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第8話
第8話:伝説の場所。
病院を出てから40日くらい経っただろうか。
私の中の日にちに対する感覚は完全に麻痺していた。
さらに私は奥深い森の中に迷い込んでしまい、抜け道を探してすでに3日以上は経過していた。空腹と疲労のため私は、その場で立ち止まり、大きな木の根っこに寄りかかり、しばらくの間眠ってしまっていた。
目を覚まし、私は再び歩き始めた。空の青色はもうすぐ夜の濃くて暗い青色になりかけていた。
「ん?なんだか花の甘いかおりがするぞ?」
と、私は独り言を呟いていた。冷たいものを感じ、ふと足元を見ると、水溜りがあった。
その水溜りは次第に銀色に輝きだし、みるみるうちに広大な湖となり、その周囲には花々が咲き乱れていた。
『これは現実なのだろうか?それともこの場所が、まさに伝説の中に存在する月の精霊の泉なのであろうか?』
そう考えた次の瞬間、バチン!という左頬に走った衝撃が元で、私はこの場所が現実のものであることに気づいた。
目の前には見覚えのある美しい女性と、もう一人今まで見たことがないくらい神秘的で美しい人が立っていて、その雰囲気から月の精霊の泉の主であると直感した。
見覚えのある美しい女性、それは紛れもなくモルデントであった。モルデントは怒った口調で、しかし目には涙をためて私にこういった。
「モテットのバカッ!今までどれだけあなたを探し回ったと思っているのよ!」
私はモルデントに会えた嬉しさから、思わずモルデントを抱きしめた。
「ち、ちょっと放してよ!私まだ怒っているのよ!解かっているの?」
「ご、ごめん、つい君に会えたのが嬉しくて。」
「もう!家に帰ったら当分の間外出禁止だからね!」
「ゆ、許してくれるのか?」
「私に何も言わずにあんな手紙だけを残して、一人で旅に出たのにそう簡単に許すと思っているの?」
そう言って、モルデントは少し間を置いて、そして話を続けた。
「でも、今度旅に出る時には私も一緒に連れて行ってくれるなら許してあげてもいいわよ。」
その言葉を聞いて、私は再びモルデントを抱きしめた。
「なぜ君はここに?」
その私の問いに答えたのは、モルデントではなく月の精霊の泉の主である月だった。
「あなたがモルデントの元を去り、再び旅に出たのとほぼ時を同じくして、モルデントはあなたを探す旅に出たのです。そして彼女はここにたどり着き、私は彼女の一番大切な願いを叶えました。」
「モルデントの願いは何だったのですか?」
と私は尋ねた。
「それは、この場所で、モテットあなたと今すぐ再会することでした。」
と月は答えた。
「月さんは私の願いを叶えてくれたのよ。」
今ではすっかり言葉を取り戻したモルデントがそういった。
こんなにも私のことを想ってくれている彼女に、私は心から感謝した。
「ありがとう、月さん。こんなすばらしい場所でモルデントに再び廻り合わせてくれて本当に感謝しています。」
と私は、月にありのままの気持ちを伝えた。それに対して月は微笑を返してくれた。
「さて、残るはモテット、あなたの一番大切な願い事ですが、あなたは何を望みますか?」
と月は私に言った。
それに対して私は、
「モルデントに会うために私は、この2ヶ月ほど旅をしてきました。そして今日この場所でモルデントに会うことができました。これ以上望むことはありません。」
と答えた。
それに対して月は、
「それはモルデントの願いであり、もうすでに叶えられた願いなので、あなたの願い事にはなりません。」
といった。
「しかし、これ以上思い浮かぶ願い事がないのです。」
と私は答えた。
「ではこうしましょう。あなたの心の奥にあるひとつの願い。
モテット、あなたの今までの旅のしめくくりとなるもの。
旅をする音楽家なら誰もが願うこと。今からそれを叶えてあげましょう。」
そう月が言って、それからしばらくして、私の視界が揺るぎ始めた。
しばらくの間意識を失っていたのか、気がつくとそこは野外コンサートホールであった。
私はそのステージに立っていた。
左手には魔笛、傍らにはモルデントがいた。やがて人が集まり始めた。
集まってくれた人たちはいずれも見覚えのある人たちばかりであった。
ほとんどの人は旅で出会った人たちだった。
「おや?あのときのぼうやかい?随分立派になったねぇ。」
といつか出会った吟遊詩人。
「よぉ!久しぶりだなモテット!ん?隣にいる美人は誰だい?」
そう言ったのはファルセットだった。
「ふぉっふぉっ、魔笛を大切にしとるか?」
と元魔笛の持ち主である老笛吹き。
気づいてみると、コンサートホールはたくさんの人であふれていた。
見渡すと、その中に母がいた。
そう、私は心の奥でこれを期待していたのかもしれない。私は魔笛を構えて吹き始めた。
アリアに始まり、続いてアルスノヴァ、エールエア
そしてエチュード、
それからパルティータ。
そして、最後は最も心を込めて無言歌。
無言歌を吹き始めると、だれかれなしにハミングが始まった。
それは大きな合唱となって夜空に響き渡った。
私の旅の締めくくり。
月の精霊の泉。
そして大団円。
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