エピローグ

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エピローグ

今僕は総武線に乗っている。愛しい妻とかわいい娘の待つ家に帰るためだ。トンネルの暗闇を見つめながらあることを思っていた。 江戸川大震災から5年が過ぎ、江戸川トンネルの増設・一方通行化、京成本線と総武線のトンネル化が相次いで成功した。下流の他の橋よりもこの地域の方が優先されたのは、やはり成功したトンネルの存在が大きい。地質的に安定していると判断されたのであろう。 ところで、なぜ僕がトンネル越しで電車に乗っているかって? 江戸川区にあった実家はあの時の地震でつぶれてしまったのだ。同じところに家を建てればいいと思うかもしれないが、僕はすこしでも地震に強いところ、簡単には水没しないところがいいと思った。その上で江戸川が見える場所、川に近いところに住みたいとわがままな思いで考えたのが国府台だった。 古くからある高台で里美公園という憩いの場があり、江戸川を見下ろせるポイントも多く桜の季節は本当に素晴らしい。冬の時期など、天気がよければ富士山を望むこともできる。子育ての環境としては申し分ない。 それに土地も安く手に入ったしね。 じゃあなぜ総武線なのかって? 京成本線の方が近いと思う人も多いだろうが、僕は総武線が好きなのだ。市川駅からバスですぐだしね。あの細い急な道を登るのは歩きだと大変だけど。 これらの判断の元には、祖父のこんな話があったことを思い出す。 例の龍神だが、群馬にいた頃から村人達の守り神として崇(あが)められていたそうな。それが、あの浅間山の大噴火から住民を守れなかったことをとても後悔したらしい。そこで村人達を弔うためにいっしょに川を下り善養寺付近に棲み着いたんだと。ここまでが祖父から聞いた話。 ここからは僕の想像なのだが、龍神はさらなる犠牲者をできるだけ出したくないと思って橋を消したのではないかと思う。 地下の深くで何かの変動が始まっていることに気がつき、橋に頼らない移動手段を僕たちに教えるために、あんな奇妙なことをしたのではないかと。 残念ながら、大地震発生時の橋梁崩落で多数の命が失われたし、その直後の水没や火災での被害も甚大なものになった。しかし、いかに龍神でも地震を止めることはできなかったはず。その中ですこしでも先を見据えてできることをしたのだろう。 もしあの時トンネルがなかったら、流域120万人の経済活動が麻痺して復興にも多大な時間が掛かったであろうことは想像に難くない。 そして今、橋の消失後に人々の期待とともに完成した、国道14号線を結ぶあのトンネルは、誰ともなく 【龍神トンネル】 と呼ばれるようになっている。
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