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第1幕
和音の心の旅
第1幕:始まり
それは真っ白で何もない世界から始まった。
そこに怖いものは何もなく、その代わり自分自身の存在もあやふやな世界。
完全に自由だけど、空も星も地面も何もない世界・・・。
全てはここから始まった。
「和音(わおん)・・・和音・・・」
と、どこかで私の名前を呼ぶ声がした。
それはとても懐かしくて、何故かとても安心できる優しい声・・・。
私と同じくらいの声量の女性の声だった。
ここでは場所の感覚も何もない。
でも誰かが私を呼んでいることは確かであった。
私はそこに行かなければならないような、そんな焦りにも似た感情を感じていた。
私はその声の主を探して動き始めた。
ずっとずっと探し続けて・・・。
あれ?
探し始めてからどれくらい経ったのだろう?
ここでは時間の感覚もないから、自分がどこにいて、どれくらいの時間が経ったのかもわからない。
私は少しだけはっきりしてきた意識の中で考えた・・・・。
「一体、ここはどこなのだろう?」
さらに暫く歩くと、学校の教室の入り口のような一つの扉が見えてきた。
恐る恐る扉を開けて、中に入ってみると、そこは懐かしい油絵の具の匂いのする、私が通っていた高校の美術室であった。
私はこの場所が好きだった。よく放課後に、美術の先生に頼み込んでこの場所の鍵を借りて、日が暮れるまで絵を書いていた私のお気に入りの場所だった。
イーゼルにかけられている一枚の書きかけの天使の絵は、当時私が書いていたものであった。
「そうか・・・・。あれから3年経ったんだっけ?」
と、私は独り言をつぶやいた。
でも・・・なんでこんなところに・・・・。
と、懐かしい風景と共に疑問が湧いてきた。
そこに、美術室の扉を開けて誰かが入ってきた、当時の私と同じくらいの女の子であった。
彼女は、私を見つけて、
「ひさしぶりね、和音。まさか私のこと忘れたりなんかしてないわよね?」
と彼女は少しだけ拗ねたような口ぶりで言った。
私と声は似ているけど、私よりもずっと美人でかわいくて、いつでも私の傍にいてくれた大切な親友。
でも暫くはあっていなかったな。
何故だろう?
そんなこともあり、少し申し訳なく感じながらも、
「あたりまえじゃない、わたしがあなたのことを忘れるわけないでしょう?また会えて嬉しいわ、ツキ。」
と私は返答した。
そう、この女の子の名前はツキ。
まだ少し肌寒い4月の夜空に浮かぶ月のように、私にはいつでも優しくて美しくて、そして穏やかな大切な親友である。
ツキは、私の返答を聞き、満面の笑みを浮かべた。
私はツキに今現在の最大の疑問を尋ねた。ツキなら私の疑問に答えてくれる。そう思ったからだ。
「ねぇ・・ツキ、ここは、どこ?」
そう尋ねた瞬間、ツキの表情は曇り、そして、やや時間を置いてからこう答えた。
「ここは何もない世界。だから、誰も、何も傷つかない世界。
苦しいことも悲しいこともない世界。
その代わり、楽しいことや嬉しいこともなく、自分自身さえあやふやな世界。」
と、ツキは教えてくれた。
確かにこの場所には安心感がある。
でも、何故自分がここにいるのか、さっぱりわからないままである。
ツキは私の疑問を察したかのように、
「和音が何故ここにいるのかは、私には説明できない。
ただ、和音がここにこのままずっと居たいのなら、それはそれでいいと思う。
この場所で、一人でいたいと望むなら、私はこの場から消えるわ。
でも、ここから抜け出そうと思うのなら、私は和音の旅の道案内は出来ると思うわ。」
と静かにツキは言った。
自分自身が何故こんな場所に居るのかわからないままだし、ここを離れるのは少しもったいないような気もするけれど、こんな何もないところよりはマシよね?
と考え、私はツキに、
「私と、旅に出て、私を案内してくれる?」
と尋ねた。
するとツキは満面の笑みを浮かべて、
「もっちろん!」
と軽快に答えてくれた。
しかし、次の瞬間、ツキの表情はやや曇り、
「旅は楽しいことばかりじゃないわ。
でも・・でも、それでもきっと、
私の大好きな和音なら乗り切れると思うわ。」
と言った。
私は、何故ツキがそう付け加えたのか、わからなかったが、ツキと一緒ならきっとどうにかうまくいくと感じた。
ツキは、静かに私の手を握り、
「今から移動するから、絶対に私の手を離さないでね。
そして、何があっても、私が良いというまで目を開けちゃだめよ?」
と言った。私はツキに
「うん、わかった。」といい、ツキの言うとおりにした。
暫くして、私の耳に小川のせせらぎの音が流れ込んできた。
「もう、目を開けて良いわよ。」
というツキの声により私は恐る恐る目を開けた。
そこは、幼いころよく遊んだ小川のほとりであった。
夏でも小川の水は冷たくて、小魚がすみ、夏の初めには蛍が舞う場所で、私はその場所が大好きだった。
夏休みには夢中で川遊びをし、冬になると、雪が小川に落ちて消えていく美しさに心が奪われたことを思い出す。
でも、その先にあるあの家には行きたくない。
どうしても行きたくない。
あそこには・・・あそこには・・・どうしても行きたくない。
しかし、そんな私に対して、ツキは、
「ここを通らなくちゃ、次にはいけないの。
ここを通ることが、和音にとって苦しいのは私にもよくわかる。
だって、和音と私はいつでも一緒だったものね。
和音の気持ちはよくわかる。
でも、それでも通らなくちゃいけないのよ
・・・何よりも和音のために・・・。」
と、そういってツキにしては珍しく強引で、恐怖からくる緊張感と共に私の手をぐいっと握り締め、そしてツキと私はその家の中に入っていった。
家の中には住人は居たが、私たちの行動を無視して動作しているように見える。
どうやら彼らには私たちは見えていないようである。
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