九―三

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「駄目だった?」 「うん……まぁ、何と言うかその…………あ、あのね、忘年会の帰りに言った秘密、ね? あの時、事務員さんや椋木主任に聞かれたんだ。『桑野さんの事好きなの?』って。そこでは濁したんだけど、周りが勝手に盛り上がっちゃってね。椋木主任なんかは『じゃあ俺が桑野に聞いて来てやるー』ってトイレに行った桑野さん追いかけていって……いざ話してみると、あんまり大した秘密じゃなかったね、ごめんね」 「それであの時丁度良いタイミングで椋木さんが……。いや、それよりも――」  椋木さんの名前を彼女の口から聞いて思い出した。杉岡さんは今、彼からのプロポーズを受けたのではなかったのか? それを覚悟の上でこの部屋に訪れたんだ、確認しない事には、また一人で先走ってしまいかねない。 「椋木さんとの事ですが。先程は違うと言っていましたが、プロポーズをされたのでは?」  その一言で、膝上の手が突如また胸元まで引っ張られる。だがこちらも覚悟の上でこの部屋に訪れたんだ、確認しない訳にはいかない。 「来月大阪に異動になるから、家族全員一緒に来て欲しいと。それを受け入れた上で、この部屋にいると……?」 「プロポーズを受け……だ、だから違うってば!」 「おわっ!? わ、わかっ、分かりましたから、あんまり胸に手を押し付けないでください!」 「あ……ごめん。で、でもちゃんと断ったよ? …………正直、凄く迷ったけど」 「断った……そうなんですか?」 「うん……」 杉岡さんは申し訳なさそうな表情で頷く。『迷った』という事に後ろめたさを感じているのだろうか。 「一緒に大阪に来て欲しいって言われた時は驚いたし、いきなりそんな事言われても無理だと思ったの。でもね、娘との時間が取れるのは凄く魅力的だった。ママも実は体があまり強くないから、いつまでも任せっきりって訳にはいかなかったし」 「ええ、母親なら……いえ、母親じゃなくとも家族の事を想えば当然の事だと思います」 「それに、桑野さんはこのまま栗原さんとお付き合いするのかなって思ってたし」 「う……い、いや、それはですね? 話せば長くなると言うか、元々そういうものではなかったというか……」  要領を得ない私の回答に、杉岡さんは少しむくれたような表情になる。――が、少し考える素振りを見せて話を続けた。
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