かりやど

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甘く、蕩けるような香り。これは一体何から生まれたのだろう。 行った事も見た事もない、きっと名前を聞いても知らない国の。神聖な場所で焚かれる香のような、未知の空気が満ちている。 私の知っている小さな世界の空気はどんどん上書きされて、もうほとんど残っていなかった。 カーナビを内蔵しているかのように、私の足は目的地に向かって進んで行く。 たとえばファストフード店のような、たとえばコンビニエンスストアのような。その店はいつでも気軽に立ち寄れる場所ではない。 店主の気まぐれで現れては消える、私が目指すのはそんな不可解な場所だった。 緑と赤を基調としたステンドグラスが嵌め込まれた扉を押せば、ぎぎぃと呻くような音が響く。扉の上部に取り付けられた古びた鈴がちりんと可愛らしい音を立てて私の来訪を報せた。 「…また来たのか」 鰻の寝床のような細長いスペース。その両端にずらずらと並ぶ本棚には、背の厚さも高さもちぐはぐの書物がこれでもかと詰め込まれている。 「…しつけぇなぁ。そろそろ諦めたらどうだ」 本棚のべっこう飴色に、ステンドグラスから入り込む何色もの彩り。男の口に咥えられた太いパイプから上る白い煙が私の顔に無遠慮にかかる。男は鰻の寝床の一番奥に置かれた丸太のような机に頬杖をつき、大きな欠伸を一つ溢した。 「…初めに言ったじゃないですか。私はずっと待っているんです。その為なら何度だって来ますよ」 「だーかーらーぁ。待つって言ったって、来るかどうかも分からねぇの!」 「…今日、あの人はいるんですか」 人の話聞けよ、と男は盛大な溜息を吐きながら背の方をちらと見やる。そこには私の背丈ほどはありそうな、大きな額縁が飾られていた。 絵画に描かれているのは板チョコレートのような扉。瞬きせずに見詰めると、扉が少しずつ開き始める。 「多分、もうすぐ降ろして出て来る」 その言葉を合図にするように、扉の隙間が一気に開く。そこからするりと覗くのは、白い指先。その様を見るのは何度目かのはずなのに、私はごくりと唾を飲む。 魔法か手品か、それとも奇跡か。世界の時間を止めるような、一瞬の閃光が飛び散った。
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