九―三

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「でも、やっぱりすぐに答えは出せないから、少しだけ考えさせてって伝えたの。椋木主任は快諾してくれて、『じゃあ飯食ったら帰ろうか』って言ってくれたんだ。その時に、椋木主任のスマホが鳴ってね。それを見て、残念そうに教えてくれたよ。『桑野、栗原を振ったらしい』って」 「栗原さんからのMesseですね。恐らく、私が会社を出てそちらに向かったくらいの事で――ど、どうしました?」 「そういうのじゃないって今、桑野さん言ったのに」 「そ……」  先程までの()(しき)ばんだ表情から、杉岡さんは泣きそうな顔に変わる。胸元の手が再び強く握られている事から、こちらが思っていたより栗原さんの件は彼女に強い不安を与えていたのかもしれない。 「そ、それはですね。その……はい。詳しくは省きますが、彼女に告白されたのは事実です。ですが、その場でお断りしました。これから杉岡さんの所に行くから、と」 「ボクの……そっか。あのね、桑野さんと栗原さんが付き合わないって分かって、安心しちゃってる自分がいる事に気が付いたんだ。だから私も、その場で断っちゃった。それでも主任は全然怒らなくて、『じゃあ、せっかくだから桑野の事を相談ついでに、個室で少しだけ飲み直そう』って誘ってくれたんだ。でもボトル1本空けたくらいかな? タバコ買いに行くって出ていっちゃって」  そのタイミングで、先程のエレベーターホールで鉢合わせたのか。――しかし椋木さん、私が向かっている事は杉岡さんに伝えず、自身がプロポーズを断られた事も私には告げず……良かれと思ってしての事なのだろうが、やっぱり意地の悪い人だ。 「その時、椋木主任ね。『コンビニでイイ女見つけたら、ナンパしてそのまま帰ってこないかも。もし一時間経って来なかったら、悪いんだけど自分でタクシーでも拾って帰ってくれ。そこの封筒ん中に交通費入れといたから』だって。多分、桑野さんが来るの分かってて言ったんだろうね。ふふ――」 「ええ、恐らく。実はそこのエレベーターの前で椋木さんには会ったのですが、特段驚いた様子も無かったですから」 「やっぱりそうなんだ。凄い人だよね、椋木主任って。――ねぇ、桑野さん」 「は……はい」  天井を見つめる様に笑顔を浮かべていた杉岡さんは、ゆっくりとこちらに顔を向ける。その視線を移動する間に彼女の表情は引き締まり、極めて真剣な面差しへと変わった。 「どうして今日、来てくれたの?」
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