九―三

6/16
362人が本棚に入れています
本棚に追加
/214ページ
「あの日、駐車場から会社に帰る時ね。桑野さんが、プリンターとか持ってくれたでしょ? 『自分は男だから』って言って。その時思ったんだ、この人は私が嫌いだからイライラしてるんじゃなくて、接し方が分からなくて戸惑ってるだけなのかもしれないって」 「接し方は……確かに女性慣れはしていませんし、今でも異性間の会話は苦手ですけど」 「ふふ――うんうん。それで今更だけど、この人とはちゃんとした関係を築いてみようと思ったんだ。もちろん仕事上で、だけどね。だから飲みに行こうって誘ったんだけど……それでも男の人と二人きりだから、結構勇気出したんだよ?」 「そうだったんですか。実は私も平然と答えたつもりでしたが、内心は穏やかではありませんでした」 「桑野さんもそうだったの? じゃあ、それも一緒だね、ふふ――」  杉岡さんの緊張が解けたのか、私の手を掴んだ彼女のそれは、胸の辺りから膝元へと下ろされた。しかし今度はスラックス越しとは言え太腿の感触が……それ以上意識しないようにふと目線を外すと、ワークテーブルに一枚の封筒を見つけた。それがホテル備え付けの物だったら気にも留めなかったのだが、一見してそうではなかった。薄桃色の見慣れた一枚、ダークブラウンの机に溶け込めずにポツンと浮かぶように、サクラシステムサービスの封筒が置かれていた。 「それで自分なりに色々考えて、桑野さんとの距離を縮められないかなって頑張ってみたんだ」 「もしかして……それで物理的な距離まで縮めてみたんですか? 今思えば、丁度あの時期からやたらと距離感が近くなったような……」 「えへへ……少し恥ずかしかったけど、それが一番手っ取り早く仲良くなれるのかなって思って……」  相変わらずの誤魔化し笑いを浮かべて彼女は目を泳がす。しかし杉岡さんといい栗原さんといい、パーソナルスペースに侵入するあの手法は女性に元々備わっているものなのだろうか。情けない事にどちらも心を動かされてしまっていたので、効果はてき面だと思うが……。 「けどやっぱり桑野さんは、他の人と何か違うなって気付いてきて――その時にほら、ボクが失敗した時あったでしょ?」 「失敗……ああ、樫村飼料さんのデスクトップの件ですか。あれは私の確認不足でもあった訳ですし」 「そう、それ。でも桑野さんが今言ってくれたみたいに、当時も全然責めなかったでしょ? 白檀だったら、ミスした人は可哀想なくらい皆から責められてたから、そういうものだと思ってたのに。でも桑野さんはそれどころか、気にしなくていいから早く帰れとまで言ってくれたよね。その辺でもう……ほとんどダメだった」
/214ページ

最初のコメントを投稿しよう!