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プロローグ
我を失った人たちが、漂う蒸気の中から襲い掛かってきます。
全員、目は正気を失い、恍惚の表情を浮かべていました。
その姿は、薬や荒れる感情の果てに思考を失ったというよりは、まるで糸で操られた人形のようでした。
労働者が鉄パイプを握り、私の頭上を狙って振り落とし、帝国兵は白く輝く刃を放つ光の剣で斬りかかってくるのです。
彼らは操られていました。
自分の意思を砕かれ、完全に魅了されていたのです。
それは、ある女が不思議な力を使って、この工業街ホイールウェイに居るすべての人間を洗脳したからに他ありません。
もうこの街には、まともな人間は数えるくらいしか残ってはいないのです。
私は、たとえ独りだろうと彼らを止めねばなりません。
自分の罪を償うため……いや、私たちが愛したこの歯車の街を守るために――。
鉄パイプを避けても、すぐに次の攻撃が飛んできました。
それを左右に握った2本の刀で振り払りましたが、死角から光の刃を突かれてしまいます。
すぐに反撃し、相手をなぎ倒しましたが、刃が肩を掠めました。
避けても払っても、何人の相手の動きを止めても、それは砂漠に水を撒くようなものでした。
運良く傷は浅かったです。
ですが、このままでは……。
石畳の道に片膝をつき、囲まれた私は死を覚悟しました。
殺されるだろうと思いましたが、不思議と後悔はないです。
おそらくですが、私は死にたかったんだと思います。
だから、街のためを思っていた自分にとって、この死に場所こそが相応しい……。
そう――俯きながら思いました。
ああ、ブレイブ……もうすぐあなたに会える……。
そして、ごめんなさい、子供たち……母親として何もしてやれなくて……。
――そのときでした。
囲まれていた私の目の前に、深い青色の軍服を着た少女が現れたのです。
そして機械の右腕から電撃を放ち、正気を失った人間たちを一掃しました。
私は訊ねました。
どうして助けに来たのかを――。
その機械の右腕を持った少女は、無愛想に言葉を返してきます。
「大事……仲間は大事」
ポツリと呟いた少女は、1人で狂気の渦へと飛び込んでいきます。
私には、その行動が理解ができませんでした。
何故なら、彼女と私はまだ出会ってから日が浅いのです。
それなのにどうして、彼女は私などのために命を懸けるのでしょうか。
理解できず、涙が溢れてきます。
ですが……まだ頭の中が混乱していても、たとえ情けない泣き顔をさらそうとも――。
身を挺して守ってくれた彼女の気持ちに報いらねばなりません。
私は立ち上がって、自分を奮い立たせました。
「お願い、リトルたち……私に力を」
瞳を閉じて、両手に持った2本の刀に思いを込めます。
それに答えてくれるかように、刀が妖気を帯びていきます。
どうやらすでに諦めていた私も、まだ戦えるようでした。
それは、彼女のおかげとしか言いようがありません。
そのとき――。
地面に落ちていた割れたガラスの破片に気がつきました。
そこに映る私の顔は、穏やかな笑みを浮かべています。
こんな状況で何故私は笑っているのでしょうか。
不謹慎極まりないにも程があります。
ですが……私は嬉しかったのです。
彼女が来てくれたことが……。
「私はクリア·ベルサウンド……。亡き夫ブレイブ·ベルサウンドの魂のやすらぎのため、そして友であるアン·テネシーグレッチの思いに応えるために……参りますッ!」
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