第1章 少年王

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第1章 少年王

 ——西から〈王殺(おうごろ)し〉がやってくる。  このところ王都には、そんな噂が流れているらしい。西の果ての蛮族が住む場所から、怪力を持つ大男が王を殺すためにやってくるのだと。  だがしかし、本当にそんな男がやってくるのか。そもそも西の蛮族にしたところで、存在はまことしやかに語られているものの彼らの住む場所は王都からあまりに遠くはなれているから、これまで誰一人としてその姿を見たものはいない。  ただの噂話だと笑い飛ばす者あり、王の身辺警護を厚くすべきと声を上げる者あり。とかく世は〈王殺し〉の話題で持ちきりだ。 「ですので陛下、決してここを出てはなりませぬ。宮中の警備は強化しておりますが、人の出入りに紛れて怪しい者が入り込まないとも限りませんから、くれぐれもお気をつけください」 「はい」  白髪の筆頭賢者の言いつけに、〈少年王(しょうねんおう)〉は素直にうなずいた。  彼はここでは「少年王」もしくは「陛下」と呼ばれる。そして「はい」と「いいえ」が、彼が人前で口にすることを許された言葉のほぼすべてだ。  例えば今、彼は内心では〈王殺し〉の噂についてもっとよく知りたいと思っているが、その希望を決して口にはしない。 噂どおりの大男なのだとすれば、そんな目立つ人間が誰にも気づかれずに宮中に入り込むことなど不可能に思えるが、誰もそんな疑問は抱かないのだろうか。  だが聞いたところで教えてもらえるはずはないし、宰相や筆頭賢者が知っている程度の情報よりも女官たちのおしゃべりに耳を傾けた方がずっと詳しいことがわかるだろう。だから〈少年王〉は目の前の年寄り相手に無駄な質問をしようとは考えない。  宰相も、国を支える賢者達の中で最も力を持つ筆頭賢者も、誰もがいつも〈少年王〉の質問を同じ文句で封じる。  ——王は神、そして我らが国そのもの。陛下は替えのきかない尊い方なのですから、このような些事でお手を煩わすことはできませぬ。つまらぬまつりごとは我々にお任せくださいませ。  ものごとはあらかじめ何もかも整えられた上で、形式的に諮られる。そして、すでに答えすら準備されていることを理解しているから、いつだって〈少年王〉は彼らの期待のままに「はい」と答えるのだ。  彼は自分が王になってからどのくらい経つのか知らない。  遠い記憶の中にはまだ〈少年王〉ではなかった時代の自分のことがかすかに残っているような気がする。宮廷ではではないどこかで、親に抱かれ普通の赤ん坊だった頃が自分にもあったような気がする。でもそれはあまりに遠くうっすらとしたイメージだから「もし自分が王でなければ」という願望が作り出した幻にすぎないのかもしれない。  永遠のように繰り返される単調な王宮生活の中で、時間の感覚などとうの昔に失った。
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