さらなる復興

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震源は江戸川直下の未発見の活断層だった。中心は京葉道路から新行徳橋の間付近と見られ、新しい技術で作られたはずの都営新宿線もトンネルに浸水しダメになった。江戸川大橋も崩壊し、震度7の揺れと断層のズレによる地形変化、江戸川に発生した大津波などにより下流の橋は全滅した。 また、堤防の決壊も相次ぎ、江戸川区の篠崎から南半分と市川市の京葉道路以南および浦安市は一時的に水面下に沈んだ。とくに浦安の被害は甚大で、全市に渡って発生した液状化現象によって市街地の大半は居住できなくなった。もちろん夢の国も例外ではなく。 しかし、奇跡的なことに江戸川トンネルは無事だった。震源からやや上流だったことや最新の技術が使われていたことがさいわいだったのかもしれない。 人口60万人を超える二つの地域を結ぶものが、京成成田線や新葛飾橋より南に無くなってしまった今、とにかく災害復興の救世主として大活躍することになったのだ。 そして江戸川大震災から学んだ教訓として、川底を通るトンネルの有用性が再確認され、江戸川トンネルのさらなる拡張と、京成本線および総武線のトンネル計画が具体的に動き出したのであった。 もちろん下流の動脈もトンネル化が進むであろうが、すべてが完成するまでにはいったいいくらの予算がかかり、どれだけの年月がかかるのかを想像するだけで気が重くなる。 それまでは江戸川トンネルに頑張ってもらわないといけないなと思うのである。
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