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「ちょっと何勝手なことやってるの!」と怒鳴られたその声が、帰ってからもまだ耳に残っている。いつも通り、工場の食堂に入らせてもらってティッシュを配っていたら、いきなりやって来たおばさんに怒鳴られたのだ。「社員がくつろげないでしょう! やめて頂戴!」
マネージャーに来てもらい、総務のえらいひとに話を通してもらってようやく事は収まったけれど、あんな騒ぎを起こしてしまったんじゃ、とてもすぐには顔を出せない。
その晩だった。誰かが泣いている声で目が覚めた。ダンボールの前で、うずくまっている人影が見える。
「シュンヤ……くん?」
電気をつけなくても不思議と彼の姿はよく、見えた。彼が左耳につけているピアスが、何かに反射したわけでもないのに光っている。
「君も僕たちのファンをやめちゃうの?」
「……そうね、ごめんなさい」
「それはやっぱり、僕のせい?」
答えることができなかった。それは半分正しくて、半分間違っていたから。もし全部正しかったなら躊躇いなく「うん」と言えただろうし、完全に間違っていたとしても、逆にひらきなおって肯定していた。
「どうしても、ファンでいてくれることは難しい?」
「……ごめんなさい」
そのときベランダの窓を覆うカーテンがふわり、と膨らんだかと思うと、その膨らみからもうひとりの影が現れた。ひょろりとしたシルエットからすぐに、ユキヒトくんであることが分かった。
「泣くなよシュンヤ、ファンなんてのは身勝手で残酷なイキモノだって分かってたはずだろ」
グループを陰と陽に分けるなら、彼らは陰の方に属するタイプだ。鋭い感受性を持っているのはふたりとも同じ。でもシュンヤくんは内に秘めるタイプで、ユキヒトくんは攻撃的になるタイプ。
「皆、裏切る。掌を返すためにちやほやする、持ち上げるために叩き落とす。もうこんなのうんざりだ!」
そう叫ぶとシュンヤくんはストールを首に巻きつけ、先端をカーテンレールに引っかけた。
やめて、何するの!
だけど何故か声が出ない。
止めなきゃいけない。なのに相棒の異変に気づいているのかいないのか、ユキヒトくんの視線は凪子に固定されたままだった。
ぶらぶら揺れている、シュンヤくんの足。
助けないと、早く。
それなのにユキヒトくんは、凪子の方に歩み寄る。どこを見ているのか分からない目で。そして両手を伸ばしてくる。伸ばされた手は凪子の……首。
首をぎりぎりと締め上げられる。必死になって抵抗した。決して届かない距離じゃないはずなのに、何故か凪子の足は空を切る。ぎりぎりと食い込んでくる指を一本でも剥がそうと思うのに、どうやってもユキヒトくんの手にふれている感触がない。それなのに首に感じるユキヒトくんの熱はひしひしと、次第にじっとりと汗ばんでいっている様子まではっきり、分かる。
「どうせ俺たちのことを見てくれないのなら、いてもいなくても同じだろ」
そう、ユキヒトくんは呟く。
そんなこと言ったって……
裏切ったのはあなたたちの方が先じゃないの。
ユキヒトくんとシュンヤくんは公私ともに仲がいいことで有名だった。ふたりで一緒にサーフィンをしたり、乗馬をしたりといった写真がファンサイトにによくアップされた。キャバクラなんかにも、一緒に行っていたらしい。もちろんこれはファンサイトにアップできない。そのときの音声が……乱痴気騒ぎの挙げ句、賭け麻雀をしていたときの音声が……どういうわけか流出した。その場に居合わせたグラドルが週刊誌に売ったのではないかと専らの噂で、ふたりは今、揃って謹慎処分中、の、はずだ。
なのに……こんなことしちゃ駄目でしょ。流石に人殺ししたら謹慎どころじゃすまないでしょ。
自分が殺されるかもしれないというのに、おかしい、何でこんなこと考えているんだろう。夢を見ている最中なのに、ああこれは夢だ、と分かるなんて。
……ああ、シュンヤくんの身体の動きが止まりかけている。何やってるの、ユキヒトくん、あなたが関心を寄せなくてはならないのは私なんかじゃないのよ、と、何とか訴えようとしたが、とても届きそうにないことだけは分かる。
さよなら、と、ユキヒトくんの唇が動く。
何に対するさよなら、かと考えているうちに、朝が来た。
そっと首に手をやる。
絞められた跡も、違和感も、何もなかった。
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