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【尾毛貴美雄】東京/9月3日22時50分
【尾毛貴美雄】東京/9月3日22時50分
佐々木(ささき)響との仲は、僕の大学時代からの腐れ縁だ。
最初の出会いは、朝9時開始の1限の心理学の授業だった。3回目の授業の終わり際に、たまたま隣に座っていた響が話し掛けてきたのだ。授業で配布される資料であるレジュメの前回分をコピーさせてくれないか、と。
初回の授業の時に心理学の先生は「レジュメの中からテスト内容を出すからレジュメさえちゃんと見てれば単位取るのは楽だぞー」と気楽に言い放っていた。楽な授業があるとは噂に聞いていたけれど、テストに苦労しなくていいのはありがたいな。
響はどうも2回目の授業に出なかったらしい。その時は別にいいよと承諾し、学内のコピー機を使った後に早々に別れた。
6回目の授業の時、またも隣に座っていた響が同じことを頼んできた。
8回目の授業でも同じことがあった。僕には特段デメリットもないから気にはしていなかったけれど、響は流石に気まずさがあったのかその日は学食で昼を奢ってくれると言ってきた。
懐の寂しい学生時代に昼飯を奢ると言われて断るやつはそうそういない。僕も御多分に洩れなかった。
控え目に日替わりランチを頼み、響はうどん大盛りを頼んで一緒に食事をした。
そこで初めてやっとまともに話したような気がする。
授業を欠席してレジュメをもらい損ねる理由もその時に聞いた。なんでも、朝が弱いせいで1限の授業に間に合わないらしい。心理学以外の授業は2限からの授業ばかりなため、心理学の授業は一番の鬼門と響は響なりに弱っていた。
折角テストが楽そうなのにレジュメをもらえず単位を落としてしまうと、また来年も1限との戦いになってしまう。それだけは回避したいのだと力説する響を、僕は面白いやつだなと思った。
それからだ。レジュメのやり取りがある日以外でも昼食や場合によっては夕飯を一緒にし始めたのは。
僕は文学部で、響は経済学部。他の授業では一緒になることはなかったが、別に嫌な感じはしなかった。
特に決まっていたわけではないが、直接会った時やふらっと携帯に連絡が入ると一緒に行動した。
ある日、図書館で小説を書いている僕を初めて見た響は執筆作業に興味を覚えたようだった。出版関係も面白いかもしれないな、なんて言っていたが、その時は単なる感想とばかり思っていた。
卒業後、気づけば響は経済学部を出たくせに著作権エージェントという珍しい職に就いていた。
なんでも、国内外の著者の出版権利を持って出版社やメディアにプレゼンと紹介をして作品を世に出す手伝いをしていると聞いた。
その話をしながら、仕事の一環として僕の書いたものを売り込ませてくれと言ってきたのが4年前。
何か賞を取ったわけではないが気づけば僕の作品が本になっていた。響のおかげだ、と伝えると、タイミングが良かったのさと少し照れたように言った。
その後も事あるごとにウチを訪れては2割仕事の話、8割与太話をして帰っていくようになっていた。
お互い30手前で独身。
ふとある時、二人とも食ってはいけているが稼げてるほどでもないと苦労話をしていたら、共同で部屋を借りないかと響が言ってきた。
ルームシェアというやつらしい。別に一緒にいて不快なわけでもないしもはや腐れ縁だ、単純に節約になるならとOKを出した。
話はつけておいたからと契約日には僕一人で向かった。
大家はこの部屋で良いんですよね? と何度か確認してきたが、響は要領だけはいいやつだと知っているから細かい確認もせずに頷いた。
あいつが選んだのなら間違いはないだろうし、仮に間違っていたらあいつに後始末をさせればいいだけのことだ。
気軽に入居し、後で部屋に荷物を持って行くとだけ言っていた響であったが、この3日間音沙汰がない。
仕方のないやつだなぁ。前から勝手なところがあったが、そういうところも含めてそういう人間だと認識している。
それでも。連絡の一つも寄越さないだなんて、響らしくない。
もしかしたら、本当に僕のことを忘れてしまったのだろうか。
「カワラナデシコ」―25頁―
「伊吹山に来たのは去年に続いて2度目になる。去年は君が僕をここに連れて来てくれた。
標高1000メートル強のハイキングができる山、だなんて適当なことを言っていたのを思い出す。
実際に二人で登ってみると最初は良かったが半ば手前から木々が少なくなり、勾配が上がっていった。草原のような中腹を過ぎると岩肌が目立ち始め、山頂手前からは四つん這いになって岩に手を這わさないと登れないほどだった。
体力のない僕を先導する君は、自分も疲れているだろうに参ったねと言いながらも微笑を崩さなかった。
予想外の状況でもそうして弱ったようなセリフとは裏腹に場を楽しめるのは君の才能だよ。
今、君と去年登り切って休憩した登山口付近の岩に腰掛けている。周りには去年の僕らのように一山越えた達成感に微笑み合っている人たちがいる。家族連れも、カップルも、お年寄りの集団も、友達同士も。
そんな風景の中、僕の隣には君がいない。
写真を撮ってきてくれと見舞いに行った病室で言われたことを思い出して持参したカメラのファインダーを覗く。
去年とそんなに変わらぬ景色のはずなのに、今年はなんだか違う場所に来たようにも見える。
別に見える景色が悪いわけではない。ここからの眺めは360度絶景だ。
少し先にある古びたお堂にも足を向ける。伊吹山には薬草も多く自生しており、お堂には薬師如来が祀られている。ここで修行をしていた人たちは意外と健康生活を送っていたんじゃ、なんて軽口を叩いていた君の姿が思い浮かぶ。
病院に行けば足を吊っている以外は元気な君がいることは頭では分かっているのに。
ここにこうして君がいないだけでお堂も僕も風化したような殺風景さを覚えてしまう。」
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