【尾毛貴美雄】東京/9月3日15時48分

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【尾毛貴美雄】東京/9月3日15時48分

【尾毛貴美雄】東京/9月3日15時48分 「……遅いなぁ」  座りっぱなしで書き物をしていた身体をほぐすため、伸びを一つ。  関節付近から音が鳴り、伸ばした筋に心地よい微量の痛みが走る。  少し効かせ過ぎていたが面倒くさがって放っておいたエアコンの温度をようやく2度上げた。  立ち上がり、近くの金物屋で買ってきたヤカンを火にかける。  ここに越してきて早3日。  家具の手配を任せていたはずの同居人の姿はまだない。おかげで慣れない日用品の買い物を先にしてしまった。  それもこれも著作権エージェントなんていう飛び回る仕事をしているあいつのせいだ。連絡もないけれど、どうせまた忙しさにかまけているに違いない。学生時代から考えればこれが初めてというわけでもないし。  ……単にそうなら良いのだけれど。携帯に掛けても何故か繋がらない辺り、不安がよぎる。  もしかして何か事故にでも遭ってはいやしないだろうか。  って、僕は何を心配しているんだか。30近くになる大の男の心配をしている暇があるなら、自分の仕事の心配をしなくちゃいけない。  ほうじ茶を淹れ、手持ちのノートパソコンを開くとホームポジションに手を添える。  さて、投稿用の旅行記の続きに取り掛かろう。華々しいフィクションではないけれど、淡々と感情の機微を描く私小説。それが今取り掛かっている題材だ。  眼に映るのは小説のタイトル。 「カワラナデシコ」。 「カワラナデシコ」―18頁― 「滋賀県と岐阜県の境にある伊吹山。日本百名山に数えられるこの山は標高1377メートル、古くは古事記や日本書紀において描かれるヤマトタケルの伝承が有名だ。荒ぶる神である白猪の氷雨に打たれてヤマトタケルが重傷を負ったのだ。  また、山岳信仰の篤いこの地は中世の修験道の地として有名であり、ここで修行をすると極楽往生できるとの話もあった。  初夏。現代は便利な時代になったもので、山頂を目指すのに長々と歩く必要はなくなった。  伊吹山ドライブウェイが開通し、修行の地とされているだけあって険峻な箇所もある登山ルートを経なくとも、山頂の花畑と雄大な景色が堪能できる。  今日は、本当はここに一人で来るつもりではなかった。  一緒に来る予定であった友人である杏(きょう)が軽い事故に遭い、片足を骨折して入院。  予定を先送りにしようかとの提案をしたが、山頂付近に咲くカワラナデシコが見たいから行って写真に収めて来てくれと言われた。  弱っている相手の我儘に付き合うのも見舞いの内と、こうして一人バスに揺られているというわけだ。  窓から見える景色は中腹からでも既に絶景だ。青々と繁る山々、広がる青空。遠くに見えるあの大きな湖は琵琶湖だろうか。  隣のシートは空白。ここにお喋りな君がいたなら、きっと道中こうしてゆっくり窓から外に目を遣ることもなかったのだろう。  君が居ないことで得られた景色が、君が居たらしていたであろう馬鹿話の時間よりも良いものなのかは、僕には分からない。  山頂のスカイテラスに到着する。天候に恵まれ、太陽が眩しい。初夏でも山の上の空気は澄んでいてひんやりしており、風が青々とした草花の香りを運んでくる。  なだらかに延びる山道を進みながら写真を撮って行く。  シモツケソウ、メタカラコウ、クガイソウ、コオニユリ、ヤマホタルブクロ、そしてカワラナデシコ 。  君が全部、教えてくれた。伊吹山に行くとなったあの日、嬉しそうに登山マップと植物図鑑まで引っ張ってきて、億劫そうな僕に季節の花を説明してくれた。  どうせ君も一緒に来るのだろうと聞き流していたが、いざ君が居ないとなると思い出す花の名前も自信がない。  居る分にはうるさいやつだが、居ないとなると静けさが新鮮なほどだ。  ここでは時折通りすがる人との挨拶以外、風の音と微かな葉擦れの音が通り過ぎるだけだ。  開けた視界に、すくすくと育った夏の雲とどこまでも続く空と大地が広がる。  自然の美しさを感じる瞬間というのは人のちっぽけさを知った時と言うが、本当のようだ。  今、僕の隣には誰もいない。」
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