九―二

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「お前の言いたい事はよく分かるよ。そりゃ俺だって40年近く生きてるんだから、栗原が何を思って、どう行動してたかくらいは分かるさ。でもな――」  椋木さんは栗原さんの気持ちを分かっていた? それでも敢えて気付かない素振りをしていたという事か。それも、一年近くの長い間。 「俺は営業全員を纏める実務的な上司――つまりは主任職で、栗原は去年入ったばかりのまだまだ新人だ。その俺らが恋愛関係になったら、周りはどう見ると思う?」 「どう……というと?」 「傍から見たら新入社員をつまみ食いした上司と、仕事そっちのけで年上に入れ込んだ最近の若い奴、だろうさ」 「それは……確かに」  確かにそうかもしれない。もしもうちのオフィスでそういう事があったら、自分が当事者達をそういう目で見ない自信は無かった。 「そりゃあな、栗原がこの仕事を結婚の腰かけ程度にしか思っていないような奴だったら、俺はそれでも良いと思ったよ。だけどお前も一日一緒に仕事して分かっただろ? あいつは本当にこの業界で生きていこうと、真剣に仕事に打ち込んでる。それが見えちまったから、俺は栗原をそういう目で見られなかった、見る訳にはいかなかったんだよ。分かってくれ」 「そう……でしたか。そこまで考えが及びませんでした、すみません」  自分はなんて愚かなんだろう。椋木さんの考えや心情を全く汲みとらず、ただ一時の短絡的な感情で彼を責め立ててしまうなんて。 「いや、それに関しちゃ、むしろ謝るのは俺の方だよ。俺なりの考えがあったとはいえ、お前に栗原をあてがう様な形になっちまってたからな」 「考え?」 「ああ。まぁそんな大したものじゃないけどさ。ただ単にクソ真面目な桑野とだったら、栗原も悪い影響は受けないだろうと思っただけだよ」  椋木さんはニカッと笑い、私の肩を軽く小突く。その何気ない動作ひとつで、私の心は軽くなる。それと同時に本来の目的を、再びしっかりと見定めることが出来た気がした。 「杉岡さんと話をさせてください。それと、椋木さんとの今の状況も知っておきたいです。出来れば詳しく」 「ああ、構わないよ。むしろそのつもりで一人でこうして出かけてる訳だしな。ただ――」
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