九―一

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「分かりました、ありがとうございます。あの、ここからホテルへはどう行ったら一番近いですか?」 「ホテルへは、このホールの奥にある宿泊者様専用の連絡通路での移動が最短距離ですが……失礼ですがご宿泊のお客様でいらっしゃいますか?」 「いえ……」 「でしたら、申し訳ありませんがセキュリティの関係でお通し出来かねます。お手数おかけ致しますが、ホテル正面玄関にお回り頂いた上でご入館下さい」 「……分かりました。お忙しいところお時間お取りして申し訳ありませんでした」  本当は会社の名刺の一枚でも渡したいところだが、今はそんな事をしている場合ではない。せめて悪印象を残さない様に深々と頭を下げ、レストランを後にする。さて―― 「正面玄関へは、さっきの道を逆戻りすればいいだけ。だが……」  車で行ったところで、また駐車場に入ろうとしたところで係員に停められるのは目に見えている。それに先程言葉を交わしたばかりだ。恐らく車と共に憶えられているだろうし、下手をすれば怪しまれてしまい、ホテルへの入館にも支障をきたしてしまうかもしれない。となると―― 「走る、か」  潮風が吹きすさぶ海沿いの遊歩道。まばらに街灯が並んだ片道500メートルの道のりを、私はホテルの正面玄関目指して全力で疾走した。 「はぁ……! はぁ……! はぁ……」  レストランの駐車場から全力疾走した私だったが、そのスピードを維持できたのはものの100メートル程度だった。その後はみるみるうちに失速し、ホテル正面玄関に到着した頃には殆ど歩いているのと変わらない速度だった。 「やっと着い……ゴホッ! ゲホッ!」  たかが500メートル走っただけなのに、まともに喋る事も出来ないとは。いや、それどころか先程も会社の駐車場から二階にあるオフィスまで走っただけでも怪しかった。まだ若いと自分では思っていたが、身体は確実に年を取っているのか――本来ならやっと辿り着いたホテルを見上げたいところだが、息が切れてそれすらもままならない。 「とにかく……急がないと」  二人がいつ食事を終えたのかは分からないが、それから時間が経てば経つほど手遅れになる可能性が高くなる。杉岡さんが心から椋木さんを受け入れたのならばそれはそれで――などとここに来た理由から逃げる様な考えを振り払い、息を整えて正面玄関から入館を試みた。 ea543ac0-8709-4eed-8d90-1c63fc296336
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