美也子 1

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美也子 1

 私の当初の予定では、秦野(はたの)を廊下に呼んで言うつもりだった。 「今日、私といっしょに帰ってくれないかな」  秦野は部活をもう引退してるし、その日は補講も無かった。だから、帰ってくれるんじゃないかと期待した。 「何で?」  そう言われたら……言われたら。  他校の男子につきまとわれてるとか、その辺の事情を言おうか。  でも、それじゃ自分がモテるのをアピールしてるみたいで、嫌だ。  でも、1日だけ帰って、緑高のヤツが見なかったら、意味ないし。  これから、ずっといっしょに帰ってもらう必要があると、どうやって言おう。  とりあえず、今日はいっしょに帰ってもらおう。  私が秦野と帰ったら、緑高のヤツも諦めてくれる。  それから、この前、千波から聞いたことが頭をよぎる。  秦野は、騒ぐタイプではない。どちらかというと、クールな印象だ。 でも、他の子は秦野のことをどう見ているのか知りたくなった。 「あ、あのさ、私の友だちの友だちが、秦野のこと気になってるみたいなんだって。秦野ってどう思う?」  千波は上目遣いに私を見た。 「けっこう秦野って、ダークホースだよ。かくれファン、いるいる。何たって、あの切れ長の目で見られると、ドキッとするよね」  いや、その時は千波に見透かされてるんじゃないかと、ドキッとした。 「あ、別に私は何とも思ってないから」  私は両手を細かく振りながら、少し後ずさった。 「ふうん。麻美が狙ってるらしいよ……って、友だちの友だちに言っといて」 「あー、そうなんだ。言っとく、言っとく。友だちの友だちに」  千波は、にっと笑っていた。  そう、緑高の男子がしつこくつき合ってほしいと言ってきてたことも、麻美に先を越されそうなんてことも、そりゃあ、私を焦らせる材料だったけど。 何より、私が言いたかったんだ。  確かに、秦野の意志を完全に無視しているのは、わかってた。  でも、私は切羽詰まってた。  気持ちが、いっぱいいっぱいで、言ってしまわなくちゃ、叫び出しそうだった。  あ……でも実際、叫んだんだけど。    それにしても、あの告白の仕方はひどかった。  本当は教室とかじゃなくて、それも2人っきりの時に言いたかったのに。  秦野をさりげなく、呼び出そうとしたのに、その日、昼時に用があったらしく、昼休みになってもお弁当を食べていた。早く食べ終わってくれないと、昼休みが終わってしまう。  とにかく私が「いっしょに帰って」と言ったら、すんなり「いいよ」と答えてくれますようにと祈ってた。  私は秦野の前に立った。お弁当はあとちょっと残ってたけど、昼休みももうすぐで終わりそうだった。 「秦野」  声をかけると、彼は「ん?」と顔を上げて、私を見た。  この時、頭が真っ白になってしまった。  秦野は気付いてないだろうけど、私は彼のこの表情に弱い。  もう段取りも何もかもすっとんで、叫んでしまった。 「これから毎日、秦野といっしょに帰る!」  いつも落ち着いている秦野が動揺したのか、慌てている。  そして怖れていた言葉を言われてしまった。 「何で?」  その答えを用意してなかった私は、又もやパニックになった。そうなった時の私は、誰も止められない。 「好きになったからに、決まってるでしょ」  口をとがらせてるのが、自分でもわかった。顔も熱い。きっと真っ赤だ。  これじゃあ、だだをこねてるガキといっしょだ。自分の想いだけ押し付けてる。  それでも、秦野が「わかった」と言ってくれたのは、彼が大人だったからだ。  みんなの前で断ったら、私がかわいそうだと思ってくれたんだ。  その日の帰り、秦野は玄関のところで私を待ってくれていた。  自転車のスタンドをはずすと、そのまま下を向いている。  何か話をしなくちゃ、と焦り始める。  すると、秦野はすいっと顔を上げる。 「どっち?」 「え?」 「帰り道、どっち方面?」  私は自転車通学が許可されない、徒歩通学だ。1キロちょっとだ。  私はとっさに、帰り道と逆の方を指さす。 「こっちなの」  私は照れ隠しにしゃべりまくった。何を話したのかも覚えていない。  それでも、別れ際、確認することは忘れなかった。 「明日もいっしょに帰ってくれる?」  秦野はふっと笑う。 「いいよ」  耳の中に深みのある声が響く。胸の中にまで、じわじわと染み渡る。 「じゃあ、約束! 指切りしよ」 「子どもみたいやな」  秦野は笑いながらも、指切りをしてくれた。    秦野の小指は、細くて長くて、少し節がごつっとしていた。  絡めたとたん、右手の小指から、電流が流れた。 「あ……」  私はその時わかった。  秦野に触れたかったんだ。  ずっと……。
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