九―二

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「抜け駆けじゃないからな。お前と同じ、ナンテンから帰ってきた日に杉岡ちゃんから話を聞いて、俺はすぐに行動に出たんだ。ま、覚悟の違いってやつだ。――んじゃな」  そこでエレベーターのドアが開く。椋木さんは肩越しに手を振り、それ以上は何も言わずに扉の向こうへと消えていった。 「覚悟の違い……」  そうだ。自分には絶対的に覚悟が足りていなかった。きっとそんな中途半端な気持ちが今回のナンテンの件で露呈して、私では彼女を幸せにするに値しないと判断されてしまったのかもしれない。椋木さんや、杉岡さん本人からも。  こうなってしまっては、この先に進んだところで本当に杉岡さんにも迷惑をかけてしまうかも―― 「……いや」  曲げようの無い事実がそこにあるとはいえ、それ以上は全部自分が作り出した負の妄想だ。さっきも自分に言い聞かせたじゃないか、『想像で行動を制限するな』と。恥をかいたっていい。迷惑をかけたのならば謝ろう。ただ、今ここに存在している私の確かな気持ち、それを杉岡さんに伝えるんだ。 「……そうしないと、お互い前に進めないじゃないか」  自分を鼓舞する様に独り言を零し、口から放たれたその言霊で全身を武装して歩き出す。案内板に従って向かった805号室はエレベーターホールからほど近く、余計な迷い等が生み出される暇も無く丁度良かった。 「――――……」  まず何を言おう――ドアの目の前でノックしようと右手を上げたところで一瞬考えてしまうが、この期に及んで話の方向性を組み立てたところで、小細工にしかならない。意を決して、扉を叩く。 「ほいほーい。何か忘れも……え?」 3c89a329-96b6-4930-a5a0-e105e229820d 「……こんばんは」  リラックスした様子で開錠した杉岡さんは、私の顔を見た途端に言葉を途切れさせ、気まずそうな表情を浮かべる。しかしすぐに笑顔を作り上げ、ドアを持っていない左手を軽く上げた。 「や、やっほー桑野さん。こんなところで奇遇だねぇ、なんちて。椋木主任に呼ばれたのかい? よかったら三人で――」 「やめてください」 「……へ?」  自然と言葉が出た。だが、抑えられなかった。 ・杉岡さんの嫌いなところ 18.『胡桃沢(過去の男)の真似をして、自分を守ろうとする』
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