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NECRO phobia
どうしても気になってしょうがないボクは眠れなかった。一緒に布団に入って寝ている猫は寝息を起てているというのに。元はと言えば、こいつが全ての始まりだった。どうして、猫を飼おうと思ったのだろう。
その理由は簡単だ。別にそれが犬でも拾ったし、人間の子供でも拾っただろう。ただ、あの雨に濡れてでもどうにかしてあげたいという彼女を助けたかった。だから猫を拾って帰るのが一番だった。
なぜ助けたいと思ったかは……なんとなくだ。話したことなんて無かったし、助ける義理も無い。でも一つ言えるのは、興味があったのだ。誰とも話さないどころか一切声を出さない。小中高と同じ学校のせいか、みんなはそれが当たり前なのかもしれないけど、ボクにはそれが普通と受け入れることが出来なかったのだろう。だから学校で寝ている彼女を起こしてみたりして、『声』を聞きたかった。関わりたかった。
「お前のおかげだな」
撫でてやると、寝てるんだから邪魔するなとばかりにそっぽを向かれた。関わるのも限度を過ぎるとこうやって拒まれる。人間と猫の性質が全く同じかと聞かれれば、違いはもちろんあるけど、気まぐれの彼女は人間よりも猫に近いとさえ思う。
撫でる手を止めると、振り向く。どうして欲しいんだよ。ボクは嫌がられることを覚悟で構い続けてれば良いのか?
それが正解らしい。グルグルと気持ちよさそうに、ノアはノドを鳴らしていた。小さな身体にモーターでも入っているみたいに。
昼過ぎに起きたボクは、なんとなく電話を掛けていた。
『はいはい』
誰も聞いた事が無いであろう、ふんわりとして気の抜けた声だった。思わず違う人に掛けたのかと思うくらい、あのメイクばっちりの外見とは結びつかなかった。
「今起きたの?」
『うん。寝るの遅くてさ。あいつに昨日会えた?』
相変わらず直球だ。変化球を知らないとかじゃなく、必要とさえしないくらい。一番避けたいところを狙って来た。
「うん……会えたよ」
『ふぅん。言った通りっしょ? あの女、ライブハウスにちょいちょい来てバンマン掴まえてくの。まぁ、昨日会えたんならまだ変わってないっぽいね。で、それが言いたかったの?』
声のトーンが落ちて少しばかり恐い。〝あの女〟の話題になるとそうなる。牽制するように。何か本当に後ろ暗いことがあったとして……考えてみれば別に特別な関係でも無いから、何も言える立場には無いわけだ。
「る、ルナもよく行くの? ライブハウスとか」
地雷を踏んだ? 反応が無い。何がまずかった?
「ていうか……電話もなんだし、ノアが会いたがって昨日からうるさいんだ。会えない?」
『会いたがってるのは誰でしょ~か?』
よくわかっている。顔も見えないはずだし、嘘をつくときに口数が増える癖も把握していたのに。
『良いよ、でもうちに来て。アタシが自分で色々言ったのも悪いけど、ケリをつけよ』
「……ケリ? なんの?」
『多分、全部話したら陽が思うアタシじゃない。それでも友達続けたかったらどうぞ。離れたかったらそれで良い。アタシは元に戻るだけだから』
「……そんなにきっぱりしなきゃいけないものなのか? みんな上手く隠してやっているわけだしさ」
『その隠してることが気になってるくせに言うの? アタシは上辺で仲良くしたくないから。じゃ、駅着いたら連絡してね』
電話を切った直後に吐き気が来るなんてそう滅多に無い。あってたまるか。緊張+怒ってそうな彼女+踏み込んでしまった自分への後悔=不安。それに尽きる。戦場で銃を向けられるよりも恐い。
ルナは一人という元の状態に戻るだけかもしれないけど、一度出来た関係を壊す事は元に戻るとは言わないだろう。
とはいえ、もう行くしかない。良くないとわかりつつ召集の度に戦場に行くから、いい加減馬鹿じゃないのかと思ってしまう。これだって同じだ。どんな猛攻にもボクは耐えて見せる。
地下戦争一の兵士だから。
重たい足取りで、津田沼駅に向かう。外はふざけたくらい晴れていた。梅雨のくせに。この空から雨が降るなんて全く思えない。空気読めよ、太陽。もう少しどんよりしてボクの気分と合わせてくれないか?
電車に乗り、目の前のカップルと目が合う。クラスメイトで、思わず隣の車両に逃げた。ハルの気持ちがわかる。なるほど、普通はカップルでも話す時はあんなに近付かないものなんだな。そう考えると、傍から見たボクらは異常に仲の良いカップルに見えたかもしれない。
それも、今はもう昔の話だけど。初実戦の時だから、まだ一ヶ月前……もう一ヶ月前? 何人が死んで何人を殺せたのか。いつになればこの戦争は終わるのだろうか。
『次は~、本八幡~、本八幡~です』
放送が入って、ボクは身構えた。戦いが始まる前のような、緊張感を周囲に撒き散らしている様は、不審な奴かもしれない。
『駅着いたよ』
とだけメッセージを送る。もうちょっとで着くらしい。邪魔が入らないようにデバイスの電源は切った。そうだ。こうすればメールが届く事も無い。召集令を見なければ行く必要なんて無い。なんで気付かなかったのか。
ただ、あまりにもデバイスの存在に依存している現代社会は、電源を切りっぱなしにしておくなんていうことは不可能だ。
昨日出たロータリーを眺めていると、つかつかと足早に、未だにパーカーを着てフードを被りながら彼女はやって来た。
「暑くないの?」
「暑いよ? でも着たいから着てる」
下は先日あげたスカートだからまだ涼しそうではある。夏と冬が一緒に来たみたいな恰好だ。
「行こ。暑いけど家近いからすぐ着くよ」
「近いって、どれくらい?」
「あれ」
そうルナが指したのは、駅前の高層マンションだった。たしかにすぐ着く。
「そういえば、親は? 行っても大丈夫?」
「一人暮らしだからいないよ」
さも、高校生が高層マンションで一人暮らしは普通みたいに言うけど、ボクは驚いて何も出てこなかった。
「アタシんちちょっと面倒でさ。説明するとややこしいんだけど、一言で済ませると、どっちとも血が繋がってなくて」
理解出来ないボクに、渋々してくれた説明によると、元々の両親は母親の不倫で離婚。父に引き取られたまま、再婚するも、今度は父親の自堕落ぶりに嫌気が差してルナを連れて血縁の無い母親と家を出た。その母親は随分と羽振りの良い男と再婚。そして今に至るという事だった。
「だからってなんで一人暮らし?」
「血も繋がってない父親といたくないだろうって。この部屋はそのおっさん名義で借りてるけど、住んでるのはアタシだけ。来た事もないし。邪魔だったんじゃん? 血の繋がってないガキなんか」
二十階建ての真ん中くらいにある一室のドアを、番号を打ち込んで解錠すると、ボクはまた新たな緊張が走った。
予想に反して、部屋の中は簡素だった。大きなリビングの半分くらいしか使ってないし、家具はソファとテーブルだけ。服は畳んで床に置いてあったり壁に掛けてあったり。
ただ、壁に掛けてある物に興味を持った。
「……CD?」
というか、盤面に何もプリントされてない、『CD─R』だ。それが八枚、ビニールのウォールポケットに入れて飾られてあった。 もう一枚あったらしく、床に置かれたコンポが、リモコンで再生された。決して……というか全く上手くないであろうガチャガチャとした音の中で、女の人が叫んでいる。
「今時CDって珍しいね」
「うん。アタシの宝物。そこのプレイヤーも」
塗装の剥げまくった、動くと思えない、携帯用のCDプレイヤーがコンポの上に置いてあった。
「骨董品レベルだな……」
今時、もうそんな物は生産すらされていないから、実物を見るのは初めてだった。話をするには音が大きいと思ったのか、ルナは音量をだいぶ下げると、ソファーに身を預けた。少し間を開けて隣に座れるくらい広いし、このまま寝られそうなくらい気持ちよかった。
「で? 昨日会ってあいつなんかアタシのこと言ってた?」
見ていたんじゃないかと思うくらい、質問がピンポイントだった。
「……ミユさんて?」
「やっぱそこから話すしかないよね。でも、それがまだ言ってないことの全部になるかな」
聞かなければ済むだけのことだけど、ルナはそうはしたくないらしい。コンポを指しながら、ルナは懐かしむように、
「それ歌ってんのが魅由さん。そのCD全部。やっぱこうやって物を創った方がやってる実感あるって言って、CD創ってた」
「つまり……ルナはそのバンドのファンていうこと?」
かぶりを振って、ルナは話し始めた。古川ひかり曰く、〝私だったら人に言えない〟事を。
出会ったのは、ルナが小学六年生の時の春だったらしい。今からもう四年前だ。
本当に偶然で、馬鹿みたいでそれが一番言いたくないことだと、ルナは笑っていた。昨日、ボクらが一時避難したコンビニのトイレで魅由さんとは出会ったらしい。
用を済ませて、出ようとした時に紙が無い事に気付いたという。取りに行こうとパンツも下げたまま立ち上がろうとした時、人が入ってきた音がした。
普通なら、その人に紙が無い旨を伝えるのも危機を脱出する手かもしれない。けど、ルナはそんな状況でも声を出そうとはしなかった。去るまで待とうとしたけど、どうにも去りそうにないうえに、電話の女性は口調がやたらと怒っていて、絶対に話し掛けちゃいけないタイプだったらしい。次第にノックが鳴って、
「急いでもらって良いっスか?」
さっさと出ろと言わんばかりの口調に、ノックを返すと、また声は返って来る。
「時間無いんで良いっすか? もしかして結構掛かります?」
その質問にノックだけでは返せなかった。困っていると、ついにノックの音は強くなった。
「シカトか? あぁ!?」
この時点で、『魅由さん』とは絶対に関わりあいになりたくはないと、話を聞きながら思った。トイレで一人震えているルナに、追撃するように、
「出てきたらまずお前をボッコボコにしてやるかんな!」
さすがに、もう諦めるしかないと、そこでルナは腹をくくって叫んだ。
「紙が無いんですぅ!!」
もう、泣きながら声を張り上げたらしい。でも、その魅由さんはそこで冷静になってくれたらしく、がさごそ掃除用具入れを探す音が聞こえてきたらしい。
「クッソ。どうなってんだよこのコンビニ。新しいのねーわ。ちょっと待ってろ。買って来てやる」
「……はい」
笑って良いのかもわからない話だったから、ボクは至って真剣に聞いていた。
少し経って、息を切らしながら買って来てくれたトイレットペーパーを渡して貰う為に、ドアを少し開けると、今のルナと同じように目の周りを真っ黒に塗った、金色の髪をしたお姉さんが現れたという。目を奪われたものの、ペーパーを受け取ると、向こうからドアを閉めてくれたらしい。
「悪かったな、ビビらせちまって」
「……大丈夫です。ありがとうございます」
ドアを出て、ついに邂逅してみると、さっき怒鳴っていた人とは思えないくらい穏やかに笑っていたらしい。キャミソール一枚に革ジャンを羽織り、黒いタイトなスカートに破れた網タイツ。どう見ても恐いお姉さんでしかないのに。
「つーか、そんなちっちぇうちから髪染めてんの?」
「地毛なんです」
「ほんとに!? カッケーじゃん!! 羨ましいなぁ……」
馬鹿にはされても、拒絶的に扱われた事があっても、その髪の色が『カッコいい』なんて言われた事に、ルナは驚いた。そして、思い出したように、魅由さんはおもむろに鞄からCDを取り出した。
「アタシさ、バンドやってんだよ。興味ねーかもしれないけど、やるよ。ビビらせたお詫び。これ、三年……あ、やっぱ五年後にはすげー値段つく。絶対。その頃にはアタシら売れてるから」
ただの願望ではなく、目標だった。きっと、何もわかってない子供にだからこそ、嘘ではなかったはずだ。でも、ルナは、
「CD聞くもの持ってません……」
「あ~……今時のガキはこれだから……じゃあこいつもやる」
それが、例のプレイヤーだったらしい。受け取るのを拒否しようにも、勝手にルナのトートバッグに詰められて、トイレに入ってしまったから返すに返せずに立ち尽くしていた。
「そこのライブハウスで今日やんだけどさ、トイレ汚くて。そんでこっちまで来たってわけ。LOSTってバンド」
勝手にそんな話を始めて、返せずにいると、少しあってまた声は掛けられた。ただ、様子がおかしかったらしい。妙に吐息交じりで熱がある感じだった。
「まだ……いる?」
「……はい」
「名前……なに? アタシ魅由ってんだけど……」
「ルナ……須山ルナです。あの……具合悪いんですか?」
「ルナか……今からヒマ?」
「はい。あの、体調……」
ドアが開くと、手招きをされた。入ると、鍵を掛けられ、逃がさないという風に魅由さんはドアを背にした。
「ルナは今何才?」
「え? 十一です……」
言うや否や、おもむろにキャミソールも下着も撒くり上げ、割とボリュームのある胸を露にした。この時点で犯罪の香りが立ち込め始めたけど、まだ序章に過ぎなかった。
「触って」
「え? 触るって?」
自分で揉みしだくよりも、触ってもらった方が良いらしい。だからルナはその役を請け負わされた。その手は掴まれて、ショーツを下げさせられて……ぬめる局部も触らせられた。さすがに、小学六年生ならこれがどういう行為かの知識はあった。だからやらせていたのかもしれない。
「ライブ、来る?」
「……お金無いです」
「バカ、金なんか良いよ。礼だ」
礼と言う名の口止めの意味もあるだろう。肉壁を掻き分けて、指を一本入れさせられると、身体を震わせて吐息混じりの声を漏らしていたらしい。こうやって、世の中の知らない所で事案は発生しているみたいだ。でも、当の被害者は良い思い出の一つみたいに語るから、この件に関して被害者はいないと言えるのかもしれない。
それから、無遠慮に指を動かしていると、魅由さんは言った。
「彼氏は? ってまだ早いか……」
「いません……友達も」
「可愛いんだから。暗い顔すんなよ。じゃあキスしていい?」
「へ? でも、わたし女ですけど……」
「嫌なら拒否しろよ」
迫る唇を、そのまま受け入れたらしい。そろそろボクの理解の範疇を超えていた。ファーストキスがコンビニのトイレで見知らぬ女の人と。かなりぶっ飛んだ話だ。
コトが済むと、そのままライブハウスに連れて行かれた。そこからは、ほとんど毎日のようにスタジオにしている家に行ったり、ライブに行ったり、そのまま打ち上げに行ったり。学校が終わってからが一日の本番みたいだったとのこと。まるで学生時間が終わって兵士になる為にログインする今のボク達のようだ。
古川ひかりを見かけたのは去年──中三の時の打ち上げの席だったそうだから、飛高さんは完全に遊びの中の一人で、独り夢半ばに散っていったのだろう。
ライブの打ち上げと言うか、溜まり場になっているのはルナ曰く『よくわからない店』だったそうだ。
『lullaby』という名で、バーのようでもあるし、店の真ん中にはスペースがあって、いつもそこで酔ったメンバーはケンカと言う名のじゃれあいをしていたのだとか。
そこでルナと魅由さんはいつも壁際に置かれたレザーソファに座り、店内の混沌を眺めていたそうだ。そして、酔ってくるといつも決まってする話があった。
「ここはこの世界の縮図だ」
「どういう意味ですか?」
何度でも、ルナは聞いた。その意味を理解する為に。『魅由』という人を理解する為に。
「まずこの店の店員はこの世界を創った。へこへこ電話してるビジネスマンもいるし、メシ食ってるヤツも酒飲んでるヤツもいる。良くないクスリもある。酔って便所でヤッてるヤツらもいればケンカしてるヤツもいる。それを傍観してるアタシがいて、なぁんにもわかってない子どもがいる。将来どこに行くのも自由だ。若いってのはそれだけで才能だ。アンタは将来どこに行くのかねぇ……」
「わ……わたしはずっと魅由さんといます!」
「そいつぁ嬉しい限りだ」
それからキスをして、トイレに連れ込まれては自慰行為を手伝わされていた。それはもう魅由さんとの遊びの一つみたいに。でもルナが触られる事は無かった。「キレーなままでいろ」と言われたから、「それは汚いことなんですか?」とルナは訊ねた。「そうじゃないけど、初めては好きになった男の為に取っておいてやれ」とか言っていたらしい。それなりにルナを気遣ってはいたという事だろう。
その店はよく成立していたなと不思議でしょうがない。なんだってビジネスマンはそこで商談みたいな電話していたんだ。
おおよそは、そんな感じだった。簡単にキスしようとしたり、クリームを塗りつけたりしたのは『遊び』の一つで、感覚が狂わされているからだ。同年代の友達もいなく、唯一仲が良かったのはそんな人だから。初めて部屋に来た時に、キスしていい? と聞いたのは猫がじゃれるようなものだろう。なんとなく合点が行った。
「今もライブ行ってるの?」
なんとなく、ボクは会ってみたくもあったけど、やっぱり恐いほうが大きい。理解出来ないものに立ち向かうとき、人はまず恐れが大きい。
「もう魅由さんは死んだよ」
あまりにあっさり過ぎるくらいあっさり放たれた言葉に、ボクは聞き間違いかと思った。去年まで一緒にいたっていうのに。でも、それを言えば昨日まで一緒にいた人が戦場では命を無くしたりしているからそういう事も珍しくはない。
「死んだって……病気か何か?」
「ううん。事故。まだ二十三歳だったのに」
去年の夏休み、打ち上げの帰りにギタリストとベーシストが喧嘩を始めたらしい。酔った勢いとはいえ、通行人にも迷惑が掛かる程で、仲裁に入った魅由さんは突き飛ばされ……車が来てそのまま踏まれて即死だったらしい。
「なんかさ、命ってあっけねーよって最期に教えてくれた気がするんだよね。轢かれる直前になんか笑ってたし」
「他のメンバーは? 逮捕されたの?」
「逃げたし……今もバンドやってる。昨日会ったんじゃない? あの女といつも打ち上げでベッタリしてたから。何事も無かったみたいにボーカルだけ変えてバンドやってるんだよ、あいつら」
デバイスで、そのバンドのホームページも見せてくれた。確かに昨日見た男がいた。怒りを噛み殺すように、声が震えていた。事故当時、運転手が警察を呼んでくれたけど、他のメンバーの本名もわからないから調べようも無かった。というより、調べる気も無かったように見えたとルナは言う。
「運転手になんて言ったと思う?」
「……気を付けてください……とか?」
「気の毒でしたねだって。轢いたのは向こうなのに!!」
加えて、その事故の一件は『ホームレスの女の事故死』で済まされたらしい。家も無く、打ち上げで行くバーで寝泊りをして、荷物も最小限の着替えだけ。挙句に戸籍も無い彼女は、社会的には初めからいなかった人で、警察はその素性を調べるべきだが、終わってしまったものとして調査はしなかった。
だが、それで終わらず、深夜徘徊でルナは補導された。目の前にいる手軽な手柄を選んだのだ。
「でも、古川ひかりとか、あの場所にいるってわかってたならルナも昨日行けば良かったんじゃ……」
「顔も見たくない。今更蒸し返したってどうにもなんないし、意味無いし。だから世界なんかグチャグチャにぶっ壊れたら良いのにって思う。アタシも、あいつらも、あの警官もみんな同じく死んだら良いって。全部どうでも良いやって」
強烈な破壊願望に、ボクはやっぱり同意出来なかった。いなくなって欲しい人もいるかもしれないけど、いて欲しい人だっている。
「よく大人しく高校通ってるな」
「あれ……貰ったから」
壁に掛かっている革ジャンは、高校の卒業祝いにくれる予定だったらしい。でも、その前に死んでしまったから、貰い受け、貰ってしまったからには卒業しなきゃいけないとのことで、意外と律儀な面を見せられた。
「あとさ、さっき着てたパーカーとかボロボロのデニムとブーツも。誕生日に毎年一つずつくれたの。アタシの勝負服。ここだって時に着る」
「……ボクの家に来た時着てたよね?」
「だからそういうこと。初めて同年代の友達が出来て、自分に自信が持てるように」
空気が重くて押し潰されそうだ。敵が石柱を挟んで背中越しにいるような、ジワリジワリと、確実で間違いの無い選択を強いられる状況。
目の前で仲が良かった人の死と、それを見棄てて逃げた仲間なんていう最悪なものを見て、確かに一気に絶望の中に落ちただろう。けど……。これは戦いなんかじゃない。地雷を踏み荒らしてやろうじゃないか。
「全部どうでも良くはないはずだよ」
「……なんで?」
「全部どうでも良いなら声だってどうでも良いだろ? 馬鹿にされたって話し掛けたらよかったじゃないか」
「だからさ、別に友達いなくたって良いから話さないだけだって」
「だったらなんで雨の日にノアの前でしゃがんでたんだよ。誰かに助けて欲しかったんだろ」
「……ノアが濡れるじゃん」
「だったら傘を置いていくボクをなんで引き止めたんだよ。あいつが濡れるのが嫌で、友達もいなくていいなら引き止める必要なんて無かっただろ!!」
言い切ってやった。多分、一番返しにくい所ばかりを突いてやれた。本人が全て話すと言ったのだから、もう表向きだけ同情してやる必要も無い。
「陽ってさ、ワガママだよね。この人はこうだっていうイメージを持ってて決め付けて! 押し付けて!! それと違えばそうやって否定する。自分の枠に人を押し付けんのやめた方がいいよ。教室で話さない子にも二種類あってさ、本当に内気で大人しくて喋んない人と、どうでもいいやって喋んない人。陽が望んでんのは前者で、アタシは残念だけど後者なの!!」
普段喋らないくせに声を荒げるから、調子がわからないみたいだった。脅すように低くなるんじゃなくて、キンキンとしていた。
「ボクはそんなつもりは……」
立ち上がって、遂に蹴りでも飛んで来るかと思ったけど、ボクの脚をまたいで腰を下ろす。短いタイトなスカートのせいであまり足は開けず、ボクの膝はピタリと揃えられた。
「な……なにするんだよ……」
「アタシのこと嫌いになったっしょ? でもアタシは陽のこと好きなの。そうやって言ってくれるのは、アタシを見てくれてるってことだから。理解してくれてるってことだから」
首に、腕を絡められる。顔が近い。アイウェアも無いって言うのに。
ボクは何も言い返せなかった。頭には浮かんでいるのに。補充しようとしたマガジンから弾が零れ落ちていくみたいに。
「命はあっけなく終わる。だからアタシは衝動で生きる。したいことはする。だからキスするよ。それに、陽みたいにワガママな人にはアタシみたいにワガママな人が合うと思うよ」
「あ……ありえない。ワガママ同士なんてぶつかるだけだ」
「ぶつかるってわかってんなら避けたら良いじゃん」
それは、物理的にという事か? イタズラな笑みを浮かべるでもなく、かといって怒りを込めているわけでもない。目を閉じているから顔はわからないけど、声の調子はそうだ。落ちても上がってもいない。
衝動で生きる──誰もがそうしたいところだろう。でも、みんな周りを考えて、軋轢を生まないように上手くやっている。そんなものはどこ吹く風だ。
後悔しないように生きたいなんて誰もが思うことだ。それが上手く行かない事もわかっている。先の事を考えたら、みんなそんな風には生きられない。
先──未来──目の前で消えた高校卒業後の約束。価値が付くからと、売れる為の目標だったあと二年。その命は一瞬で消えた。
先──未来──大学卒業後に結婚するなんている目標の為に戦っていた飛高さん。彼がいなくなってしまったから現実はあんなことになっていたかもしれないけど、生きていれば、夢が叶う時が来たのかもしれない。
どうして彼は死んだ? 未来を見ていたのに。だから、今が見られなかった。だから敵がどこにいるかって言う、今一番見るべきものを見られていなかった。実際に撃ったのは味方だけど、彼なら気付けたはずだ。『今』を見ていれば。
それはボクも同じかもしれない。どんなに敵を意識するとか述べたところで、それでいつまでも生きられるかわからない。明日また開戦して、そこで死ぬかもしれない。
後悔するのだろうか。
何も成し遂げられなかったと。
ボクは何を成したい?
たった一発の弾丸が頭を撃ちぬいて行くように、その逡巡は一瞬だった。
その問いに、ボクは目を開けた。今日は本当にキスする気だ。ボクはそれを受け入れよう。
来るとわかってさえいれば、意外となんでもないことだった。柔らかい、薄いプルプルとしたものが唇に当たっただけのこと。顔を見られないように、彼女はボクの肩に顔を置いた。
「声はもうムリ。多分、つか絶対。子供だったし何気ない言葉だったんだよ。だけどそれが未だにこうやって人一人に残ってる。でもね、あの雨の中でなにか下心があったわけでもない言葉がさ、それを飛び越えるくらい嬉しくて。雨が冷たくて。でもノアを放って置けなくて。誰も助けてくれないし期待もしてないのに……いきなり雨が止んだの。そしたら、陽が〝なにしてるんだ?〟って。嬉しかった。でもいざ話したいと思ったら言葉が出てこなくて。今は話せてよかったと思ってるよ。全部否定しても良いけど、この気持ちだけは否定しないで」
思いの丈を全てぶつけるような言葉を、彼女は紡いだ。少し、泣いているように聞こえる。首を絞めるんじゃないかってくらい抱きつかれて苦しいけど、ボクはそれを引き剥がした。
唇を噛み、堪えているみたいだった。人前で泣く事も、『どうでもいい』とは言えないみたいだ。
「ルナの言うとおり、ボクは我侭で色々と押し付けがましいかもしれない」
彼女はただ頷いていた。『キス』の真価はこの距離にあるのかもしれない。
「それに付け加えると、ボクは負けず嫌いでやられっぱなしは好きじゃないんだ」
だからキスだってやられればやり返す。そんな喧嘩みたいな理由のキスに、ルナは驚いていたみたいで目を僅かに見開いていた。
「どうなの? 嫌いな女に初チュウされた気分は」
この期に及んで、まだそんな悪態を突く。それは自分への言葉かもしれない。誰にも好かれるはずはないという、排他されてきた自分への。
「ルナの事は別に嫌いになったわけじゃない。そういう人だっているだけの話だ」
「ありがと。嫌われると思ってたから」
「逆に、どうなんだ? 好きな男からキスされた気分は」
「もっとしたい」
ニコニコとご機嫌に、ぶつかるような勢いでルナはキスした。
二度目のキスは空気が違っていたから、脳がスッと消えたくらい気持ちが良かった。
「……あ~、ボクはばあちゃんにやられたら倍にして返せって言われてたんだ」
だから二度、唇の触れ合う感触があった。顔も思い出せないばあちゃん……いたのか? どこに住んでいたかも思い出せない。
「じゃあ、お婆ちゃん想いの陽クンにはご褒美あげまちゅね~」
「子ども扱いするな」
ご褒美──口の中に舌がねじ込まれる。うねうねとまさぐるようなそれは、単体の生き物みたいだ。それもまた、彼女には『遊び』なのかもしれない。
「早くないか? それは」
「どうでもいいよ。負けず嫌いじゃなかったっけ?」
やってみろと言わんばかりに、ベェッと舌を出して挑発。もちろん乗ってやるさ。
言葉も無く、貪るように唇を重ねあった。舌が絡まる。唇を噛まれたから、噛み返してやると、ビクッと身体を震わせた。して欲しい事を誘導されているみたいに。
「つか、暑くなってきた……」
とろけたような顔で、おもむろにTシャツを脱ぎだすと、中に着ていたキャミソールが一緒に捲れ上がって、ボクはその薄布一枚が元に戻ろうとするのを止めた。
羽ばたく蝶が左のわき腹にあった。だから、そいつを隠す布は邪魔だった。蝶は薄い紫がかった蒼で……それは燐火が形作っているみたいに見えた。色違いの同じデザインを、ボクはもう見たことがある。
「この蝶……」
「あ、タトゥーとかダメな人? これがあるから学校で着替えたくないんだよね」
「いや、別に駄目とかじゃないけど……流行ってるの? このデザイン」
「ん~、流行ってるかはわかんないけど、魅由さんに連れられて行ったお店がね、最新式のやつで、パソコンでプリントするみたいに出来るから同じのしてる人はいるかも」
「魅由さんも同じタトゥーを? 同じ場所に?」
うん。て軽く肯定してくれるだけで良い。なのに、そんな願いは受理されなかった。
「ううん。デザインは同じだけど、魅由さんは左目に黄色い蝶が入ってる。さすがにアタシも目にやる勇気は無くってさ」
「…………目にやるタトゥーは一般的なのか?」
「色々問題も多いみたいだからそうでもないよ。肌と違って絶対に消せないし」
どういうことだ? 死んでいるんじゃないのか? あの地下戦場はまさに地獄という事なのか?
「死んでるんだよね、魅由さんて」
「え? うん。踏まれて身体の中身出てたし……それよりさ、どうすんの? こっから」
「どうって?」
「脱がしたいんならどうぞ?」
ひぁあ! なんて素っ頓狂な声を上げて、ボクは手を離した。キャミソールの中に、蝶は隠れてしまった。
「これも言った方が良かったね」
「……そうかも。他には? 何か魅由さんとのエピソード」
嬉しそうに、弾かれたように離れて、学校用の鞄を漁りカッターを取り出した。そして、にこやかに言うのだ。
「このままの勢いでお風呂場行かない? 血が出るしさ」
……もう何もかもがおかしい。
「……なんでカッター持ってるんだよ?」
「人間てさ、やっぱりどんなに想ってても記憶から薄れて行くっしょ? だから、これで刻むの。お互いに。そういうセックスの方が綺麗って魅由さんは言ってた。それ話してくれた三日後に別れたって言ってたけど。恐くなって男が逃げたんだって」
そりゃそうだ。その男にとっては呪いになっただろうな……。
どうして恐くなったかということに疑問は持たずに、むしろそんな狂気的な愛情表現しか知らないという風に、ルナはあっけらかんとして言い放った。魅由さん……いや、魅由。ふざけるな。切られてたまるか。それに、傷付けたくないのに。
「ボクは傷付けたくない」
「傷じゃないよ? 愛情表現だって」
「でも傍から見たらただの傷だ」
それも押し付けなのだろうか。いや、彼女の狂わされた感覚を矯正する為だと思えば、ここは引くところじゃない。
諦めてくれたらしく、カッターをテーブルに放ると、キッチンに向かった。まさか包丁なんていうボスクラスが出てくるのかと思ったけど、ペットボトルの紅茶を持って来ただけだった。
「ノド乾かない?」
「あぁ……うん」
グラスをくれと思ったけど、誰も客が来ないこの家にそんな物があると思えない。よく見たら食器棚すら無いのに。
今更ペットボトルの回し飲みが問題ではない。けど、ルナは口いっぱいに溜めると、ペットボトルを玄関の方に放り投げた。
そして、またボクの膝の上に座り、口を開けろと顎で指す。
「いや……多いし……」
眉間に皺が寄った。息を止めてなきゃいけないから苦しそうだ。このまま全部ぶちまけられても困るのはボクだった。
仕方なく口を開ける。これまで友達がいなかった子の狂わされた愛情表現は激し過ぎる。魅由さんともこんな事をして遊んでいたのだろう。
結局、半分くらいがボクの口からは零れて、Tシャツが濡れた。
「負けず嫌いの陽クンは次なにやるのー?」
何してくれるの? そんな期待のこもった顔をしていたから、ボクは思わず、膝の上に跨るルナを押し倒した。普段ここで寝ているはずのソファは広い。
「で? ここから?」
ルナは相変わらず楽しそうだ。ここからどうしたら良いのかなんてボクにもわからない。
トーマの援護射撃も無い。ハルが助けてくれるわけでもない。ここは今まさにたった一人の戦場で、孤軍奮闘するしかない。持てる武器は……勇気!!
「押し倒した陽クンはここからどうするんですかー?」
「どうって……もちろん…………」
勿論なんだよ!! どうすればいい!? おい原始人教えろ。どうやって子孫を残した!? いや方法は知っている。聞きたいのはその過程だ。服を脱がせる? どうやって? クソ!! 原始人は服なんか無いに等しいじゃないか!!
「そんなに困った顔されてもこっちが困るんですけどー?」
「あ……そうだ。ボクらはまだ高校生なんだ。やっぱりまだ早い」
究極とも言える回避技術だ。プッと噴出したルナは、目線を下げて攻撃してくる。
「代わろうか? そんな言い訳は口だけみたいだし」
「な……なんのことだよ……」
あぁ、わかっているさ。ジーンズの前面に掛かる圧迫感。身体は引き下がるなと言っている。黙ってろ。お前なんかもげろ!!
ボクは出陣前の『サムライ』のように居直った。
「……もういい」
「負けを認めるの? 陽の愛情の方が少ないってことー?」
「そうじゃないけど……どう反応するかと思ってやっただけでさ」
「自分の物凄いヘタレなとこ見せただけだったね」
「うるさいなぁ……そう簡単に出来ないんだよ」
「正直、そういうのは好きじゃない。いつも触らせられてたけど、自分がやられると思うとなんかイヤ。だから、愛情は十分です。ありがとね」
唯一仲が良かった人がいなくなって、もうすぐ一年になろうとしている。それまでの欲しかった愛情を全て埋めるように、彼女は求めているのかもしれない。
古川ひかりが、ボクを『魅由の代わり』と揶揄した意味がわかった。誰でも良いのかもしれない。愛情をくれるなら。転々と変わる親からも愛されなかったから。
それはとても悔しかった。ボクじゃなければいけないと思わせたかった。でも、きっとその我侭は通らない。いつか、少しでも彼女をもっと理解出来る男がいたなら、そいつになびくかもしれない。
横目に入ったテーブルの上のカッターが、やたらと存在をアピールしていた。お前を使うんじゃ意味が無いんだ。黙っておけ。
なんの解決策も無いまま、ボクは言葉も無く、もうそこが椅子のように、また膝の上に座ったルナを抱き締めた。見た目通り、あまりふくよかではない胸に顔を埋めると、泣いていたのがバレて、逆に頭を撫でられてしまった。
「ボクは……どうしたら良いのかわからないんだ」
地上でも、地下でもそれは同じだ。次の戦闘はどうすれば乗り切れるのか。もしかしたら何の策も無いままに敵に蹂躙されて死んでしまうかもしれない。そしたら、この感触も、声も空気も二度と味わう事が出来なくなってしまう。
「やりたいようにやったらいいんだよ。アタシも、陽がイヤがるならしないし」
「死にたくない……ボクは、ずっと一緒にいたい」
きっと、間近で『死』を見たからこそ彼女も理解出来た。一層の力で抱かれた頭は、心地良さに気が遠くなりそうだった。
「じゃあここで一緒に住む?」
「いや……そうじゃなくて……」
でも、それも悪くない。ゲーム機が無ければボクは現実の金を稼げなくなるけど、普通にバイトすれば良い話だ。
「ほら、こういう一面は陽にだってあるじゃん」
「こういう?」
「死にたくないとか言って甘えるとこ。クラスじゃ絶対に見せないじゃん。冷静で冷酷で、むしろ全員死ねとか平気で思ってそう」
「…………そのボクは最低だな」
「でもクラスの女子はそんな風に見てますよ~」
人間性皆無と言う風に見られているのか。
「よくそんなやつとこうしてるな」
「実際は優しいじゃん」
地下戦争なんてもう忘れてしまいたい。なのに……現実はとてつもなく残酷だ。地獄はどこまでもボクを飲み込もうとする。
信じられなかった。ポケットに入れていたデバイスが短く振動した。静かな部屋で、そいつはボクらの空間に割って入って来やがった。電源を切っているのに。どうやって点いた?
「メール? 来てるよ?」
「…………来るわけない」
「でもアタシのマナーモードにしてないし」
「電源切ってるのに」
「避難勧告とか災害通知は来るみたいだよ? ん? つか、そしたらアタシのも来ないとおかしいよね」
脚にかかっていた重さが無くなった。自分のデバイスを確認しに行ってしまった。
「来てないから、やっぱメッセかメールじゃない?」
ボクは嫌々デバイスを見た。いつもの文言だ。カードは財布に入っているから、取りに帰る必要も無くて、準備の良さを恨んだ。
「東クン?」
「……うん」
そうしておこう。一昨日戦ったばかりなのにもう開戦するのか。 作戦は? どうやって生き残る? また場当たり的にバラバラと動くか? 敵はどう出る? 何もわからない。飛高さんならもう違う作戦を考えているはずだ。
「遊びの誘い?」
「…………うん。でも、ここにいたい」
「いたら良いじゃん」
友達からのメッセだとは到底思えない、暗い顔がデバイスの画面に映っていた。どうせ強制的に連行されるのだろう。もう逃げ場なんて無い。死ぬか生きるかの二者択一しかない世界だ。いや、もう〝だった〟と言っていい。国はボクらの死を以てあの戦争を終わらせようとしかしていないのだから。たとえ生き残って最後の一人になったとしても、容赦無く開戦し、ボクは殺されるだろう。
「アタシが言える立場じゃないけどさ、友達は大事にした方がいいよ。アタシんちにはいつでも来て良いからさ」
説得力は逆に充分だった。ボクだって友達は多い方じゃない。
「いつでも?」
「うん。だから後悔しないようにした方がいい。もしかしたら明日には会えなくなるかもしれないんだから」
そんな事は重々承知している。だからボクは、明日にはルナに会えないかもしれないと思っているわけで。
このままここにいて、上手く戦争を逃れられたとして、ハル達は今日も戦うのだろう。そうやってボクが逃げている間に、もし死んだら。例え一緒に戦っても守れる保障は無いけど。ボクはあの時に行けば助けられたかもしれないと後悔するだろう。死ぬまで。ずっと。ルナと笑いながらも、それはついて回るはずだ。
投げたボトルを拾って飲んでいるルナに、こっちに来てくれと膝を叩いた。もうなんの躊躇も無く、その距離にいられる。
「嘘でも良いから頷いて欲しい」
「どういうこと?」
「ボクの生きる理由になってくれ」
よくよく考えてみれば、ボクはこんな大きな隠し事をしているじゃないか。でもそれだけは言えないから、こんな表現でしか伝えられなかった。
「新手の告白? うん。良いよ。でもウソじゃない」
「告白にしては……なんか重いな」
「愛情は重い方が良いっしょ!」
そしてもう挨拶代わりみたいにキス。さすがに、学校でもこんな風にはならないだろうけど。
「八時にまた都内に行かなきゃいけない。だからそれまでここにいるよ」
「わかった。まだまだイチャイチャできるね」
楽しそうなその顔に、ボクの決心はまた鈍りそうになったけど、もう揺らがない。
例え何人の犠牲が出ても、ボクは絶対に生き残って見せる。
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