九―三

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「胡桃沢専務? という事は……」 「……うん。出張の時に役員との食事会があったらしんだけど、そこに同席した娘の香苗さんがね……彼に一目惚れしたんだって」  つまり奴は、自身の出世の為に杉岡さんを裏切って、胡桃沢の娘と再婚する道を選んだという事か。だったら何故白檀を辞めて独立を……? いや、今はそんな事より杉岡さんだ。先程から説明を続ける彼女の、スマートフォンを持つ手が震えている。話をここで打ち切るべきか? ――いや、駄目だ。その裁量は彼女に託そう。杉岡さんが話をやめない限り、私はそれを受け止め続ける義務がある。 「それで、専務さんの方から篤也さんと別れて欲しい、子供も()(たい)して欲しいって言われて……目の前にね、見た事もない量のお金積まれたんだよ?」 「そんな……そんな滅茶苦茶な事がまかり通る訳が……それで、杉岡さんは何と?」 「断ったよ、もちろん。その頃には性別も分かってたし、どうしても生みたかったから。一人で育てていく自信が無かったのもあるけど、やっぱりその時は篤也さんの事、まだ好きだったし」  どう考えても、理不尽すぎる。出産を控えている女性に離婚を突きつけ、堕胎しろだと? 彼らへの怒りと共に、あの時すぐに杉岡さんの話を聞いてあげられなかった事に対する後悔と、激しい自責の念が込み上げてきた。 「だからね、篤也さんに言ったんだ、別れたくないって。そしたら……ね―― ――――… 「嘘……離婚なんて嘘でしょ? 篤也さん、私別れたくないよ。この前だって赤ちゃんが女の子だって分かって、一緒に喜んでくれたじゃない? 考え直して? ね? この子の為にも――」 「ごめんねあーちゃん」 「え……?」 「あーちゃんもまぁ、美人だとは思うけどさ。ぶっちゃけ言うとボク、本当は香苗ちゃんみたいな可愛い感じのお嫁さんが欲しかったんだよねぇ。だから仕方ないよね」 「コホン。高梨君、あまりこちらが不利になるような言葉は慎みたまえ」 「あ、ああ、申し訳ありません専務。……ま、まぁね、元々はお互いが望んでの結婚じゃないしねぇ、丁度良い機会だったんじゃないかな。ごめんねぇ」 …――だって。……ふふ……おかしいでしょ? そんな事普通、少しでも奥さんを愛してたら言わないよね? だから私…………この人に全然愛されてなかったんだなぁって……」 「ふざけてる……」  怒りが体内で煮えたぎる溶岩の様に全身を侵食し、そのせいで体の震えが止まらない。
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