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「これ、きみの?」
低く穏やかな声に由璃子が振り返ると、その声の主は見慣れたハンカチを持っていた。
「さっき、飛んできた」
彼はそう言うと柱の向こうに顎を向けた。
その日は由璃子が屋上に上がった途端にいつもより強い風に煽られ、軽く手で握っていたハンカチが飛んでしまったのだった。柵の下へ落ちてしまったと諦めていたけれど、どうやら彼の足元に引っかかったようで。柱の向こうは由璃子の居場所からは死角になっていて、誰かがそこに居たなんて気づかなかった。……もしかして彼も毎日来ていたのだろうか。
由璃子はそこまで思い巡らせると、はっとして俯いた。
「あの、ごめんなさい」
「なんで謝るの」
「邪魔をしてしまった、から」
「きみもひとりになりたくて毎日ここに来るの?」
「えっ……?」
「ああ、あっちからは見えるんだ、ここ」
「……」
「大丈夫、邪魔じゃないよ。それに安心して。ここに毎日来るのは僕だけ、誰かが来たのは三年目にしてきみが初めてだよ」
——僕もひとりになりたくてここに来たから
そう言って柔らかな笑みを向ける彼は、さらりと風になびく髪に整った顔立ち、優しく穏やかな雰囲気を纏っているのに簡単には近づけないような佇まいを持ち合わせていた。その目はほんの少しの哀を帯びているようでもあり。
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