13人が本棚に入れています
本棚に追加
/14ページ
【佐々木響】東京/8月30日11時40分
【佐々木響】東京/8月30日11時40分
何か忘れている気がする。
そんなことはないはずだ。そんなことはない? ホントのところは分からない。だって分からないからこそ忘れている気がするのだから。
胸元の携帯電話の振動を受け、周りを確認して歩道の脇に寄る。通知が来て10秒くらいなら待たせるうちに入らないだろう。
「はい。佐々木です」
電話は会社からのもので、午後に回る予定の出版社の担当が急用のため打ち合わせのリスケジュールをお願いしたいという伝言内容だった。
著作権エージェントとして海外児童書の翻訳権を持ち込む話は手に余るくらいなので、了解した旨を伝えて通話を切る。
向こうも忙しいのだろう。そういう人に対しては都合に合わせることにしている。そうすることで次回会った時にこちらに気を遣ってくれるために良い話がしやすくなる。
決して唯々諾々とスケジュール調整をしているのではなく、これも営業スキルのうちだと冷徹に計算する。
時間に少し余裕ができたし、電車に乗る予定もあったため、そのまま歩いて駅前の喫茶店に入って休憩することにした。
海外の作家の著作権を媒介する仕事をしていると、気が付くと常に動き続けることになってしまう。
だからこそ自分で息抜きをする時間を作らないとダメだと俺は考えている。
動ける時間全てで何かをし続けるのは疲労で逆に効率が落ちる。状況次第で動きを変えることで時短にも繋がる。そのためには休む時間を作ることが必要だ。これは俺が決めた俺のためのルールでもある。
去年から国内作家のエージェント業も始めた今となっては、頭の中はいつもいっぱいいっぱいだ。
2時間半後のアポ先で紹介する予定の作品と名前を確認する。
天龍寺(てんりゅうじ)響(ひびき)先生、この人は最近新人賞の最終選考まで残った実力のある人だ。あと、下の名前が俺と同じだからなんとなく応援している。こういうのは感覚だ。
どう動くかのあたりを付けたら後はリラックスタイムだ。
忙しいからこそ何も考えない時間を作らなきゃいけない。タバコは吸わないが、タバコを吸う効効能は理解しているつもりだ。強制的に休めるタイミングを1日の中で作れるというのは地味に大切だ。
注文し運ばれてきたカフェオレを口に含む。糖分とカフェインが脳に染み渡るのを感じながら、無意識に任せて頭の中を整理する。
そんな時、よぎる不安。具体的ではないがゆえに漠然としかそれは表現できない。
何か忘れている気がする。大事な何かを。
最初のコメントを投稿しよう!