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「はぁ……桑野さんの手、ちべたい……」
そんなこちらの煩悶などつゆ知らず、私の手を頬に当てた杉岡さんの顔は先程の沈んだ表情から一変、だらしなく緩み始めていた。
「あの……杉岡さん?」
「あ、ああ、ごめんごめん。昔から不安な時、いつも心臓の辺に大切なものを当てる癖があって……やっぱり嫌?」
「い、いえ、そういう事でしたら。私の手なんかで良ければ……どうぞ」
「うん……ありがと」
私の手は杉岡さんの頬から眼前に移され、しばし見つめられた後に再び心臓の位置に置かれる。そのまま彼女は目を瞑って少し強く自分の胸に押し付け、ゆっくりと口を開いた。
「この会社に入ってからね。桑野さんの言う通り、ずっと篤也さんの真似してたの。もう、男の人から好かれないようにしようって思って。好かれなかったら自分も好きになる事はもう無い、って思ってたからさ」
「男の人から?」
「うん。会社辞めるまでの数日で、やっぱり離婚した事がどこからか周りにバレちゃってね。同僚の子達が教えてくれたんだ。『あの人と別れてよかった。高梨さん、営業の男性社員全員から嫌われてるよ』って」
「それで……というか、その同僚の方々の言動もどうかと思いますが」
離婚したとは言え、その直後に当事者の元夫を悪く言うなんて。とてもじゃないが、気遣いの出来る人の言葉とは思えない。心配や労いというよりも、面白半分で言っているんじゃないのか? その情報だけで決めつけるのは良くないが、これだから他人の噂話に興じる人間は好きになれない。
「あはは……まぁ、慰めてくれてたんだろうけどね。それで、篤也さんみたいにしてたら男の人から好かれないのかも! って思いながら自分を作ってたら、いつの間にか女の子からばっかり声を掛けられるようになっちゃって」
「ああ……確かに」
「その子達に可愛いって言ってみたら、すごく喜ばれちゃってさ。そうやって他の女の子を褒めていれば、自分が誰かの為に可愛くならなくていい、誰かと可愛さを比べられる事もないって気がしてきて」
「…………」
――そうか。だからあの忘年会の夜、私が何気なく発した『杉岡さんも可愛い』という言葉に彼女は過剰に反応したのか。しかし、胡桃沢。そこまで根の深いトラウマを杉岡さんに植え付けていたとは……。
「そう思ったら、何だかすごーく気が楽になれたの。だからなるべくあの人みたいに、自分勝手にだらしなく生きていく事にしたんだ。ただやっぱり最初は、演じるのに抵抗あったけど……」
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