九―二

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「あの人の、胡桃沢さんの真似をして自分を誤魔化すのはやめてください。私は……杉岡さん自身が話す言葉を聞く為にここに来たんです」 「やっぱり……バレちゃってたんだ」 「ええ。彼と会った時、妙な既視感があったんです。それで後から考えたら……だったのですが」 「そっか……やっぱり桑野さんには敵わないね」  外用の杉岡さんは影を潜め、声もか細く高いものになる。表情も年相応のものから姿を変え、若干何かに怯える少女の様な面差しでこちらを見ている。それはそうだ。今更のこのこ現れて、こちらの言う様に振舞えと言われても困るに決まっている。 「すみません、せっかくの椋木さんとの楽しい夜を邪魔してしまって。先日のお話をもう一度聞かせて頂いて、こちらからお伝えする事が終わったらすぐに帰りますから」 「ほえ? ち、ちがうちがう!」  杉岡さんは驚いた様子で抑えていたドアを離し、両手を振って何かを否定し始めた。 「違う……というと?」 「ボ……わた……えっとね? 椋木主任にはその、ちゃんと……お、およ、およよよょ……」  杉岡さんは離した手の代わりに体でドアを支えていたが、その重みを支えきれないのか徐々に部屋の外――つまりこちら側へと押し出されて来た。 「あの……杉岡さん?」 「桑野さん……ドア重い……」  ほんのり紅く染まった彼女の顔色を見るに、少々アルコールが入っているのだろう。二人で閉め出されないようにドアを押さえ、足元のおぼつかない杉岡さんをドアの重みから解放する。 「大丈夫ですか?」 「あはは……ありがと桑野さん。えっと……中、入る?」 「ええ、少しだけ。ここで話していると、他の宿泊客の迷惑にもなりかねませんし」  少し照れながら室内へと(いざな)う彼女の表情にドキリとしてしまう。このまま取り留めの無い会話を続けていけたらという誘惑を振り払い、私は805号室に足を踏み入れた。
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