博人の四月①

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博人の四月①

 遠足前夜とは違う緊張感がある。けど、遠足みたいにワクワクの方が大きいかな。  ふとリビングの父親を見ると明日着るスーツを用意していた。  「父さん、じゃあ、俺、もう風呂に入るよ。寝坊したくないし」  中学の入学式に遅刻したら、後々までネタにされちまう。  「いや、博人(はくと)、ちょっと待ってくれるか。話がある」  「なにー?」  「そこに座ってくれ」  父さんはソファではなく絨毯の上に正座したので、俺も向かい合って正座した。  急に何なんだ。  「お前に言っていないことがある。早めに伝えるようにと華奈さんには言われていたんだが」  華奈さんというのは、父さんの恋人の名だ。  俺の母さんは俺が三歳のときに病気で亡くなった。以来、じいちゃんばあちゃんがちょくちょくうちに来てくれて、父さんは働きながら俺を育ててくれた。  母さんの記憶のない俺は童話やアニメに出てくる「お母さん」からぼんやりと母親像を作り上げていった。家事がテキパキできて、ボロい服を着ていて、とても優しいお母さん。  …参考にした作品が偏り過ぎていたかもしれないと、自分でも思うけど。  それが、急展開を迎えたのは俺が小学六年生になった頃。父さんから恋人の存在を打ち明けられて、俺も交えて会うようになった。  華奈さんはごくごく普通の人だった。おっとりしていて、作ってくれた料理はどれも美味しくて、毛玉のできたセーターでも着ていて、とても優しかった。  空想じゃない生身の「お母さん」を前にして、「思っていた感じと違う」と困惑したけれど、心がじんわりと温かくなったんだ。  それにしても、父さんはなかなか続きを話し出そうとしない。  「で、なんなの。改まって。早く風呂に入りたいんだけど」  「じゃ、じゃあ、簡潔に言うぞ」  「っおお」  そう言われると少し怖いような気がする。  父さんは思い切り息を吸い込んでから、一思いに言った。  「有理花ちゃんとお前は同じ中学だ!」  「…はぁ」  「よし!風呂に入ってこい!」  顔を真っ赤にしてうつむく父さんは腕だけをビシッと伸ばして風呂場を指差した。  俺はそのままゆっくり立って風呂場へ行く。ほんの僅かの正座だから足はしびれていない。なのに、どこかがしびれていた。  俺は熱い湯船につかって、先ほど父さんが言ったことについて考えてみる。  華奈さんに俺と同い年の女の子がいるのは知っていた。シングルマザーになった経緯も聞いたし、結婚する気はないけど精神的なパートナーとしてお互いが必要なんだと聞いた。  だから、別に有理花ちゃんと俺が同じ中学校に通っていても問題はないんじゃないかな?  でも、ひょっとしたら同じクラスになるかもなぁ。  実は有理花ちゃんはお母さんと俺の父さんの交際を知らない。父さんが交際を明かすことを渋っているのだ。  あ、それ、ちょっと面倒だよな。バレたら困るんだよな。  あんまり有理花ちゃんと話さなきゃいいか。おんなじクラスになっても?隣の席でも?  んんんんー!?これ、かなり面倒じゃん!?  親父、なにしてくれてんの!?  まずい、考えすぎたら眠れなくなる。  俺は湯船から出ると、もちもちの泡を作って体を洗った。  何も聞かなかったことにしよう。すっかり忘れてしまえば、なにも困らない。  俺は泡を流しながら、さっきの父さんの話も聞き流すことに決めた。  大人って怖ええええええ。  入学式の日、中学の玄関で華奈さんと有理花ちゃんとバッタリ会ってしまった。  俺は初めて会う有理花ちゃんのことが気になってしかたなかったけれど、華奈さんも父さんも全くの他人然としてチラリとも見ない!  当たり前といえばそうなんだけど。  以前に写真で見せてもらった通り、有理花ちゃんは華奈さんに似てる。白い肌につやつやの黒髪。ついこの前まで小学生だったとは思えないほどの大人びた雰囲気。  いやいや、俺も知らないふりしないと!  クラス分けを見たら、俺は4組。有理花ちゃんは2組だった。  良かったー。変に気を遣わなくて済む。  そうと決まれば、早速、楽しそうな奴と仲良くなろうっと!  俺は緊張と期待が入り混じった教室へ入った。黒板に描かれた桜の花に、光が射している。  そうそう、この感じ。楽しい中学校生活が待ってるんだ!  俺の席は…っと。  俺の後ろの席には既に生徒が座っていた。刈り上げられた短髪に、すっきりと整った顔。学ラン姿が似合っている。  寡黙な感じがするのに、なんか惹かれる。  俺から声をかけた。  「これから、よろしくな」  「…ああ、よろしく」  少し驚いたみたいだけど、しっかり返事をしてくれた。名札を見ると「真田」と書いてある。  「かっこいい名字だな」  俺はつい口に出していた。なにせ、俺の名字は…。  「佐藤…なんて言うんだ?」  真田は聞いた。  「佐藤博人だ。真田は?」  「圭吾(けいご)」  「下の名前もかっこいいのかよ!」  「いや、博人もかっこいいだろ」  圭吾は笑うと途端にかわいくなった。良い仲間になれそうな気がする。  俺の中学校生活は幸先が良いぞー!
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