【尾毛貴美雄】東京/9月4日14時35分

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【尾毛貴美雄】東京/9月4日14時35分

【尾毛貴美雄】東京/9月4日14時35分  逆行性健忘症。いわゆる記憶喪失。  診断の結果、医者からそう言われた。  念のためにCT検査をしたが特に異常は見当たらなかった。頭部に腫れている箇所があり、ここを打ったせいかもしれないとは言われたが、僕自身ピンと来ていない。  響に妙な確認をされ、医者に記憶喪失と言われ、ショックではある。本当に僕が記憶喪失? いたずら、なワケはないか。意味がない。  実感が湧かない。ない記憶をどうこう言われても思い出せないのだから実感がないのは当然だろう。  医者からは「恐らく短期的なものだろうから日常生活の中で何かキッカケを見つければ自然と記憶が戻るでしょう」と言われたが、そんなものは手相見の予言と変わりないレベルの話だ。  病院を辞した後、響に案内されて今僕らが住んでいるというマンションの一室に連れてこられた。  駅は元より、マンションまでの道すがらの景色からマンションの外観まで、全然記憶にない。結構曲がりくねった道をしていたし、何ヶ所か曲がりもした。恐らく今一人で駅まで行けと言われたらスムーズには行けないだろう。  部屋に入るとこれまた記憶にない間取り。しかし、置かれている家具や机や資料には僕のものと知っている物がいくつも転がっていた。  本当にここで暮らしていたんだ、と理性では理解した。壮大なドッキリという線も考えたが、そこまでする理由と時間が響にないことがすぐ分かったのでこの線は却下。  となると、本当に記憶喪失、なのか。僕は。  体験を小説に生かしたいが、覚えていないことによる体験って本来見覚えがあるはずのものに新鮮さを感じるだけで、特段何かあるわけでもないから生かしづらいな。  見慣れた自分の机に手を置くと、ここが本来の僕の居場所なのだと少し実感が湧いた。  でも、記憶に変わりはない。僕としては何ら変化を感じられない。  この空白の1年間にあって、1年以上前にはなかったもの。  そういう手がかりがキッカケで記憶が戻ることもあると言われた。  普段から代わり映えのしない生活を送っていた僕のことだ、そんなものがあるかどうか。  響に伊吹山の登山に連れられていったように、どこかに連れ出された記念品でもあれば思い出せるだろうか?  でも、この1年間に響が忙しくて一緒に出掛ける暇がなかった場合は? 出掛けていても二人ともご当地グッズを買う趣味はないから形のあるものはないかもしれない。  響に直接聞けば良いのだろうけれど、この部屋には今は僕一人しかいない。  少し前、電話が掛かってきて対応した後に、少し困ったような顔をしながらも仕事に行くと言って響は出て行ってしまった。  記憶にある品々があるのに記憶にないこの部屋は、不思議な印象を僕に与え続けている。  僕だけが知らないこの場にいると、馴染みのあるメンツの中でまるで自分だけ仲間外れにされているような気がして、なんだか寂しい。  誰が見ているわけでもないのに、まるで逃げるように所在無げな視線を彷徨わせた。  するとふと、響の机の上にある1冊の本に目が留まった。これまで見たことのない青い装丁の、そう厚くもないハードカバー。  引き寄せられるように机に近づくと、その本を手に取る。  近くで見ると何回も読んだのか端の紙がよれている。表紙に傷がある辺り、持ち運んで読んだりもしたのだろうか。  いや、外観の印象に逃げるのはやめよう。  僕は手に取った瞬間目に入っていたその本のタイトルに向き合うことにした。  本のタイトルは『カワラナデシコ』。  ……僕が今書いている小説のタイトルと同じだ。  著者名に目を落とすと、「尾毛貴美雄」と、僕と同じ名前が並んでいる。  嘘だろ? これこそドッキリじゃないのか?  自分を疑いつつも、響の言葉が蘇ってくる。 「こないだ初めて単行本が出たじゃないか」  あいつはそう言っていた。  これが、そうなのか。  そうなのだろうか。  僕は自分の椅子に座り込むとおそるおそるページをめくり始めた。 『カワラナデシコ』―25頁― 「……今、君と去年登り切って休憩した伊吹山の登山口付近の岩に腰掛けている。周りには去年の僕らのように一山越えた達成感に微笑み合っている人たちがいる。家族連れも、カップルも、お年寄りの集団も、友達同士も。  そんな風景の中、遠くからはしゃぐ声が聞こえてきた。子供にしては声が低く、それでいてその辺の子供よりも節操がないほど大きい声。僕の友人である杏が僕に向かって駆けてきていた。  カメラを片手に僕の視線に気づいて手を振る君は大層間抜けに見えた。つい、苦笑が漏れる。  二人揃って少し先にある古びたお堂に足を向ける。伊吹山には薬草が多く自生しており、お堂には薬師如来が祀られている。  ここで修行をしていた人たちは意外と健康生活を送っていたんじゃ、なんて軽口を叩く君は機嫌が良いように見えた。歴史という過去に思いを馳せつつも今の感覚を忘れずに物事を捉え直す君の元気さ、現金さは見習わなければならないところがある。  少し歩けば、パノラマが広がっている。  去年も綺麗な景色だったが、今年も綺麗だ。  遠くに見える琵琶湖も、高く澄み渡る空も、咲き誇る花々も、全てが鮮やかに世界が輝いて見えるようだ」
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