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女の子が警官たちとともに去っていき、一息ついた郁は、もう夜もすっかり深まっていることに気が付いた。
何か今日はいろんなことが起こる日だなぁ‥‥と思っていると、後ろから、急に男の声がした。
「‥‥いやぁ、大変でしたねぇ。でも、あの女の子も無事で本当に良かった」
驚いて振り返ると、男の確保に協力し、警察に通報してくれたメガネの男性が、ニコニコしながら立っていた。
(そ‥‥‥‥そうだ、今の今まで、この人の存在忘れてた!!)
警察が来てからは、お互いにバタバタしていたので、手伝ってくれたお礼を言う暇もなかった。
郁は慌てて男性に近付き、頭を下げる。
「あっ‥‥あの、すみません、さっきは本当にありがとうございました!お礼が遅くなって‥‥」
「いえいえ、私は何もしていませんから」
そう言って首を振る男性は、よく見たらとても人目を引く外見をしていた。
身長はパッと見、180cm以上。すらりと細いものの、骨格はしっかりしていて、品の良い半袖シャツから見える腕は、よく鍛えられているように見えた。
短髪ながら綺麗に整えられた黒髪や、どこか優雅さを感じさせる所作は、高級ホテルのホテルマンを思わせる。
メガネの奥の瞳は、優しく細められているけれど、何を考えているのかわからないような、底知れなさも感じられた。
(‥‥なんか、芸能人みたい‥‥何してる人なんだろ、)
そんな平凡な感想を抱きつつ、「変な人もいるものですねぇ」「ホントですね、この辺りは治安も良いと思ってたのに‥‥」など、当たり障りない世間話を交わす。
なんだか別れ際がわからなくなってしまったな、と思っていると、その男性は突然、改まった様子で切り出した。
「‥‥ところで貴方、失礼ですが、大学生‥‥でしょうか。おいくつかな?ご職業は?」
急に個人的なことを聞かれて動揺しつつも、「あっ、えっと、20歳です‥‥」と答える。
「職業‥‥は、そこのお菓子工場で働いてたんですけど、工場が潰れちゃって‥‥」
「あぁ‥‥そこの焼き菓子店のですか、それは災難でしたね。では今は無職‥‥と」
無職、と改めて言葉にされると、胸にグサリと刺さるものを感じつつ、「はぁ、まぁ、そうですね‥‥」と、かろうじて返事をした。
すると男性は、顎に手を当て、「‥‥成程。少し若いけど、悪くはない」と、一人でぶつぶつ何かつぶやき始めた。
「‥‥あの、何か‥‥?」
「いや、失礼。‥‥こうしてお会いしたのも何かの縁でしょう。突然ですが、良ければ貴方、うちの店で働いてみる気はありませんか?」
突然の提案に、郁は思わず目をしばたかせた。
――――え、仕事をくれるってこと?それは願ってもないことだけど、「うちの店」って、一体何の―――――。
驚きのあまり、何も答えられずにいると、男性はニッコリと微笑んで、言葉を続けた。
「この近くに店があるので、良ければ見に来て頂けませんか。‥‥あぁ、もし怪しいと思えば、すぐに帰って頂いて構いませんから」
穏やかながら、どこか押しの強い口調に、郁は頷かざるをえなかった。
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