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有理花の四月①
エアメールが届いた。
香津からのポストカードだ。
春の陽気に包まれているのに、雪上を歩くカナダオオヤマネコを見るのは不思議な気分だった。
なんで、今、このカード?
カナダだって春でしょーに。
カナダオオヤマネコは物言いたげな表情のまま、黙って私を見上げている。
裏返すと、年齢の割には大人びた、いつもの字があった。ただ、内容はといえば、昨日の交換日記アプリに書いてあったものと同じ。
『中学で素敵な男の子がいたらいいね!絶対、教えてよ!』
何のためのポストカードなんだか。
私が居間でため息をつくと、台所から母の声がした。
「香津ちゃんもお年頃ね。香津ちゃんにはいないのかしら、素敵な男の子」
母は今日、偶然にも代休なのだ。本来なら、見られずに済んだポストカードの内容を読まれてしまっている。
「恋することは大事よね。いろんな男の子を見なさいよ。じゃないと、お母さんみたいに選択肢なくしちゃうんだから」
母は相変わらず包丁を動かしている。壁を向いているのに、私がポストカードを手に取っているとどうしてわかるんだろう?
その一方で、私がこの話をしたくないのはわからないんだなぁ。
「香津の中学は小学校からメンバーが変わらないからつまらないんだって」
私はそう言い捨てて自分の部屋に入った。
壁のカレンダーは自動車会社のものだ。母がどこからかもらってきた。車に興味はないけれど、スケジュールを書く余白が大きいので気に入っている。
8日 入学式
私はあと数日で中学生になる。
ピンクのペンで桜の花まで書いてしまったけれど、憂鬱だ。
新しい出会いとか、素敵な男の子とかどうでもいい。
初対面、初めての環境、面倒くさくて胃がキリキリする。私だけがポツンッと一人で席に着いている姿が目に見えるよう。
みんなはどうして上手くやれるんだろう。どうして私は上手くやれないんだろう。
ああ!
ベッドにダイブした途端、スマホが鳴った。
香津からだ。
『10分後に鏡の世界で会わない?』
私は即座に返信した。
「今日、親が家にいるの。明日は?」
『渡したいものがあるの。それだけ。5分もかからないよ』
もうっ。狭いアパート暮らしのプライバシーの無さを香津はわかってない。それでも、私はしぶしぶOKした。
なんだろう?それなら、エアメールも直接渡せばいいんじゃないのかなぁ?でも、嬉しいけどね。突然のお便りって。
10分もしないうちに、私の部屋の空中からにゅっと手が伸びてきた。香津の手はいつも深緑の匂いがした。その匂いで親にバレないかと当初はヒヤヒヤしたものだったけれど、母は何も言ってこない。
私は香津の手を取った。前に進むと、周囲の景色はガラリと変わった。
ガラスのような鏡のようなキラキラした壁面。天井も床も同じように透き通っているのに、先が見えない。映すのは私と香津だけ。
目の前の香津はにっこり笑った。
私が微笑み返すと香津は私の手を離して、ポケットから緑の楓の葉を出した。
それは、本物ではなくツルツルの包装紙で折られた楓の葉だった。
「有理花に渡しておきたくって。楓の花言葉って知ってる?」
「木にも花言葉ってあるの?」
「楓だって花咲くよ。花言葉は「美しい変化」「調和」。今の有理花に必要な言葉だと思って。新しい環境は苦手でしょ?有理花なら大丈夫だから。これお守りにして」
「ありがとう」
私がそう言い終えるなり、香津は鏡の世界から私の部屋に腕を出した。
本当にすぐ終わるのね。
私だけでは、鏡の世界と元居た世界を行き来できない。香津に導かれて私は自分の部屋に戻った。
「お昼出来たよ」
母の声がした。
「はーい!」
あと少し遅かったらマズかった。香津ってば、無茶をするんだから。
でも、なんだかんだと私を気遣ってくれるところはさすが親友だと思う。マイペースに見えて、香津は私をよくわかってるのだ。
私はもらった楓の葉を勉強机に置いて、居間へ向かった。
入学式は無難に終わった。そんなもんだろう。
問題はその後だ。こちらの気持ちなどお構いなしに中学校生活が始まって行く。
同じクラスに仲の良い子がいた女子は早速盛り上がっているけれど、他の子はまだお互いに様子を見てる。こういうとき、男子は良いなぁと思う。なんだか色々スムーズだ。
そうこうしているうちに、私の前に座っている子、戸塚さんと話をするようになった。ボリュームのあるショートヘアに丸縁メガネが小動物のようでかわいい。体育で抜群の運動神経を発揮している姿を見ると、なおさらそう思った。
私は夕食を終えるとスマホで香津に報告した。
「戸塚さんというかわいい子と仲良くなったよ。トッツーって呼んでるの。私のことは中ちゃんって呼んでくれるようになったよ。人見知りの私が、こんなすぐに仲良くなれるなんて、すごく嬉しい!」
『違うでしょ!』
香津の怒りは早かった。
『私が待っているのは素敵な男の子の報告だよ!』
「そんなすぐに素敵な男の子なんて見つからないよ。時間が経ってわかることじゃない?」
『時間をかけてると他の女に取られるよ』
「そうなの!?」
『ワーキングホリデーで来るお姉さま方がよく言ってる』
だろうね。…わかっていたけど、香津の実体験じゃない。
香津が住む地域は自然が豊かな場所で、大自然を楽しみたい外国人が観光施設で働きながら滞在することがよくあるそう。そこで香津はしっかりと耳年増になっていた。
『一人ぐらいいるでしょ!目を引く男の子が!女子がキャーキャー言って集まるような男の子が!』
「いや、そんなかっこいい子いないよ」
『有理花のクラスじゃなくても学年全体で!』
「ああ、真田君かっこいいって言ってる女の子がいた。別のクラスなんだよね」
『真田、真田ねぇ』
香津は小学校一年生のときに、お父さんの仕事の都合でカナダに転校して行ったのだ。それまで、香津とべったり一緒だった私はワーワー泣いて途方に暮れたけれど、手紙やメール、ここ数年はアプリを使って、ずっと親友でいる。今では、鏡の世界もあるし、遠くに住んでいても友情って深められる。
そういうわけで、小学校時代に同じクラスだった真田君のことは香津も覚えているのだ。
『真田は可もなく不可もなくだわ。昔はやんちゃだったけど、今、硬派な感じになってるのも予想つく。ただ、有理花にとってどうなのかって言うのはなんとも。悪くはないけど、他の選択肢が欲しいところだわ』
選択肢って何。
母もその言葉を使うけれど、恋って基本そんなに選べるもんなの?クラスで会話できる友達を一人見つけて喜んでいる私からすると、その世界は遠すぎる。
そして、なぜか香津の中で真田君の評価は昔から高くない。真面目で良い人だと思うけど?こんな上から目線でバサバサ切られていて気の毒だよ。
「その真田君とよく一緒にいる佐藤君っていう子がかっこいいらしくって、その二人が並んでると目の保養になるっていう話だよ」
休み時間にクラスの女の子たちがそう騒いでいた。
『それ!それだよ、私が求めていたのは!で、どうなの?』
「どうって?」
『その佐藤君って有理花から見てもかっこいいの?』
「まだ見てない」
『おバカーーーーーーーーーーーーーーー』
なんでよ。
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