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【尾毛貴美雄】東京/9月4日15時50分
【尾毛貴美雄】東京/9月4日15時50分
単行本として存在する『カワラナデシコ』を読み進めていく。そこには今の僕が書いているものと同じようでいて違う情景が描かれていた。
僕がこの3日間書いていた「カワラナデシコ」には、旅行先に杏という同名の友人がいない設定となっている。だが、この『カワラナデシコ』では旅行先の伊吹山に友人の杏と一緒に出掛けたことになっている。
どんどんと『カワラナデシコ』を読み進めていくにつれて増していく違和感。
書いた覚えはないのに、きっと彼がいたらこう書いただろうという文章が模範解答のように目の前に展開されていく。
だからこその違和感。自分の文章だとはっきり分かるのに、書いた覚えのないちぐはぐ感が溜まっていく。
その違和感の蓄積は限界に達し、爆発した。
一瞬、目の前が真っ白になった。強い立ちくらみに襲われたようにフラフラとし、本を取り落としてしまう。
思い出した。思い出したぞ。
次の瞬間には脳裏に様々な記憶が浮き上がってきた。
先ほどまで違和感のあった文章が、今では過去の自分の記憶として思い出せる。今読んでいる文章を書いている自分の手が脳裏に浮かぶ。
そして、奨励賞をもらった日の、響が自分のことのように嬉しがる姿もまた鮮やかに浮かんできた。
落とした本を拾い上げると、そこにあったのはもはや新鮮感ではなく見知った安堵感であった。
『カワラナデシコ』。
花言葉にもあるように、可憐さと大胆さと我が子のように慈しみたい想いを乗せたこの本のタイトルが、今燦然と僕の前に存在していた。
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