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無線の罠3
結局、僕とサキさん以外の同僚が出勤してきたのは午前十時を過ぎてからだった。
その間トラブルは無く、サキさんと笑いながら平和に過ごすことができた。
「では行きましょう」
僕はノートパソコンを手に持ちドアに向かう。
「一本電話をかけるからちょっと待っててー」
サキさんは電話の子機を片手に、機材を置いている棚に向かっていた。
何か持っていく物があるならば僕が取りに行こうと思ったが、棚のエリアは狭く二人入ると邪魔になる。仕方なく、ドア付近の来客用テーブルで待つことにした。
待つこと数分、サキさんはノートパソコンとトランシーバーのような機器を持ち、僕の待つテーブルまでやってきた。
「お待たせ」
「いえ、ほとんど待ってませんよ。それは?」
「WiFiテスターよ。これでWiFiの電波強度を見ることができるの」
サキさんはWiFiテスターの電源をつけた。
画面には様々なWiFiのIDと電波の強さと思われる数字が表示されており、大学のWiFiである"shisenwifi"も表示されている。
「さあ行きましょう」
サキさんは部屋の外に出ると、速足で廊下を進んでいく。
サキさんの細い下半身にフィットしたパンツスーツは、歩くと足のラインをきれいに描く。胸部はなだらかな曲線を描き、腰のくびれ、細長い足。斜め後ろから見ているとちょっとしたことに気付いた。
「そういえば、サキさんはパンツスタイルなんですね」
サキさんは自分の足元に目を向けた。
「何? 私の脚に見とれちゃった?」
「ちっ違いますよ。」
冷や汗をたらしながらごまかす。いえ、体全体に見とれてました、などとは言えない。入職して一か月と立たず性癖を暴露しセクハラでクビになりたくはない。
「ホント? もしかして、そういうフェチだったりするのかな」
「えっと、事務の女性はみんなスカートだったから、ちょっと不思議に思ったんです」
必死に言い訳を絞り出した。
「あー事務はスカートの方が印象良いからねー」
「ですよね」
「情報部での仕事は絶対こっちのほうが良いから、私はパンツスーツばかり」
「何かあるんですか?」
「サーバー室でずっと座って作業することもあれば、脚立使って天井の点検口覗くこともあるのよ。スカートだとその時にずっとお尻を気にしないといけないじゃない」
「脚立使うって、そんな工事業者みたいな……」
「情報部ってプログラマーみたいにずっとデスクの前にいると思われているけど、そんなことは全くないない。今回みたいにトラブルがあったら現地を調査する必要もあるよ」
「もっとキーボードをカタカタと打ち続けているイメージがありました」
「あれはつらいわよー。毎日ひたすら仕様書のとおりに動くようプログラム書き続けるのは、頭脳労働じゃなくてただの肉体労働。土方とか言われる気持ちはわかったし、思った通りにできなかったらキーボード割っちゃいたくなる気持ちよくわかってしまったなー」
「プログラマーをされていたことがあるんですか?」
「言ってなかった? 私、中途採用で二年前に転職してきたの。前はプログラマーとかSEとかやってたんだけどね」
全くもって初耳だ。
「聞いてませんし、大学に中途採用なんてあるとは思いもしませんでしたよ。新卒か派遣しか採らないと思ってました」
「結構外から来てるよ。留学生担当する人とか広報とかはやっぱり外から経験ある人が欲しいだろうし、うちの部署なんて何よりそうね」
「確かに……」
「新卒で来たの、たぶんキリ君が初めてじゃないかな」
部屋のメンバーを思い浮かべて、その通りだろうと確信した。みんな何かしら本や授業からだけでは得られない技能を持っている。どのような経験を積めばこの人たちのような技術者になれるのか見当がつかない。
「前職はどんな感じだったんですか?」
その問いは、思わず口から出てしまっていた。
「えっとねー。あっ、そろそろ目的地に着いたからまた今度」
僕とサキさんは第三講義室と書かれた標識の前に立っていた。
僕たちが働く総合棟はコの字型で三階建ての棟である。コの二本の横線が北に向かって伸びているため、凹の字型と言ったほうがわかりやすい。そして東側、西側の部分をそれぞれ東ウイング、西ウイングと呼んでいる。情報部が一階東ウイングの北端にあるのに対し、第三講義室はその逆、一階西ウイングの北端にある。第三講義室の南側には第二講義室、第一講義室と並んでいる。各講義室とも南側、北側に一つずつ、スライド式のドアがあった。
講義室の外には学生用の鍵付きロッカーが講義室反対側の壁に沿って並んでおり、学生一人につき一つ割り当てられている。ロッカーは北端に少し空きスペースを残してびっしりと並んでいた。
講義室には明かりがついていなかった。今は講義がないはずだが、万が一講義中だったらと想像すると気が引けるため、そっとドアを開ける。
無人。一安心だ。他の講義室も真っ暗であることから、合同体育のような講義が外で行われているのかもしれない。
「さっさと確認しちゃいましょう。キリ君、ノートパソコンでWiFiつながるか見てみて」
「はい」
持ってきたノートパソコンを開く。電源を落としていなかったため、すぐにデスクトップ画面が表示された。
画面右下にWiFiマークが見え、正しく接続されているようだ。
「普通につながってますね」
「なら速度テストしましょうか。インターネットを開いてみて」
「はい」
デスクトップのアイコンをクリックしてブラウザを開く。ブラウザの画面自体はすぐに開いたが、なかなかトップページが読み込まれない。普段ならばすぐにニュースサイトのトップページが開くはずなのに。
「なんか遅いです。開こうと頑張ってるようには見えるんですが……」
画面を見る限り少しずつ読み込まれているため、インターネットにはつながっているのだろう。
「うーん。ちょっと電波の強さを調べてみようか」
サキさんがWiFiテスターの電源を入れ天井に向けてかざした直後、ノートパソコン上のブラウザにニュースが表示された。
「あ、開きましたね」
「機嫌でも悪かったのかしらね」
「かもしれませんね」
リンク先をクリックするとサクサク画面が切り替わっていくことから、問題なくインターネットにつながっているようだ。
このようなことはパソコンが更新しており画面を開く余裕がない、多くの人がインターネットに同時アクセスする、パソコン上で何かしらエラーが起きているなどが原因でたびたび発生する。トラブルが起きている最中ならば原因は追いやすいが、治った後の原因特定は手間であり、そういう時サキさんは機嫌が悪かったの一言で済ましていた。
「私のパソコンでも普通につながっちゃった。今は問題なさそうだしここで出来そうなことはないから、今度問題が起きたときに連絡をもらってそれから調査に行きましょうか」
「ですね」
「一応戸締りを確認してくるね」
サキさんは講義室の奥まで行き、手で窓が開かないか確認している。
僕は撤収のためノートパソコンを持ち、振り返った。ドアに最寄りの席で作業していたため、数歩でドアに手が届きそうだ。
その瞬間、ドアの外でドンっと鈍く大きな衝撃音が響いた。
普通の音じゃない。
そう直感し、反射的にドアに駆け寄った。
勢いよくドアを開ける。
廊下では、僕の出たドアの逆側、つまり北側のドア前で、人が倒れていた。
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