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彰人 2
病院の待合室は、思ったよりも混んでいた。
手もちぶさたを紛らすために、目についた雑誌を読もうと思った。けれど、取りに行って、1ページめくっただけで、力が尽きた。
それにしても、だるい。
「夏風邪は、バカがひくんよ」
歯に衣着せぬ姉の言い方は、容赦が無い。傷口に塩を塗りたくる。そうだよ。バカだよ。まぬけだよ。
風邪を引いた原因はわかっている。雨の中を傘もささずに歩いたからだ。
あの日、美也子の家まで行ったのは、ざわざわしたものを感じたからかもしれない。
高校を卒業し、俺は名古屋の大学に進学した。
美也子は最後まで迷っていたが、東京の大学に進んだ。
進路が分かれてからは、頻繁には会わなかったけれど、別れたりはしなかった。でも俺には、ちょうど良かった。高校時代は美也子に圧倒されっぱなしだったからだ。そのくらい距離があって、会う回数が少ない方が良かった。
かと言って、彼女のことを疎ましく思っていたわけではない。
俺は俺なりに、美也子のことが好きだった。
でも、戸惑う気持ちがあったのも、事実だ。
この間、電話でケンカになった。ケンカと言っても、こっちが黙ってしまうと、美也子はたまりかねて、切ってしまうのだ。
美也子が実家に帰っていると聞き、家まで行った。インターフォンを押すと、美也子が出てきた。口を真一文字に結んでいる。そして、すたすたと歩き始めた。
「この間はごめん」
俺は、美也子を追いかけた。
「そうよ。彰人が悪いのよ。今までだって全部そうよ」
俺は、今までの5年間を思い出そうとした。
けれど、美也子が言ったことは、俺の予想を超えていた。
「今まで、1度だって、彰人の方から求められたことは無かった」
「え? それは……」
「彰人は優しいし、大事にされてるんだって、思おうとした。でも、そうじゃないってわかるのよ。キスする度に、抱かれる度に、思い知るの。彰人は、私が想うほど、私のことは好きじゃないんだって」
美也子は、ぴたりと歩くのをやめた。
「何でかわかる? 彰人のこと、本気で好きだったからよ!」
やっと俺の頭は、のろのろと回転し始めた。
俺の態度が、彼女を傷つけてきたのか。
何か言おうとしても、言葉が出なかった。
「ずっと私と彰人の間には、すき間が空いてた」
美也子の言葉は過去形だ。俺とのことは、もう終わったことなんだ。
「ごめん、彰人は何にも悪くないわ。こだわってたのは私の方ね。今までありがとう。私につき合ってくれて。さよなら」
美也子は泣き出しそうな顔に、無理やり笑顔を張り付けると、家の方に走り出した。
「美也子!」
彼女は1回立ち止まった。それでも背中を見せたまま、振り返らずに走って行ってしまった。
雨が降り出した。
傘は持っていなかった。
そのまま、ずっと濡れるままに、雨の中を歩いた。
美也子の強がりに、俺はずっと甘えてきた。
相容れないものを薄々感じながら、こんなものだろうと、あいまいなままでいた。
どこかで、美也子の方が先に好きになったから、俺から離れていかないと傲慢になっていなかったか?
会う約束をして、約束をしたから会う。
会えば、美也子はよくしゃべるし、話題も豊富だから、退屈することはなかった。もしかしてそれは、美也子の方が沈黙を恐れていたのだろうか。
美也子はそれで良かったのか。
俺はずっと、残酷なことをしていた。
美也子……ごめん。
君の言う通りだ。
俺は一度も、心から君を欲しいと思ったことはなかった。
俺は雨の中を歩きながら、思い出していた。
君はずっとすき間が空いていたと言った。
いや、そんなことはない。
ぴったり気持ちが重なった時だってあった。
ありがとう。
次に現れる人は、俺と比べればわかる。
自分にぴったり重なるかどうかは、俺を基準にすればいい。
美也子……。
雨を顔に受けながら、俺は美也子の幸せを願った。
待合室で、重い頭をゆっくりと横に振った。
風邪ぐらいでは、5年間の償いにはならないかもな。
ふらふらとした足取りで、自動ドアを抜ける。
外は、梅雨明けの青空だった。
完
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