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復興計画
首都圏の大動脈の断絶をこのまま放置しておけるわけもなく、政府は橋の再建設を検討することになった。
作業は困難を極めたが、急ピッチで進められ、異例ともいえる2年半余り経ってようやく完成かと思われたある日、また濃霧が発生した。工事関係者はすべて避難し、橋は無人になった。
そして、霧が晴れたとき、またもや、そこには何も残っていなかったのである。
巨額の税金が無駄になったことで政府を糾弾する声が大きくなったが、それ以上に、この数年に渡る混乱をどうにかして欲しいという要求の方がが大きく、とにかく江戸川を渡る手段の早い確立が求められた。
そんな時、ある人物が気がついたことがある。
「矢切の渡しは平常通りに続けられているのだから、暫定的に渡し船を運行してはどうか?」
これなら橋を再建するよりも予算は少なくてすむし、小型のフェリーなら自動車も載せられるからいいのではないかという声も上がり、さっそく渡し場が建設されることになった。
江戸川の河川敷が広いとはいえ、ターミナル建設や周辺の駐車場建設などは、堤防の強度問題もあり制約が多かった。また、川底の浚渫(しゅんせつ)が必要であったりで、どんなに急いでも完成までには2年あまりが掛かった。
本格的な営業の前に試運転が行われようとしていたとき、またも、例の霧が発生した。最新のGPSを備えているとはいえ、フェリーの運行には支障が出るということで、試運転は中止され、船はターミナルに戻った。
霧が晴れた時、渡し場は跡形もなく消え去っていた。
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