冗談を言っているつもりは微塵も無いようである。 「月給は三万円。三食、寝床付きです。朝は早く、夜は遅い、というか休む時間は無いに等しいですが、とてもホワイトな職場です」 「漆黒だよ! ダークブラックだよ!」 「何が不満なのですか? あ、失礼。ボーナス、昇給は一切ありません」 「不安が増したよ」 「しょうがない、では妥協しましょう。間食支給します。一日三百円まで」 「修学旅行じゃないんだから……」  この子は本当に意味が分からない。  何だか、狐に化かされているような気分である。 「文句言わないでください。私の月給は六万円です。その半分ですよ」 「え……」  それは、文句が言い辛い事実だ。  しかし、それでよく人を雇う気になれたものである。 「では、間食を前払いしましょう」  ポワ子ちゃんは億劫そうに言いながら、双葉タワーのオブジェクトの方へと歩き出した。私はその後ろを付いて行ったが、ポワ子ちゃんがオブジェクトに設置されたドアを開けるのを見て、さすがに付いて行く気が失せた、  ポワ子ちゃんはしばらくして出て来た。その手一杯にうまま棒を抱えている。 「うまま棒三十本です」 「もうちょっとバリエーションを」 「全部違う味です」  ホム子ちゃんはきっぱりと言い切った、確かに、見ると全部違う味だが、そういうことではなくて……。 「甘いもの、とかさ」 「ここに」  ホム子ちゃんはパッケージの一つを取り出して、私に見せた。  うまま棒、ラフランス味。 「これは、下手物系では?」 「いいから、とっとと持って行ってください。処分にこまっ……、食べきれなくて困っていましたから」 「やっぱり、下手物なんだ!」 「ええい、恵んでもらう分際でうるさいですよ。食べるなら食べる、食べないなら持って帰る。どっちかにしてください」 「引き取るのは確定なのかい」  ラフランス味……恐ろしすぎる。  ポワ子ちゃんときたら、頑として譲らない構えなのか、さっきからギュウギュウと私に向かってうまま棒を押し付けて来るのである。 「分かったよ。もらいます」  私は仕方なく全てを抱きかかえると、深くため息を吐いた。 「ふん、ならばよろしい。きょうの分の間食はそれで終わりです。夕ご飯は六時ですから、そのつもりで」 「いや、ここで働く気は別に……」  踵を返しかけていたポワ子ちゃんはさっと振り返った。 「お菓子を受け取った以上は働いてもらいます」 「質の悪い詐欺じゃないかね」 「お仕事の内容をお教えしますから、こっち来てください。早く」
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!