番外編「Hear My Voice」act.06

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番外編「Hear My Voice」act.06

 マリーはいそいそとパーティーの準備を整えていた。  たくさん人が入れるように、邪魔になりそうなものは玄関のクローゼットに仕舞って、代わりに出してきた折り畳み式のイスを広いテラスに並べる。  マリーは高級宝飾品販売店のバイヤーをしている手前、華々しい業界の友人も多く、パーティーに呼ばれることも呼ぶことも多かった。  アメリカでは、若い時分からよくパーティーを行う。  典型的なバースデイパーティーからサプライズパーティー、新築記念のパーティーなどなど、その種類を数え上げたら切りがないが、その他にもただ友人達と週末に気軽に盛り上がれるような類のパーティーも多く開かれる。クラブを借り切ってバカ騒ぎすることもあるし、今日みたいに誰かの自宅を会場にする場合もある。  経済的にも裕福で、自分達をハイクラスな人間だと自負しているマリー達のグループは、友人達同士のパーティーと言えども手を抜くことはなかった。  おしゃれなオードブルや食事も専門のケータリング業者にセッティング込みで発注し、酒も気軽に飲めるものから高級なものまで揃え、バーテンダーも完備だ。  もちろんお楽しみも忘れていない。知り合いのDJにお願いして、最高にトランスできる音楽を取りそろえてもらう。  週末のパーティーは友人同士を紹介する重要な社交の場であると同時に、自分のセンスを試される場でもあるのだ。  皆、最初はスマートな顔つきでパーティーに参加するが、大抵中盤になるとギラギラした顔つきで、異性の視線や身体つきをサーチングすることになる。  ようは、裕福なシングル達の集団お見合いみたいなものだ。  男性はもちろんのこと、女性も皆経済的に自立していて、地位も名誉も保障されているが、やはりシングルでは寂しい、ということだろう。  実はマリーはバツいちで、当分男はこりごりだと思っていた。  そのせいで、マリーの住んでいるフラットでパーティーを開くことは少なくなっていたが、最近になって少し事情が変わった。  本日のパーティーは、マリーの家での開催じゃないと意味がない。  それは、マリーの部屋の向かいに、ニューフェイスが引っ越してきたせいだ。  マリー自身はパーティーなど開くつもりがなかったが、友人達にその話をした途端、やらざるを得ない状況になってしまった。  皆、マリーの向かいに越してきた『シュガー』を一目見たいと思っているのだ。  元々、マリーの向かいには『サムライ』が住んでいた。  もちろん、いまだにサムライはそこに住んでいるが、そこに五日ほど前、彼の友人であるシュガーが転がり込んできた。  サムライは日本人で、以前マリーの友達のジェニーが遊びに来た時に、玄関先で遭遇したことがある。『サムライ』というあだ名は、ジェニーがつけた。  背が高くて、逞しい身体つき。そして顔つきはエキゾチックで精悍なハンサム。しかも笑顔もキュートで、流暢な英語を話す声も腰に来る。  ジェニーがサムライとあだ名を付けた後も、サムライを鑑賞しに様々な女友達がマリーの家を訪れた。その度にサムライ、サムライと仲間内に盛り上がったのだが、彼の年齢がマリーやジェニーより些か年上で、なかなか気軽にお招きするまでには至らなかった。それになにせ、彼の左手の薬指には、ガッチリと指輪が填められてあったし。  きっと遠距離婚をしてるに違いない。  皆はそう結論を出した。  そして『シュガー』である。  サムライの友人と名乗った『シュガー』は、サムライより随分年下だ。きっと二十代前半ぐらいだろう。そんな彼がサムライの友人であることに些か違和感を感じたのだが、自宅で同居が許されるぐらいなのだから、相当仲はいいのだと思う。  『シュガー』は、マリーがつけたあだ名だ。  最初に笑顔を見た時にそう思った。  丁度マリーがたまっていた有給を消化するために休んでいた日、偶然シュガーが引っ越ししてくるところに遭遇した。  キャップを被っていたので全体の雰囲気はよくわからなかったが、大きな瞳をしていて、口元は爽やかだった。男らしく無精ひげを蓄えていたが、若くて甘いルックスとそのひげが何ともアンバランスかつセクシーに見えて、好感が持てた。  そして、別れ際に彼が見せた笑顔といったら。  本当に、甘くてとろけそうな砂糖菓子のような笑顔。  だから『シュガー』とあだ名をつけた。  その話をマリーが友人達にすると、彼女達はいてもたってもいられなくなった。  かといって大勢で乗り込む訳にもいかないし、こうなったらパーティーと称して彼を鑑賞する会を開こうということになった。  女性は誰しも、年齢に関係なく、美しい殿方はぜひとも生で鑑賞したいと思うものだ。それは、男性が美女に見惚れる感覚と全く同じである。できるなら女も、いい男を拝みたい。  シュガーはまだ若いし、きっとパーティーも好きだろう。  うまいことすれば、彼を誘うことでサムライもくっついてくるかもしれない。そうなれば、一石二鳥だ。  今日のパーティーは、二人に怪しまれないように通常のパーティーと同じようにした。  つまり女性ばかりではなく、普通に男性客もいるパーティーだ。  恋人がいる友人にも声をかけ、カップルも何組か招待しているから、ごくごく自然なパーティーに見えるだろう。たとえその本当の目的が、女共の『シュガー鑑賞会』であったとしても。  後は、業者の宅配が来てセッティングしてもらうだけの状態になったところで、マリーは向かいのドアのチャイムを鳴らした。  仕事でいつも忙しそうなサムライに比べ、シュガーは平日でも比較的昼間に家にいることが多いことは既にリサーチ済みだ。今日みたいな金曜の昼間なら、確実だろう。  案の定、ガチャリとドアが開く。 「Hi」  ドアの向こうから、シュガーの笑顔が現れた。  今日は大きな白のバンダナを頭に巻いている。掃除中だったのか、オーバーオールに白のTシャツそしてゴム手袋という格好をしていた。そんな格好でも堪らなくキュートだ。  引っ越しの時は無精ひげにキャップを目深に被っていたから顔がよく見えなかったが、今日のシュガーは無精ひげもキレイに剃っていて、最初に会った時より若々しく見えた。ひげのない顔も、マリーが思っていた通り美しい。しかしひげのないシュガーの顔をまじまじと見て、マリーは心の中で眉間に皺を寄せた。  ── あれ? この顔、どこかで見たような気がするんだけど、どこだったかしら?  間近に三十が迫ってきたせいか、最近物忘れが酷くなってきた。マリーの顧客にはいそうにもない感じだったので、絶対に違う。それでも最近このフラット以外の場所で見たような気がするのに、ちっとも思い出せなかった。  ── こんな美形に会っておいて、どこで会ったか忘れるなんて。  そんな小さな落ち込みのせいで、会話に一瞬変な間が開いてしまった。  マリーは慌てて、「ハーイ。あの……お忙しいところ、ごめんなさいね」と言った。するとシュガーは自分の手を見下ろして肩を竦め、「いえ、ちっとも」とテレた笑顔を浮かべた。そしてゴム手袋を外す。 「何か? あ……掃除してるの、うるさかったですか?」 「いえ、そんなんじゃないの。このアパートメントはひとつのフロアに二つの部屋が向かい合わせであるから、音はそんなに響いてこないのよ」 「あ、そうなんだ」  シュガーはホッとした表情を浮かべる。 「ええ、そうなの。だからこそ、自宅のパーティーでも音楽をガンガンに流せるから、嬉しいのよね」  シュガーはふぅんと感心したように頷いている。  マリーは手の平に汗がじっとりと滲んでくるのを感じながらも、努めて自然に言った。 「パーティと言えば、実は今日パーティーを家で開くの。DJも呼んで、クラブみたいにキメるつもり。若い男の子や女の子がたくさん来るの。もしよかったら、来ない? お隣同士だし、挨拶も兼ねて。前からここに住んでる日本人の彼も招待したいと思ってたんだけど、彼忙しそうだし、誘うチャンスがなくて」  シュガーは、パチパチと瞬きをした。  ── ああ、睫もなんて長いんだろう。  マリーが見取れている間も、シュガーは何か考え込んでるので、マリーは不安になった。  ここで断られてしまっては、準備が水の泡だ。 「あの……ひょっとしてパーティーはお嫌いかしら? クラブとか、そういう騒がしいのは苦手?」  マリーがそう訊くと、シュガーが苦笑いした。 「いや、そんなんじゃなくて。俺も、音楽は好きだし、友達同士集まってバカ騒ぎするのもいいなって思う。けど、コウは仕事で出てるし、いつ帰ってくるかわからないから………。俺一人だけっていうのは気が引けるから、行きにくいんだ」  ふ~ん。サムライって、コウって呼ばれてるんだ……なんて思いながら、マリーは畳みかけた。ここで引く訳にはいかない。 「夜遅くまでやってるから、大丈夫よ。彼が帰ってきてから、ぜひお二人でいらして? パーティーの途中でも、皆大歓迎してくれると思うわ。気兼ねなく、どうぞ」 「そこまで言ってもらえるなら……。コウに電話してみるよ。本当に遅くなってもいい?」 「ええ、もちろん」  マリーはにっこりと笑って頷いた。  シュガーはそれを見て、心を決めてくれたようだ。 「ありがとう。なるべく、行くようにするね」  彼はまた笑顔を浮かべてくれて、ドアの向こうに消えて行った。  思わずマリーは、ウィンブルドンの女性テニスプレイヤーのように、「よしっ」とガッツポーズを取ったのだった。      シュガーとサムライが連れ立って現れたのは、十時過ぎのことだった。  本命の登場に、些か盛り上がりがマンネリ化しつつある室内が一気に色めき立った。 「あの……これ」  シュガーが白ワインのボトルを差し出す。 「俺とコウから」  シュガーがサムライの方を振り返りながら言う。 「まぁ、ありがとうございます。返って気を使わせちゃったかしら」 「いいえ、こちらこそ。パーティーに呼んでいただいて」  サムライが笑顔を浮かべる。  ── ああ、なんて素敵な笑顔!!  マリーの背後から、そういう熱気が沸き上がったのがわかった。  サムライは、仕事帰りの格好のまま来たのだろう。濃いブルー地に白のピンストライプのYシャツに紺色のネクタイ、漆黒に近いチャコールグレイのスラックスという何とも大人の魅力満載の姿。  それに対してシュガーは、ガンズ・アンド・ローゼスの黒Tシャツに、炭色っぽいルーズなシルエットのジーンズ。手首には革製のリストバンド。頭には、黄色のキャップを被っている。如何にも若者らしい格好だ。 「お互いお向かい同士なのに、名前も言ってなかったわね。私はマリー・モリス」 「コウゾウ・ハシバです」  サムライが差し出されたマリーの手を優しく握り返す。想像通り大きな手だ。 「ええと、彼は・・・」  マリーがシュガーに視線をやると、マリーの背後で「ショーン・クーパー!!」と叫んだ男友達がいた。  一瞬、その場がシンとなる。  トランス系の音楽がずっと流しっぱなしだったが、誰の耳にもそれが入っていない様子だった。  男性客の中には、肩を組んで踊っていた彼女を放り出して、マリーの身体の向こうから必死な顔つきでこちらの方を覗き込んでいる人間もいる。  はっきりいって、ショーン・クーパーに対する知識があまりないマリーは、その名前がどれだけ威力を持つのか、ちっともわからなかった。  それでも、昼間どこかで見たことがあると思ったことの答えがそこにあったような気がして、彼女はほっと胸を撫で下ろした。  ── 確か、ショーン・クーパーって、エニグマに特集を組まれていた彼よね。  少し以前、ファッション誌界に突如現れた王子様の写真を見てマリーも同僚達と盛り上がったのだが、まさかその彼が隣にいるとは想像もしていなかった。だからこそ、まったく気が付かなかったのだが、今の段階では、女性陣よりむしろ男性陣の方がより驚愕の表情を浮かべている。  ショーン・クーパーは元々ロックスターだったらしいが、ロックにあまり親しみがないマリーの女友達らには今ひとつその価値がわからない。だが、男性陣達のただならぬ様子を感じて、室内がざわついた。  シュガーとサムライが顔を見合わせた。  マリーが怪訝そうに二人を見つめると、突然シュガーがニッコリと笑顔を浮かべた。 「似てるでしょ?」  彼はそう言って、被っているキャップを取った。  ドラマチックな赤毛がバサリと落ちてくる。 「あんまりよく言われるから、髪も染めてみたんだ。時々サインまで求められて、笑っちゃうよ。そっくりさんの番組にも出たことあるよ」  そう言ってシュガーが肩を竦める。  室内も、「ああ」と合点がいったらしく、緊張感が見る間に緩む。  何せ、あのショーン・クーパーがこんな地方都市の何の変哲もないフラットに日本人と同居している筈がない。 「あんまり似てるんで、俺が本物の代わりにバルーンに入ろうかと思ったぐらいだよ。おかげであだ名もショーンっていうんだ。自分の本当の名前を忘れちゃったぐらいだよ」  なんていうシュガーの冗談に、一同ハハハと和やかに笑う。  シュガーの後ろでは、サムライがカリカリと小鼻の先を掻いている。  きっといつも一緒にいる彼だ。こんな騒動はいつものこと、というところか。 「さぁ、奥に入って。あなた達のために料理も残しておいたの。アルコールは浴びるほどあるから、好きに飲んでね」  広いリビングの片隅にセッティングされている料理と飲み物のブースにマリーが二人を案内すると、サムライが少し顔を顰めた。 「彼は未成年なんだ。アルコール以外の飲み物はありますか?」  マリーは目を丸くしてシュガーを見る。 「そうなの?!」  シュガーは頷いた。 「いくつ?」 「19」 「へぇ~、そうなの……」 「今月の半ばには二十歳になるけどね」 「じゃアルコール飲めるようになるまであと一年かかるのね」 「そう」  マリーは、周囲の何気ない振りした女友達がこの会話に耳をダンボ状態にして聞き入っているのがわかる。 「じゃ、彼にはオレンジジュースかコーラね……」 「オレンジジュースを貰おうかな」 「わかったわ。ええと、……ハシバさんは何になさる?」  危うくマリーは彼をサムライと呼びかけて、おっとと胸を撫で下ろした。 「ええと……バーボンとかありますか?」 「あるわ。フォアローゼズでよければ」  マリーはそう答えながら、やっぱり大人ねぇ……と思った。  彼には小僧がラッパ飲みするバドワイザーの瓶ビールより、大きな氷がひとつだけ入った琥珀色のグラスの方が似合う。  二人に飲み物を渡してマリーが振り返ると、室内の様子がぐるりと見渡せた。  完全にクラブと化した広いリビングは、音楽にのせて身体を揺らしている男女や至るところに構えられたソファーやイスに座っておしゃべりに興じる者、分厚いフロアマットの上に寝ころんで奇声を上げる者などがたくさんいて、熱気に溢れていた。  皆、かなりおしゃれな人達で、マリーの交友関係が容易に想像できる。  パーティーの輪に加わったシュガーは、案の定あっという間に女の子に囲まれた。 「ヘイ、ショーン。本当の名前はなんて言うの?」 「本当の名前?」 「そう。おねぇさん達に聞かせて」 「うーんと……ジュリアン」  それを聞いた男友達がプッと吹き出す。 「へぇ、本名がジュリアンで、あだ名がショーンか!」 「どういう意味?」  女友達が振り返ると、彼は「ふたつともジョン・レノンの子どもの名前だ」と言う。 「へぇ、なるほどねぇ」 「けど、本当にショーン・クーパーに似てるよ、キミ」  女性陣もマリーの隣人に興味津々だが、男性陣も負けず劣らず興味津々だ。三十代ぐらいまでの男は、多かれ少なかれバルーンの洗礼を受けている。 「ま、声は随分ハスキーだから、ショーンとは似てないけどね」  別の男性がそう言う。  確かにシュガーの声は顔に似合わずハスキーで、彼らの言うミュージシャンの歌声とは程遠いのだろう。  シュガーはなぜかそう言われて顔を少し赤らめて、テレ笑いを浮かべた。  マリーは、彼が引っ越してきた際に聞いた彼の声って、これほどハスキーだったかしらと首を傾げたが、このハスキーな声もなかなかセクシーで女性陣に取っては魅力的だ。  BGMが変わった。  アンダーワールドの昔よく売れた曲だ。一大ブームを巻き起こしたイギリス映画に使われていたテクノ系の王者的な曲。 「あ、この曲俺、好き」  パッとシュガーが笑顔を浮かべる。  周囲の人間が男女問わず一気にその笑顔に魅入られているのが、マリーにはすぐにわかった。 「踊ってきたら?」  シュガーを微笑ましそうな様子で眺めていたサムライが、そう声をかける。 「うん!」  シュガーは零れんばかりの笑顔をサムライに向けて、ダンスフロアと化しているリビングの中央に駆けて行った。さっきまで彼を取り囲んでいた男女数人もその輪に加わる。 「 ── やだぁ~……子犬みたいに可愛い……」  マリーの隣でジェニーが思わず呟く。  ダンスフロアでは、叩きつけられるように均一のビートを刻む音に頭を揺らし、瞳を閉じて踊るシュガーの横顔が見える。その端正な横顔に、周囲の女の子はもちろん、淑女達も視線が釘付けになってしまっている。  男友達は、ショーン・クーパーのそっくりさんかぁと軽口を叩いたが、例えそうだとしてもシュガー自身がとても魅力的だ。  メロディーラインが始まった途端、また瑞々しい笑顔が零れた。  印象的なボーカルラインを、同じように口ずさんでいる。  彼の周囲の者も楽しそうな笑顔を浮かべ、ノリノリの様子だ。  別にトリッキーなダンスをしている訳でもないが、シュガーがリズムに合わせて身体を揺らしている様子は、キュートで様になっている。  シュガーが数人引き連れて行った後にできた空席のソファーにサムライとマリー、ジェニーが座る。  サムライは、楽しそうに踊るシュガーをまるで保護者のように優しげな瞳で見つめている。 「彼とはどういう関係なんですか? 彼は、『親しい友達で、金がないところを転がり込んだ』って言ってたけど」  サムライが、「ん?」とマリーを見た。そして「ああ」と言って笑う。 「ホント言うと、僕は彼の父親と友達だったんだ。その父親が亡くなって、その後は父親代わりのような存在だったから」 「ふ~ん、そうなんですかぁ」  ジェニーが頷く。  その丁寧な口振りは、いつもの彼女らしくない。  サムライの見せる父性的な魅力にやられてしまっているのだ。  きっと、あわよくばと思っているのかもしれない。  なぜなら、彼の指からあの指輪がなくなっていたから。  けれどいきなり「奥さんとは別れたんですか~」なんて質問が当然できる訳はなく、そこら辺は探って行くしかない。  さてどうしようかと思っていると、サムライを挟んで向こう側に座っているジェニーが、マリーに視線だけで合図を送ってきた。どうやら、二人きりにしろ、ということらしい。  ジェニーはどうやら本気モードだ。  マリーは「ぜひゆっくり楽しんでいってね」とサムライに声をかけ、席を立った。  マリーがテラスに陣取った別のグループの輪に加わると、途端に女友達がわっと寄ってきた。 「聞きしに勝る、ハイクォリティーよ」  同僚のケイティだ。 「あの二人、友達同士とは思えないぐらい対照的だけど、信じられないくらい両方とも素敵だわ」 「類は友を呼ぶってことかしらね」  彼氏同伴のメグがシュガーの隣でダンスに興じている自分の彼氏とシュガーを見比べて、溜息を吐く。 「う~~~~、悩むわねぇ……。若くてピチピチしてる前途有望なシュガーちゃんにするか、大人の魅力満載のミステリアスなサムライにするか」  セクシーな唇を突き出してカリーナが言う。それを聞いた瞬間、皆が「ヘェ~イ」と抗議の声を上げてカリーナの肩を押した。この場にいる誰もが、あの二人から同時に交際を申し込まれるなんて夢みたいな事とわかっていながら、その夢を追い求めているようだ。 「けど、少なくとも、ジェニーは本気で口説くつもりね」  メグがそう言いながら、顔を顰める。  皆の視線の先にいるジェニーは、媚びるような視線をサムライに向けていた。  サムライも、ジェニーの攻撃に押されて、ジェニーと向かい合いながら受け答えをしている。  その間にダンスフロアでは、メグの彼氏が中心となって、シュガーにお酒が振る舞われていた。勢いに任せて、シュガーも飲まざるを得ない状況になっているようだ。 「あ、いけない。彼、未成年なのに」  マリーがそう言って席を立とうとすると、カリーナから止められた。 「いいじゃない、少しぐらい。マリーだって、彼が酔っぱらってるところ見てみたいでしょ? きっともっとキュートよ」 「でも……」  マリーは、心配げにシュガーを見た。  シュガーに手渡されたグラスは小さくて、その中身は明らかに度数の高い酒だ。飲み慣れてないと、一気に酔いが回ってしまう。  現に、グラスを空けたシュガーは、大きな目をまん丸にして、パチパチとさせている。  そして更に次々とグラスが手渡され、シュガーはコンコンとむせた。 「やだ~、むせてる。かわい~」  アリーナとケイティが揃って声を上げる。  要するに彼女らにとっては、シュガーがどんなことをしていようと、魅力的に映るということだ。  明らかに遠目で見ても、シュガーの頬が赤く染まっているのがわかる。  瞳もとろんとして、完全に酔っぱらっていた。  ── これ以上は、きっとマズイわ。  マリーは、咄嗟にサムライを見た。  サムライはジェニーと話し込んで気が付いてない。  けれど、余り度が過ぎるとサムライがそれに気が付いて、きっと気分を害してしまうだろう。サムライはシュガーのことを心底大切にしている筈だから。  マリーは席を立って、ダンスフロアに向かった。  ダンスフロアでは、後輩のジョーがシュガーの首に腕を回して、迫っていた。 「……No……No……。キスはやめて……」  荒い呼吸に混じって、シュガーの弱々しい声が漏れる。 「だって、何だかエッチな気分になってきたって、さっき言ってたじゃない……」 「それは……君がそう訊いてくるから頷いただけで……」 「いいじゃない、キスぐらい……。口移しでお酒飲ませてあげる……」 「やめなさい、ジョー。ふざけ過ぎよ」  マリーがジョーを引き離そうとしても、このチャンスを逃してなるものかと必死のジョーはなかなかしぶとい。 「もうっ! ジョーったら………」  う~~~とマリーは唸りながらジョーの腕を引っ張ったがビクともしない。ああ、どうしようかと思った矢先、いとも簡単にひょいとジョーの腕を退けた人物がいた。 「失礼」  そう言って、シュガーの身体を引き寄せたのはサムライだった。  やはりこの騒ぎに気付いたらしい。 「……コウ……?」  ぽやんとした表情で、シュガーがサムライを見上げる。  サムライはそんなシュガーを見つめ、溜息を吐いた。 「いつの間にお酒を飲んだんだ?」 「ああ、ごめんなさい。彼らが無理矢理飲ませちゃったのよ。彼は悪くないわ」  マリーは謝った。  ここで心証を悪くすれば、大失敗だ。 「 ── なんかコウ……気持ち悪いけど、気持ちいい……」  シュガーは不機嫌そうなサムライの表情などお構いなしに、彼の身体に凭れて緩んだ微笑みを浮かべている。 「一体何を飲んだんだ?」  サムライは、メグの彼氏が持っている小さなグラスを取り上げ、グッと煽った。眉間に皺を寄せる。 「テキーラじゃないか。全く、未成年にこんなもの飲ませるなんて……」  マリーも顔を青くする。  度数の高い酒だとは思っていたが、まさかテキーラを飲ませていたとは思わなかった。  そんなのを飲み慣れてない若者が三杯も四杯も煽ったんなら、すぐに酔いも回る。  マリーは、あっと思ってシュガーを見た。既にもう、足にも来ているようだ。 「……おっと……」  グラグラするシュガーの身体を、サムライが支える。 「本当に、本当にごめんなさい……」  マリーがサムライに謝った。サムライは、苦笑いをしている。 「無理矢理とはいえ、何杯も飲んでしまった彼も彼です」  彼はマリーに気を使ってそう言ってくれたが、明らかに気まずい雰囲気だ。  と、その時。 「 ── 俺が唯一キスしたいのは…………」  シュガーがそう呟いて、サムライの頭をがっしりと抱えると、皆が見ている前で、チュ~~~~~とマウス・ツゥ・マウスのキスをした。  一同あんぐりと口を開け、目を見開く。  キスされたサムライも、同じように呆気に取られた顔つきをしていた。  そんなサムライの胸元に頭を押しつけながら、シュガーが尚も呟く。 「今凄くエッチな気分なんだ……。ねぇ、エッチしたい……。しよ?」  彼はそう言いながら、Tシャツを自分で脱いでしまった。  キャーと黄色い悲鳴が上がる。  目映いばかりの若くて瑞々しい肉体……思ったより筋肉もついていて逞しく、本当においしそう……が飛び出してくれば、女なら誰だって奇声を上げる。  サムライは蒼白になると、シュガーが脱ぎ捨てようとしたTシャツを寸前のところで掴み、迫ってくる彼の顔を避けながら、マリーに言った。 「すみません。かなり混乱するほど酔ってるらしい。今日はこれで失礼してもいいですか?」 「えっ! ええ、もちろん! 本当にこんなことになってしまって、ごめんなさいね」 「いえ、お気になさらずに」  サムライは逞しい腕でシュガーの身体を抱えて、玄関まで急いだ。  シュガーは、そんなサムライの耳に囓り付いている。 「イテ! おい、やめろ!!」  どうやらシュガーは、酔っぱらうと囓る癖が出てくるらしい。  酔っぱらってもなお可愛いシュガーの姿に、サムライには悪いと思いながらもマリーはプッと笑ってしまった。  きっとサムライはシュガーに彼のガールフレンドと間違われているのだと思うが、それにしても災難だ。いくら酔っぱらっての凶行とはいえ、同性から迫られるというのは男として気分が良くないだろう。いや、シュガーになら、男でも一度は迫られてみたいと思うだろうか。 「もし彼が具合が悪くなって手が必要になったら、いつでも言ってください。本当に、彼がこんなになったのは、私達のせいだから……」  玄関口でマリーが再度謝ると、頬にシュガーの熱烈なキスを受けながらサムライが言った。 「気分が悪くなるようだったら吐かせて、大人しく眠らせるようにしますから大丈夫。なに、酔っぱらいの世話は、会社の同僚の介抱で慣れています。── じゃ、お邪魔しました。こちらこそすみません。折角呼んでいただいたのに」  彼はそう言うと、最後には完全に足がもつれているシュガーをヨッと横抱きにして、マリーの家を後にしたのだった。  ── ああ、なんて最後までジェントルマンで、そして……逞しいんだろう。  ぴっちぴちのシュガーも堪らなく魅力的だけど、逞しくて紳士的なサムライも、物凄く素敵だ。  これは究極の選択ねぇ……。  マリーはドアを閉めながら、溜息を吐く。  マリーにとって、まるで嵐のような一夜が瞬間にして終わったような気がした。
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