君が為に咲く

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すっと音もなく襖を開けると、ふわりと香る白梅香。 部屋の主人は視線だけを寄越し(かすみ)の姿を認めると、ふわりと花が綻ぶように微笑んだ。 「ああ、ありがとう。」 美しい声が僅かに掠れて、情事の残り香を感じさせる。 霞は少し眉を顰めたものの、直ぐに平静を装って白湯を差し出した。 「…今宵は随分と短い逢瀬で。」 「逢瀬?やめておくれよ、あんな爺。かなり酔っておられたからお帰りいただいたのさ。酔いどれを相手にするよりも、君とお喋りに興じた方が何倍も有意義だ。」 「滅多なことを口になさいませぬよう。月影様。」 月影と呼ばれた青年はくつくつと小さく笑み、真っ赤な煙管に口をつける。 乱れた髪にはだけた着物。 とても見られた姿ではないというのに、月影のそれは高潔な武士のような佇まいであった。 毎夜見る姿だというのに、毎夜感嘆の溜息が溢れる。月影という男は、それほどまでに美しかった。 月影は濡れた艶かしい唇を薄く開いて煙を吐き出すと、開いている方の手を霞の方へすっと差し出した。 「おいで、霞。」 霞はほんの少し躊躇した。 それは、今この瞬間どうしようもない嫌悪を感じているからだ。 理由はわからない。 その類稀な美貌への嫉妬かもしれない。或いは多才な芸への嫉妬なのかもしれない。 雪のように白い肌。 細く綺麗な指先が己の肌を這い、優しい動きで秘めた蕾を愛でる。 「は、ァ……んんッ!ん…」 「ほら、もっと力を抜きなさい。苦しい思いをするのは嫌だろう。」 いつか訪れるだろう客を取る日まで、こうして月影の指南を受けるのがただ嫌なだけなのかもしれない。 誰かに穢されたこの美しい人が、穢されたままの手で自分に触れてくるのが、どうしようもなく嫌だった。
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