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雨
あの初実戦の日から、一週間。
学校が終わればボクらは毎日W・Wにログインして実戦に出掛けている。結局、このゲーム機が来てからボクらは二週間毎日ログインしているという事になる。
謎が多いということから、三人の中で『ブラック・ボックス』と呼ぶ事にした。本体自体が黒い箱だから見たままでもあるけど。
クラスにいるプレイヤーとは未だに交流は無い。口外禁止のルールを守っているのだろう。
正直に言えば、もっと沢山のプレイヤーと協力して戦地に行きたいというのはある。一昨日、十対三で戦う事になって苦戦したという事があった。
買ったばかりの無線で連絡を取り合い、制限時間まで三人散り散りになって逃げながらなんとか生き延びただけで、あれは勝ちではない。悔しい思いをさせられたのはそれが初めてだった。
戦地は新宿だけではなかった。どこか知らない山だったり川だったり都内の別な場所だったり。ボクらは様々な場所で戦う為の知識と経験を得た。
山では木に隠れ、上り、敵の背後に回り襲撃する。
川では地上でボクが囮になり、二人が川に潜って襲撃もした。
どうしてもっと人数を増やしてチームを作らないかといえば、声を掛けて集団を作れば、リーダーが要る。ハルは特攻するし、トーマは大人しいからまとめ役には向かない。残るはボクだけど、あまりに多数と一緒に動くのは難しくもある。ロビーにある大型モニターで、他のプレイヤーを見ているとわかる。はっきり言って弱い。
だから実戦を繰り返して、武装し、ボクら自身が強くなる方を選んだ。
学校生活はといえば、平和そのものだった。
三人共、部活はしないで学校が終わればすぐに帰って、ログインする。W・Wに入ってからが、一日の始まりのような気がした。
それからまた一週間。学校生活にようやく変化が起きた。
「プレイヤー連れて来たぞ!」
昼休みにそう嬉々としたハルが肩を組んで、無理矢理連れて来たのはクラスメイトの山本太一。ロビーのモニターで、実戦中の彼を何度か見た事があった。ハルと同じで特攻するタイプだけど、フォローが甘いせいで被弾する事が多い。彼自身も運動が苦手そうなのは肉付きの良い体型からわかる。
「見た事あるよ。ロビーで走ってるとこはね」
「オレのグループってスナイパーばっかだからさ、囮になってんだよ」
ボクらで言えば、トーマがスナイパー役になっている。ボクとハルで戦闘しながら、狙撃範囲に誘導する。
集まった報酬で買ったトーマがスナイパーライフルは、オートエイム機能が付いていて、練習しなくても即戦力になっていた。
「他のプレイヤーもこの学校?」
「いや、県外だから会うのはゲームの中だけ」
「今日からタイチも連れて行ってやろうぜ。 な? んなサポートになってねぇサポートのグループじゃ可哀想だろ」
予想はしていたけど、その申し出にトーマと二人で顔を見合わせた。既にランクを一つ上げたステージにいるボクらについて来られるようには思えない。返事を渋っていると、ハルが山本の肩を叩く。
「じゃあ一七:〇〇にロビー集合な。足引っ張んなよ?」
「う、うん……ありがと……」
放課後、急に降って来た雨に、また後で! と言って三人は濡れながら駅まで走って帰って行った。止むのを待つ生徒もいるけど、待ち合わせしている以上遅れられない。
ボクはたまたま置き忘れていた傘を差して、いつも通りのんびり歩いていた。
途中にある十字路の角で、見慣れた明るい頭がしゃがみこんでいるのが目に入った。傘も差さずに、ビシャビシャになって電柱の陰にある箱に、両手を重ねて傘みたいにしていた。
彼女は学校が始まってから誰とも話していない。それどころか、休み時間には一人で悠々自適にタブレットで何かを読んでいたり、授業中には寝ていたりする。一人が好きなのかもしれない。
入学式の日の件と、外見の浮きっぷりからか、誰も話し掛けないし、自分から話しかけることも無いから尚更そう思う。
ただ一人、ボクだけはつい、昨日声を掛けた。
三時限目から四時限目の終りまで、死んでるんじゃないかと思うくらいピクリともせずに寝ていた。ジュースを買いに行くついでに机に突っ伏していた背中を叩いてやると、ガタッと机を揺らして起きた。
「もう昼休みだよ。ご飯食べたら?」
いつもコンビニの菓子パンとお菓子を一人で食べている。驚いたらしく、目を何度も瞬かせているから軽い冗談で言ってみた。
「ジュース買いに行くけど、何か飲む?」
困惑した表情で首を振って、冗談を真に受けたりはしなかった。
会話にもなってない交流はそれだけだった。
「こんな所で何してるんだ?」
隣にしゃがみこんで、傘に入れてやった。
ボクはそうした方が良いと判断した。
須山さんの視線の先を見ると、段ボールに入れられた黒い子猫がいた。
「そっか……棄てて来いって言われたのか」
首を横に振っただけ。それだけだった。話す気も無いという事なのか。そういえば、授業で教科書を読むように言われても、頑なに読もうともしない。そのせいで、教室では更に浮いた存在になって行った。
「えぇと……じゃあこれは棄て猫?」
ツインテールから水が滴っていて、軽く握っただけで絞れそうで手を伸ばしそうになった。さすがにそこまでやったら何か喋るかもしれないと。そんな事を思い付いてしまうくらい、間があった。
信号が五回も変わっても、話す気配は無い。もしかしたら、話せない病気かもしれないと思ったけど、それなら先生が授業中にタブレットの授業ファイルの文章を読ませたりはしないはずだ。察するに、なんらかの理由があって話さないだけ。ボクもクラスメイトも拒まれているだけの事だ。
「話したくないなら無理に話さなくていいよ。傘置いていくから使って。風邪引かないように早めに帰った方が良い」
「待って! アタシのじゃない!……捨てられてたの。二日前からいるんだけど……この雨だから」
見てても雨はしのげないよ。そう口をつきそうになったけど、やめた。いつもバッチリのメイクが雨で流れても構わないらしい彼女にそうは言えなかった。それに、派手な見た目を裏切って意外と声は穏やかで柔らかくて、大人しい女の子という感じだった。何よりも、ボクの腕を掴む手には力が込められていた。話したくないのではなく、離したくないというみたいだ。
「すっごい懐いてんだよ。ホラ?」
彼女が手を差し出すと、赤と黒に塗られた爪の手に、子猫は顔を擦り付ける。やってみて? そんな感じで、黒いアイメイクが黒い涙に滲み変わった笑顔が向けられた。
仕方なく、ボクも手を差し出すと、黒い毛玉は躊躇い無く噛み付く。
「キミは愛情が足りないんだよ。ね~?」
「……じゃあ飼ってあげれば?」
「うちマンションだからムリ」
「だったらボクが飼う。だから早く帰ろう。風邪ひくよ?」
雨ですっかりしなびている箱を持って、ボクは立ち上がろうとすると、黒い毛玉は不安そうな顔で見上げていた。それを察したのか腕を掴まれた。
「ちょっと待ってよ! いきなりネコとか飼って大丈夫なの? それに、懐いてないしさ」
「うちは大丈夫。懐くのは愛情の問題ならそれもそのうちなんとかなるよ。まず名前は……ルナ。黒猫と言えばそれが相場じゃないかな?」
昔の漫画にあったような気がして、そう命名したけど、須山さんは不満そうに頬を膨らませる。
「それアタシの名前なんですけどー」
「……そうだった。じゃあ……ケダマ」
「愛情が無いからボツ!」
「カタカナだよ?」
「そういう問題じゃないって。キミは人間にもネコにも愛情を注げないタイプだよね」
はっきり言われて気付いたけど、本当にそうかもしれない。高校一年になった今まで、初恋なんてものは無かったし。
「じゃあ、この猫で最初かな。愛情を注ぐのは」
「……心配だから時々見に行って良い?」
それは、勿論学校が終わってからということになる。ログインする時間が減る。でも、だからと言って断るわけにもいかない。
ボクはそうした方が良いと判断した。
「良いよ。でもいきなり来るのとかはやめて欲しい」
「そんなことしないよ。あ! ネコって食べられないからね」
「うちは猫を食べなきゃいけないほど生活に困ってないから」
「でも……意外と美味しいかもよ?」
食べさせようとしてるのかどっちなんだ。背が低い須山さんは冗談ではなくて、レストランのメニューの話でもしているみたいな顔で見上げた。
「須山さんて身長何センチ?」
「え? 一四七……なんで?」
「別に……ちっちゃいなって思っただけ」
二十三センチ差はこの雨では声をかき消される。それに、須山さんは見た目の割に静かに話すから余計に。
駅に着くと、須山さんは反対方向だったみたいで、改札にデバイスを当てて通過すると、ホームの反対側のエスカレーターに向かった。切符を買う人もまだいるけど、デバイスのアプリでほとんどの支払いが出来る。おかげでいつの間にか支払額が大きくなり過ぎているということもあるようだ。
「そうだ。まだしばらく止みそうにないし傘持ってって良いよ」
「えー……そしたらネコ濡れるじゃん」
ブレザーを丸めて箱に突っ込んで、これでよし。と傘を強引に差し出す。これから家に帰るまでの時間を考えると、もう五時のログインには間に合いそうにない。
須山さんは傘を受け取って、エスカレーターに足を向けた。早く帰って欲しいのに、彼女は振り返る。
「意外とさ、気使える人なんだね」
「まぁ、人並みには」
「アタシの声さ……ヘンじゃない?」
不安そうな顔で聞かれたけど、初めて話したから比較のしようもなかった。
「風邪でもひいてるの? 初めて聞くからわからないけど。でも、今の声もボクはおかしいとは思わないよ」
よくわからないけど、なんか嬉しそうな顔に変わったから、返答は間違ってなかったみたいだ。
「ネコちゃんじゃなくって、アタシをルナって呼んでよ。陽って呼ぶから」
話さなくても名前は覚えてるのか。
「あぁ……うん。もう電車来てるし急いだ方が良いんじゃない?」
「じゃあまた明日ね!」
思わず、また後でと返しそうになったけど、彼女はプレイヤーじゃない。そういえば、どうしてブラックボックスを配られたのは男子限定なんだろう。女子ゲーマーだって珍しくないのに。
とりあえず、三人に謝るところから、今日のゲームは始まる。
ホームで電車を待つ間に、箱の中でモゾモゾとケダマが動く。そうすると、丸めてつっこまれたブレザーも動く。隣のおばさんが驚いた顔で箱を見つめている。
通りがかった駅員に、おばさんがなにやら話し掛ける。そのまま駅員がボクの元にやって来た。
「その箱の中って何が入ってるのか見せてもらって良いかな?」
「別に爆弾とかじゃないんで大丈夫です」
ボクは何の躊躇いも無く、笑顔で答える。でも、その作り笑顔ではかわせなかった。
「いや、それはわかってるんだけどね。一応不審物とかだと問題だから」
「…………ちなみに、猫って持ち込んで大丈夫ですか?」
「きちんと籠に入れて出てこないなら良いけど、野良とかだと良くないね。衛生面の問題もあるし」
「じゃあ……猫じゃないから大丈夫ですよ」
電車がやってくる。ボクは逃げるように足早にその場を離れて電車に駆け込んだ。追って来る駅員だって、猫一匹の為に電車を止めはしない。扉が閉まって一息つくと、乗客が箱に視線を送っては逸らす。誰も注意したりはしない。この気まずい空気もたった二駅を乗り切れば良いだけの話だ。
家に着いた時には約束の時間を十分ほど経過してしまっていた。
部屋に入ってゲーム機に目を向けるも、箱の中の野 良 猫が訴えるように鳴き声をあげる。雨に打たれていたのはボクもこいつも同じだ。それに、マイホームの段ボールももう使い物にならない。
「まぁ……寒いよな」
ログイン出来るのはいつになるのか。
暴れる猫を洗って乾かして、ようやくログイン出来るようになった時にはもう三十五分の遅刻だった。
「頼むから邪魔するなよ……ルナ」
なんとなく、自由奔放な人間のルナと 猫 のルナは似ている気がした。
入学してから、特に誰とつるむ事無く一人で気ままにいるあたりとか。雨に打たれても平気そうにしている辺りが。本当はどうにかして欲しいくせに。猫のルナは一番良い寝床のボクの布団の上で身を丸めている。気持ちの良い寝床が欲しかったくせに拾って欲しそうにもしなかった。噛まれた所がじんわりとまだ痛んだ。
本人の前で呼ばなければ問題無いだろう。
ログインすると、まずは自室から始まる。急いでロビーに向かうと、三人からは明らかに文句言いたそうな空気が漂っていた。
Voice<<東春海:あ! やっと来たな!! 何してたんだよ?
ハルが開口一番に、拳を握りながら叫ぶ。
Voice>> All:色々あってさ。ネコを助けたり……猫を助けたり。
Voice<<東春海:一緒じゃねーか……まぁ良いや、さっさと行こうぜ。この鬱憤は実戦で晴らす!!
Voice>> All:仲間を撃つのはやめてくれよ?
Voice<<東春海:お~? ……背中に気を付けろよぉ?
ハルは笑ってそう言うけど、実際に彼の背後にいるのはボクであって、ボクの背後から撃つとすればトーマだけだ。ニコニコとしているけど、その心はらはよくわからない。
Voice>> All:遅れた埋め合わせは明日学校でジュースでも奢るよ。
一応、ゲームとはいえ保険としてそう約束しておく。
美零さんに実戦出撃の登録をして貰って、ボクらは出撃ゲートを抜けた。
今日は都内ではなかった。どこかわからないけど、立派な木造の橋の上に着いた。下には浅いけど大きな川があるし、近くの山の頂上にはお城も見える。
Voice<<仁科冬真:イズ、敵は?
武装は二人に任せて、ボクは昨日の実戦が終わってからレーダーを買っている。これで敵の位置と数は把握出来るようになったということは、下手に武器や防具を買うよりもよっぽど実りのある買い物だと言える。
青い二重丸が自分。青い点が仲間。赤い点が敵。視界の右をスワイプしてレーダーを起動すると、円の中心に青い点が固まっていた。
Voice>> All:敵は六人。十二時方向から左右に散開。三人一組だ」
レーダーの効果は絶大だ。敵も持っているかもしれないけど、だからこそ意味を成す。
ボクらと初めて共にする山本は指示を待って、緊張の面持ちで初期装備のアサルトライフルを構えている。
特に指示も無く、ハルが山本の背中を叩き、そのまま押し出すように歩き出した。
いつもの戦術──縦に一列で距離を取って歩き、ボクが先頭のハルに指示を出す。敵はどこにいるか、なんとなく把握出来るからそうした。その後方から、ボクとトーマが援護射撃を行なう。今日は先頭が二人いるから援護はいらないかもしれない。それに、なんといっても今日からは敵の動きが手に取るようにわかる。
Voice<<東春海:そのレーダーってよぉ、敵の武器とかわかんねーのか?
Voice>> All:もっとランク上のレーダーなら可能だけど……それにはまだ資金が足りなかったから。とりあえずはこれで凌ごうと思う。
もっと精巧なレーダーなら、航空写真みたいに実際の地形まで表示されるけど値段は五倍近くになる。敵の位置がわかっても遠距離から狙撃可能なら迂闊に接近するのは危険だし、まだ戦術的にはただ〝良くなった〟というだけで、良いとは言えない。
祭りの日という設定のステージなのか、露店が多い。その割には人が少なく、普段からこんな街並みなのかもしれない。オレンジや青のテントのせいで視界は悪いけど、高い建物が無いおかげで、上からの襲撃は無いと容易に読める。
Voice<<山本太一:オ、オレはどうすれば良い?
Voice>> All:ボクが敵の位置を教える。ハルが右翼。山本は左翼を。二人で同じ方向の敵を撃つ必要は無い。ボクとトーマが援護するから。
素っ気無いと思われているかもしれないけど、必要以上の『声』を出したくはない。ボクら三人だけなら無線が使えるけど、持っていない山本と会話すると、音声が漏れるから。音声でサーチするアイテムがあったりするかもしれないし。
胡坐をかいている現実のボクの脚の上に、猫のルナが身を丸めてモゾモゾと動く。布団で寝れば良いのに。
そんな風に、ボクは一人──本当はみんなかもしれないけど、現実世界に引き止められるような障害があるせいで、ゲームの世界に没入しにくい。
気付いた時には赤い点は左右同時にボクらに接近していた。
Voice>> All:来る! 両方同時だ!
ボクは振り返り、後方のトーマに向かって左を指す。
山本のサポートは任せたという意図を読んでくれたみたいで、銃口がやや左に向いた。
Voice<<東春海:イズ!! まだか!?
言うや否や、テントの陰から敵が躍り出る。
Voice>> All:右翼、焼きそば屋のテント! 左翼、射撃のテント!
戦争ゲームの真っ只中で、訓練の受けていない一般人がライフルを構えているのは、いかに自分達の腕が良いかを思い知らされる。
合図を皮切りに、ハルが走り出す。慌てて山本も自分の方向の敵目掛けて走る。鈍くさそうにバタバタと足をもたつかせて走る様はさながら脱走兵だ。追っ手に怯えながら走る姿は的でしかない。そういえば、学校の体育の授業でもいつも運動音痴ぶりを発揮していたっけ。
右翼──敵の射撃をスライディングでかわしたハルは、そのまま頭上に位置した敵の腹に連射。続いたボクがその上を跳び、照準に迷った二人目の頭を撃ち抜いた。
左翼──それを横目で見た山本が真似てスライディング。銃床が地面と擦れてガリガリと持ち主の勢いを殺す。敵の目前で差し出された獲物の小太りに、容赦無く二本の銃口が向く。
前方の敵は、トーマの狙撃によってヘルメットが砕けてそのまま倒れた。火を噴く銃口に驚きながら、奇声を上げた山本は転がってかわす。
寝そべりながら、ハルは自分の持ち場では無い左翼に銃口を向ける。どてっぱらを開けたハルに敵の銃口が向くに決まっている。一人離れた所で敵は器用にも二つのテントの骨組みに足を掛けてボクらの隙を待っていた。
Voice>> ENEMY:残念だったね。
敵が狙っていると『意識』する。加えて、今は隙だらけだとそう『判断』する。それだけは武装の問題じゃなく、個人の能力によるものだ。
ハルをまたぎ、敵に銃口を向ける。
見付かるはずは無いと『意識』した敵にはその行為自体が立派な攻撃になり、銃口の向ける方向、どちらから向かってくるのか。『判断』材料が増えれば、それを決める時間は無くなる一方だ。
けど、ボクはそんな時間も与えはしない。
トリガーを引くという、人差し指をほんの数センチ動かすだけの行動で敵は死んだ。
背後では山本の命は救われた事を示すように、レーダーから敵の反応は消えた。三人目も、トーマが撃ち抜いたのだ。
『CLEAR!!』の文字が宙に浮かんで点滅した。ハルは勢い良く立ち上がると、山本の方に駆けて行った。入れ違いでトーマがやってくる。
Voice<<仁科冬真:ほら、ガキ大将気質って言うか、ハルって上に立ちたがるとこあるし。
ボクの不満を読んだように、トーマは笑って言う。確かに、この三人は平等な立場で、上に立つというのは難しい。
Voice>> 仁科冬真:いつか、部隊を編成したいとか言いそうだ。
Voice<<仁科冬真:そうなったら隊長を任せたら良いんだよ。
ボクらを迎えに車がやって来る。ご機嫌な武器庫のおじさんを見るに、戦果は上々といったところだろうか。
これはただのゲームであって、死にそうになったからだとか、足を引っ張られたからどうとか、そんな事は別に問題ではない。だからゲートを抜けて武器庫に帰ればハルは山本の鈍くささを笑って済ませるし、ボクもトーマも責めはしない。当の本人だって、次は頑張るからと笑う。
けど、武器庫のおじさんは顔をしかめた。
Voice<<武器管理者:お前らの戦い方悪くはねぇんだけど……信用し過ぎだな。人間同士だ。サポートが間に合わねぇ時だってある。
きっと、ハルに言っているんだ。敵の足元で寝転がるなんていうのはボクのサポートを頼っているからだ。現に、今回は間に合ったけど、次はどうなるかわからない。
ボクらはただ楽しんでゲームをしているだけなのに、水を差されて嫌な気分でロビーに戻った。
報酬を受け取ると、山本は一人訓練に行くと言い、ボクらはまた明日学校で。そうお決まりの挨拶をしてログアウトした。実際に身体を動かすわけではないけど、画面を見ながら走ったり跳んだりイメージするだけでも相当に疲れる。
アイウェアを取ると、足の上で猫ルナが目を覚ましたみたいで、小さな口を開けて欠伸をした。
「トイレとかどうしたらいいんだろう……」
机の上のパソコンで、猫の飼い方を検索しながら、ボクは気付いた。誰か里親を探した方が早いんじゃないかと。
昔から、この家はペットを飼う事を禁止されている。両親共に嫌うからだ。母さんは服に毛が付くのが嫌だと言うし、父さんは鳴き声がうるさいからという。
八畳もあるけど、猫をこの部屋だけにとどめておくには難しい。
身近なところで、ハルとトーマに聞いてみようとデバイスを手にした。
『子猫いらない?』
それだけ打って、送信しようとした手が止まる。飼うって言ったくせにあまりに責任感が無さすぎるんじゃないか? ルナがなんて言うだろう。そんなことを考えて、文章は破棄した。もう少しだけ。限界まで飼ってみよう。
ボクはそうした方が良いと判断した。
山本を加えての実戦を始めてから一週間が経とうとしていた。
土日は朝の十時を待ち合わせにして、訓練所で練習してから実戦に向かう事も今まで通りで、彼は文句も言わずに合わせる。ボクとしてはそろそろ遠慮して欲しいところだけど、ハルに合わせてそうは言わなかった。
明日からゴールデンウィークに入るという事で、朝からのログインが連日になる。
ストーリーがあるわけでもないみたいで、未だにただ戦うだけのゲームだとしか認識出来ない。ネット上でサバイバルゲームをやっているだけといえばそれまでだけど、飽きてはいない。むしろ、ステージのレベルを上げる事で新しい武器は解禁されるし、敵の数も多くなっていく。戦っている他国のプレイヤーにしてみれば、ランク3のステージにして実質三人で向かってくるというのは考えがたい事かもしれない。今は最低でも十人を相手取るステージにいるのだから。
「じゃ、今日も一七:〇〇な!」
そう言って、ハルは教室から飛び出すように、まるで実戦さながらの速さで帰る。トーマに聞いた話によると、そんな待ち合わせはボクらが来るのを遅らせる為のもので、一人先にログインして美零さんがいる受付カウンターにべったりと張り付いているらしい。
ゲームのキャラクターと話しているだけだっていうのに、ハルは実際にいる女の人に会いに行っているみたいだ。
ボクも帰ろうとした時、机の上にドンと黒革の鞄が置かれた。
「ネコちゃん元気?」
ルナがニコニコと言う。あれ以来、何事も無かったように話し掛けて来ないから、もう安心して任せてくれているものだとばかり思っていた。
「元気だよ。毎日、ボクの手を噛んで起こしてくれるよ」
皮の剥けた右手の小指を見せる。どういうわけか、小さな牙で同じところばっかり噛むからそこだけ皮が剥けてしまっていた。
「それはね、約束はどうした? ってことだよ」
「約束?」
「見に行っても良い? って言ったじゃん」
あぁ……誘えって事だったのか。
「じゃあ……」
今日? いや、ログインに間に合わない。いつなら良い? いつでも駄目じゃないか? そんな風に迷っていると、ルナはボクの鞄を引っつかんで背を向けた。
「今日一緒帰ろ? そのままネコちゃん見に行くから」
「いきなりだな……」
「なんか隠す間くらいは待ってあげるよ?」
別にやましい物は無いから、ボクは了承した。溜め息混じりに「良いよ」なんて言いながらも、どこかホッとした。あのまま任せっきりにされたら、クラスメイトを嫌いになるところだった。雨に濡れるのもお構い無しに猫を助けようとしていた彼女はどこに行ったのかと。
勝手に持たれた鞄を取り返し、ボクらは一緒に帰る事にした。
駅まで歩く途中、チラチラとボクの方を見てくるだけで何も話はしない。
一度そう『意識』してしまうと、どんどん気になって仕方が無くなってしまう。
「そういえば、ボクの家反対方向だけど良いの?」
「それくらいいいよ。それよりさ、今日も遊ぶんじゃないの?」
「遊ぶって?」
「東クンとかと毎日遊んでるんじゃないの?」
「あぁ……いいよ」
また文句を言われるだろうけど、ログインさえすれば問題は無いはずだ。どうせあの三人だけじゃ実戦には行けないとわかっているし。
改札を抜けると、当然のように本当にこっちのホームについてくる。そういえば、誰かを家に呼ぶことなんて今まで無かったような気がする。
「そういえばさ、結局名前何にしたの?」
「ル……黒……クロだよ」
「ベタな名前付けたね~。ケダマよりは良いけど」
一度も呼ばれたことの無い名前を呼ばれて、あいつは反応するのだろうか。猫は頭の良い動物というし、その辺は察してくれるだろう。第一、これは立派に主人の危機だ。毎日台所からサバ缶をくすねて与えている主人の危機だ。絶対絶命の危機だ。
最寄り駅の津田沼駅から家に着くまでに、時間は一六:三〇を過ぎていた。ログイン出来るのが今日は本当に何時になるのかわからない。
部屋に入ると、早速猫の出迎えの一声。隣でルナの目が輝いたのは見なくてもわかった。
「久しぶり~、クロ。ちゃんとお世話して貰ってた?」
一切返事は無く、二日間とはいえ懐いていたことさえ猫の頭には忘却の彼方に飛んでしまっているみたいだ。それ以前に、誰の事を呼んでいるんだニャ? という具合だろう。
「アタシのこと嫌いになったみたい……」
「あ~……猫って人の四倍の早さで時間が経つらしいよ。人間とは時間の流れが違うから、クロにはもう何日も経ってるようなものだし。ルナの事忘れただけで嫌いになったわけじゃないよ」
名前に反応したのか、猫はボクの方を見つめてくる。馬鹿、やめてくれ。そもそも、嫌いになられる事と、忘れられる事はどっちが良いんだろう。
「だったらまた仲良くなろうね、クロ」
「何回か来たらまたルナにも懐くよ」
「ノアァ~」
ついに返事までしてくれた。お前を呼んでるんじゃないんだ。
「あ、クロもそう思う?」
嬉々としたルナの言葉に裏切り者の猫は無反応。
「何か飲み物でも取って来るから…………ルナはその辺座って待ってて」
名字で呼べば良いものを、今更それはおかしな話だ。自分の名前を理解している賢い猫は、ボクが指したテーブル付近を陣取って身を丸めた。
逃げるように部屋から出たけど、さすがに誤魔化しきれそうにはなくなってきた。ハル達との待ち合わせにも全然間に合いそうにないし、味方は一人も、一匹もいないサバイバルゲームだ。
お茶とグラスを二つ持って、覚悟を決めて部屋に戻ると、なにやら察したみたいにルナはニヤリ。
「このネコちゃんさ~、アタシの名前に反応するんだけど、どういうこと?」
「……ルナの事思い出して来たんじゃないかな?」
「つーかさ、ネコちゃんをルナって呼んでんじゃないの?」
なかなか鋭い読みだ。これなら実戦でも通用するかもしれない。少なくとも、特攻するだけのハルよりは。
疑っているというよりも、訊ねているというよりも、その目は完全に確信した答えを待っている。ボクが肯定するのを待っている。
「呼びたい名前って無い? それがボクはたまたまルナだったっていうだけ」
「ぅわ~……開き直った」
「よし、ボクはネコも両方ルナって呼ぶことにする。ちゃんと宣言したしこれで良い?」
別に何の恨みも無いけど、喧嘩腰の言葉と取られそうな事をボクは口にしていた。
「そう呼ぶからにはちゃんと可愛がってね!」
「問題無く育つと思うよ」
「思う?」
「あ……育てるよ」
よく言えましたと言わんばかりに、彼女はご機嫌な笑みを浮かべていた。これで里親探しというルートは完全に断たれたわけだ。
ログインの約束の時間から十分が経過。そろそろハルは痺れを切らせているだろう。こないだ猫を拾った日だけだったけど、遅刻するのはボクしかいないし。
あれ? そろそろこのゲームやるんじゃニャいの? そんな感じで猫はB・Bの方にテテテっと駆けた。本当に賢い猫だ。
「その黒いの何?」
「ただのゲーム機だよ」
「なんか一緒にやれるの無い?」
「それ、今は一人用のゲームしか無いんだ」
〝今は〟と自然と言ったけど、これが一般流通したら色々なソフトが発売するんだろうか? そもそも、社名も機種名の明記が無い本体はいつになったら明かされるんだろう。誰かがW・Wをクリアした時? あのゲームの最終地点はなんなんだろう。
「アタシもやってみたい」
「ゲームとかやるの? 実際にフィールドを歩いて敵を撃つようなゲームだけど」
「やったことないからやってみたいってだけ」
初心者には難し過ぎるような気もするけど、でも実際に思考して手を動かす直感型のゲームなら、下手にボタンも多くてコマンド入力するようなゲームよりも簡単かもしれない。なにより、形だけでもログイン出来るのは助かる。
「良いよ。じゃあまずグローブを着けて」
B・Bの前に無造作に置かれたグローブを指す。最近の戦闘では毎回、汗はかくけど抗菌・速乾・消臭と三拍子揃った生地のお陰で臭くはないはずだ。
ルナは胡坐をかいてブレザーを脱いで、ブラウスの袖を捲り上げた。これからやる事に対してやる気満々の様子はちょっと違和感があった。ゲームとはいえ、あのリアルな世界で人を撃とうというのに。というか、意外と女の子らしさに欠ける気がした。
電源を入れると、本体からホログラム映像が浮かび、アイウェアを着けるように促した。
「ゲームってこんな風になってんだね。ゲーセンみたい」
「ゲーセンは行くんだ?」
「うるさいから入ってボーっとしてるだけ。何もやんないよ」
「……うるさい所から静かな所に行くっていうならわかるけど」
静寂が嫌いだと言うなら、アイウェアを着けた今はその嫌いな静寂そのものだ。
「次はどうしたら良いの?」
「右手を動かすとポインタが動くから、それで『ログイン』をタッチして」
彼女は動かない。生活音を断つ為に遮音効果があるのは知っていたけど、ここまで遮断するのか。となると、ボクがプレイ中に親が話し掛けていたかもしれないわけだ。もしかすると、これをプレイ中に部屋に誰かが入ってもわからないような気もする。
「ねぇ、無視?」
言ってもどうせ伝わらないから、彼女の右手を掴んで、ホログラム映像を見ながらログインに成功した。
自室の映像に切り替わると、ルナは小さく感嘆の声を上げた。
「これは陽の部屋って事?」
多分、会話する方法はこれしか無いと、ボクは映像を背にしてルナの前に回りこんだ。
「そう。まずここで練習してみよう」
「え? 声ちっちゃいよー?」
ルナの口元のマイクまで距離は十五センチ位しか無いのに? 最早この、ゲームに没入させようとする仕掛けには感服させられる。 もうマイクまで三センチ位の距離──プレイ時と同じ距離まで近づいた。直径約一センチのマイクを挟んで、ちょっとでも動いたら口がくっ付きそうだ。
「ここで練習しよう。テーブルの上にあるタブレット端末を掴んでみて」
「テーブルってどこあんの?」
「部屋の中を見回すんだ。例えば、右を見ようと思ったら右を向くことを『意識』すれば良い」
アイウェア越しに、ルナの目が右に動いたのが見える。振り返ると、ちゃんと映像の視点も右に動いていた。
「今度は左に。それが出来たら上下も」
目が、その順番で動く。映像の視点も。成功する度に、嬉しそうにルナの口角が少し上がる。
「テーブルあった! 掴むのは?」
「そこからじゃまだ遠いから歩いて。左下に自分の俯瞰図が見えるだろ? それが歩いてるのをイメージすると良いかも」
突然前進した視界が、勢い良くテーブルにぶつかった。その上のタブレット端末が滑り落ちる動きまでリアルに再現された。
「普段の自分が歩く速さとかイメージして。掴むのも、その掴みたい物に手を伸ばすイメージで」
視点が床に落ちたタブレット端末を捉える。映像を見ていたボクの後頭部を、ルナの右手が鷲掴みにした。手まで動かさなくてもいいのに。
「スゴイ! ホントに掴んだ!!」
ボクの頭をね。逃げるように振り返ると、ルナは成功を満足そうに笑っていた。
「ちなみに、ジャンプも出来る──」
言い終わる前に、彼女もそれを思い付いたみたいで、元気良く映像の視点を跳ねさせた。テーブルの上に乗ったら、そのままジャンプ! タブレットはそのまま手の中から床に落下した。棚を開けたり、ちゃぶ台返しみたいにローテーブルをひっくり返したり。まるで普段出来ないような事をやり尽くすかのように、仮想のボクの部屋を荒らし回った。
どこから飛んで来るかわからない両手から逃げる為に、距離を取って、ボクは荒らされる部屋を傍観するしか無かった。
迷惑な事に、このゲームのリアルさにはやっぱり感服するしか無く、ログアウトしたからといって部屋の状態が戻るわけではない。つまり、いつかはこの部屋を自分で片付けなければいけないのだ。
「でさ、敵ってどこにいるの?」
今の敵はボクの目の前にいると言っても言いぐらい、破壊神と化した彼女はニコニコと尋ねる。
「ドアから出て右に真っ直ぐ行くとロビーがある。そこに行って」
「は~い」
ドアノブを回すのもやっぱり手を突き出すから、ボクはいちいち逃げなければいけない。
「ロビーにハル……あぁ、東達がいるから合流して。それからは喋らないように」
「りょうか~い」
本当にわかっているのかわからない返事で不安だけど、合流するよりも早く、ハルがボクを見つけた。ゲーム機側面に小さなスピーカーが付いている事に今気付いた。そこから声がする。
「また遅刻かよ!」
「悪い、色々あってさ」
「今度は何拾ったんだよ?」
「そんなにしょっちゅう何か拾うわけじゃない」
三人は誰からともなく、美零さんの元に向かう。ルナも状況を察してくれたみたいで、後に続いてくれた。
「今日も実戦でお願いします!」
いつにもましてハルの元気が良いのは、相当打ち解けられたからだろう。三人を掻き分けるように、映像の視点は美零さんに近付いた。
何を思ったのか、ルナは美零さんに向かって手を伸ばし……。
「あらあら、どうしたの? 日出君、今日は発情期?」
「おいイズ! 何してんだよ!?」
手はボリューム満点の胸元に向かう。
「ちょっと! ルナ!!」
多分、他のプレイヤーには聞こえないと思うくらい声を潜めてボクは言った。
「人も触れんのかな~って。凄いね、このゲーム」
「おい! ボソボソ何喋ってんだよ!!」
「あ……いや……リアルの方でなんか虫が飛んでてさ……」
仕方無いやつと思ってくれたのか、美零さんは笑って済ませてくれた。
受付を終えて、出撃ゲートをくぐると、それぞれの装備をいつものおじさんが一メートル位あるサイコロ型のトランクに入れて用意してくれている。
「どれがアタシの?」
「一番右のやつ」
中身はランク上のアサルトライフルに、無線機とレーダーの搭載されたヘッドギアが入っている。まだまだ入る所を見ると、武装は果てしなく可能みたいだ。それに、一人につきトランクが一つとも決まっていない。
「さて、お前ら。今日も生きて帰って来いよ!」
「当然じゃないッスか!!」
「余裕ですよ」
トーマも最近になってそう答えられるほど、このゲームに馴れて来ていた。
ゲートが開いて、三人の後ろをルナが操作するボクは歩き出す。
映像でしか見られないけど、人がやたらと密集している。今日の戦場は……。
「原宿じゃん! すっごい! 本物みたい!!」
アイウェアの奥で、目が輝いている。初見のこの世界では驚嘆の声が出るのも納得だ。でも、その予期せぬ声に、三人が一斉に振り返る。
「お、おい! 誰だ!?」
もう誤魔化せない。今更、ルナはやってしまったというように両手で口を塞いだ。ゲーム内のボクもそんなポーズを取っているはずだ。
「同じクラスの須山さんだよ」
「え? 今一緒にいるっていうこと?」
トーマも驚いているし、山本もうろたえている。
「やってみたいって言うからさ。映像を見ながらボクもサポートするから、三人も手伝ってあげて」
ハル以外は「了解」とあっさり承諾してくれた。拳を握り、一人文句をぶつけてくる。意外と的外れな文句を。
「お前ら……そのマイク使って二人で喋ってるって事はもう……あれだろ。アレだぞ? 良いのか須山!? つーか、お前の声初めて聞いたな」
「…………なに?」
「すっげー近くで喋んねぇと声拾わないんだよ、そのマイク! てことはその……ち、チチ……チュー出来ちまうじゃねぇかァッ!!」
「マジで!? 陽そんな近くで喋ってんの!?」
意外とそういう所恥ずかしがるんだな、ハルって。堂々としてて自信満々な男の意外な一面を見てしまった。
「こうするしか会話する方法が無いんだ。嫌なら離れるけどどうする? ルナ」
「あぁあぁ……ルナとか言って……お前ら付きあってんのか!?」
「いや……そういうわけじゃ……」
ここは本当に戦場なのか疑わしくなる。まるで教室の休み時間みたいな会話で盛り上がっている間も、敵は待ってはくれない。ルナの右手を掴み、画面の右端を縦にスワイプ。映像にもそれは反映されて、レーダーを起動した。が、そこから先はプレイヤーにしか見えない。
「ルナ、青い二重丸がボク。青い点がハル達仲間。赤い点は敵。それは確認出来た?」
「うん……でも赤いのいっぱいあるよ?」
「どこに何個あるか言えよ!!」
もうやけっぱちのハルは怒鳴りつける。そんなのも意に介せず、ルナは冷静に宙にアイウェアに浮かぶレーダーを見つめる。
「上に五個、右に七個、左に……八……九……十個ある」
さすがに怒りも消え失せたみたいだった。よりによってこんな時に過去最大数の敵のお出ましだ。
「イズ君……これ、初心者が出来る数じゃ……」
山本が初めてボクに話し掛けた。それを言うならお前だってたいした戦力じゃない。そう言おうとした時、
「ゲームなんだし良いじゃん」
どうでも良さそうなルナの言葉を皮切りに、まずは右の集団を潰しに掛かる事にした。数の少ない真ん中に行って、両サイドから挟まれたらそれこそどうしようもない。左側は線路を挟んだ所に居るんだろうし、合流に時間はかかるはずだ。
人通りの多い竹下通りに入る。街の騒音まで再現してくれるこのリアルさは、無線を持ったボクらには優位に働く。
「ねぇ、これって店に入ったり出来ないの?」
ルナがヒソヒソと言う。ボクらはこれを『敵を倒すゲーム』としか認識していなかったから、そんな発想は無かった。外観はリアルだ。じゃあ、その中身は?
「三人共、先に行ってて。試したいことがある」
「いいけど……レーダーで教えろよ」
「わかってる」
中高生の多い中を、武装兵が歩いているのは異様だ。主観でしか見られないのが残念だ。コスプレと思えばそれまでだけど、ここはそういう街でもない。
「ルナの好きな店に行っていいよ」
「ホント? じゃあいつも行くとこ案内してあげる」
慣れているだけあって、視点の動く速さがさっきまでと違う。頭の中で描いている景色と、ゲーム内の景色がリンクしているのだろう。路地を左に曲がると、突き当たりにパンク系の服屋があって、そこで視点は止まった。いつもの買い物と言わんばかりにドアを押し開けると、店の中には入れた。
「うわぁ……ヒロコちゃんいる」
「誰?」
「スタッフの子。よく話すんだけど、やっぱゲームじゃムリだね」
そもそも、店に入って来たのは銃を持った武装兵だし、ルナでもないから接客しろという方が無理だろう。リアルさを追求するなら、このまま銀行にでも入れば通報されたりするのだろうかとも思いついた。逮捕エンドなんて勘弁だけど。
視点は店内を見回す。よく再現されているらしく、ルナは感嘆の声を漏らしていた。
「何か服とか持てる? 普通に買い物する感じでやってみて」
「改まって言われるとなんか難しいね」
Tシャツを広げて見る事は出来た。ハンガーで壁に掛けてあったレザージャケットだって取れた。
「お金は四十万円ぐらいあるから、何か買ってみて」
「何でも良いの?」
凄い速さで視点が切り替わったと思うと、ルナは赤いチェックのスカートを手にした。
「これさ、店舗限定で行かないと買えないんだよ!? よく再現してるね!!」
アイウェアの中に見える目は爛々としていた。
「それで良かったら買ってみて」
レジに向かうと、店員のヒロコちゃんとやらは丁寧に対応してくれる。アバターの着せ替え機能でもあるのか? だとしたらスカートじゃないほうが使えるし良かった気もする。六千円位なら問題は無いけど。
「スゴイ! ホントに買えた!!」
「でも残念ながら実際に着られるわけじゃないよ。そうだ、レーダーは?」
そろそろハルがうるさそうだ。
「あとね~、三センチくらいで赤いのとぶつかるよ。三つある」
レーダーの三センチって実際の距離でどれくらいなんだ?
「ハル! もうすぐ敵と接触する。三人だ」
「おー、了か……いた!! おっせーよ!!」
「ルナ、ハル達に合流して。息切れは無いから走って」
「うん、やってみる……」
一瞬、店内の鏡に買い物袋を持った武装兵という異様なものが見えたけど、このまま戦うしかないのだろう。
店を出るなり駆け出した視点は速過ぎるくらいだった。いつも通る道とゲーム内の道が同じだから、ルナの頭の中に描かれた風景と誤差無く、ボクのアバターの限界速度で走れている。
その事から推測すると、ここはルナにとって最も得意なフィールドと言えるはずだ。
竹下通りを抜けると、横断歩道を越えた先の大きなビルの非常階段に向かって、ハル達は銃を向けていた。
「どうやって攻撃するの?」
右手を掴んで画面右端をスワイプ。『SAFETY』を解除。すると、右手を上げたら銃口が映像にも現れた。
「これで攻撃出来るよ。銃を持ってるつもりで握って、トリガーを引く感じで人差し指を動かせば撃てる。弾丸の制限はあるけど、まずは考えなくて大丈夫」
残りの敵の人数を考慮すれば節約するに越した事は無い。でも余計なプレッシャーを与えるのも良くない。
ゆっくり、人差し指が動くと、敵のいるビルの大きな看板を撃ち抜いた。人気タレントの額に穴が開いた。
「クソエイムでちんたら撃ってんじゃねぇよ!」
「クソエームってなに?」
ハルの罵声も、素人には何も伝わらない。
「この銃はトリガーを引きっぱなしで連射出来るんだ。それと、銃口の上にある白い円があるのがわかる?」
言葉も無く、初めて放り出された戦場で新人はうんうんと頷く。
「それを敵に合わせて撃ってみて」
映像の視点が右往左往する。三人いるうちの誰を狙えばいいかわからない風に。
敵は、その様子から素人であることを見抜く。三つの銃線がこっちに向かって放たれる。
「ルナ、前に避けて!!」
言うや否や、目の前のボクの頭を目掛けて思いっ切りヘッドバットが飛んで来る。
「い…………ったぁ~い!!」
「前に動くようにイメージするだけで良いんだよ……」
レースゲームの初心者がカーブで身体を曲げてしまうのと同じ現象だ。咄嗟に動くのは思考よりも身体だから仕方無い。
「須山走れ! とりあえず逃げろ!! 隠れろ!!」
ハルが声を荒げていた。視点がよろよろと動く。痛みでゲームのイメージをするどころじゃないのだろう。
ゲームとはいえ、ハルが必死なのはボクらにまだ負け星が付いていないからだ。最初に言っていたけど、負けず嫌いな性格の彼は素人だろうと戦場に立てば負けることを許してはくれない。勿論、ボクも負けたくなんかない。
「トーマはどこかスポットを見つけてスナイプして。ハルと山本はそのまま交戦。ボクが囮になる。ルナは出来る限り敵を見ながら走って」
三人が三様に『了解』と返す。ただのゲームをしているルナの「は~い」というぼんやりした声も乗った。ボクはそのまま、ルナの右腕を掴んで後ろに回った。二人羽織みたいに抱く形になってしまうけど四の五の言える戦況じゃない。
映像を見ながら、ひたすら動く視点の中で三人の銃線をかわしながらボクは応戦した。あいつらはこっちが二人でやっている事なんか知らない。動きは素人でも、撃つのは歴戦の兵だ。ビルのテラスみたいな狭い所じゃそう大きく動けない。通行人が障害物になるのは向こうだって同じだ。
それに、三人がボクに夢中になっている間に、ハルと山本はエスカレーターを駆け上がって射程に捕らえている。
それに気付いた時には既に遅く……。
四つの銃線が三人の敵を同時に、一瞬にして肉の塊に変えた。
「トーマ、どこから?」
「向かいのビルの服屋さんだよ。イズの真上かな」
ルナが見上げた時にはもうその姿は無く、残りの四人を追撃に向かう。レーダーを見たのか、言われる前にルナは明治通りを表参道の方に走り出した。
「あ、須山どこ行くんだよ?」
「…………あっちに四つ赤いのある」
「お……おぅ……」
馴れたのか、視点の移動が速い。いや、やっぱりこれは場所に馴れているというだけだ。
「イズ! お前なんか装備買った? 速くね!?」
面倒だけどもう一度、マイクの前に回る。
「何も買ってないよ。自分の慣れた場所なら自分のアバターの最高速度で走れるんだと思う」
「じゃあよ、もしオレん家が戦場になったらオレが一番速いってことか?」
「そんなに走れるスペースがあるならな」
そういえば、遊ぶのはいつもこのゲームの中だけで誰の家にも行った事は無いし、来た事も無い。そもそも、今までもボクは家に誰も呼んだことはなかった。行ったことは……あったっけ?
大きな交差点の、対面の角にあるファミレスのテラス席。ルナはそこに銃を向ける。敵はまだ気付いていない。
隣を走っていたトーマはすぐさまライフルを構え、スコープを覗き込む。
「凄いね、須山さん。本当にいる」
人にぶつかるということは、車にもぶつかれば普通に轢かれるはずだ。ゲームだというのに、しかも命を懸けた撃ち合いをしているのに、信号を律儀に守らなければいけない。
そんな事を考えるほど、ハルは大人しくはない。車の隙間を縫って、車道に飛び出す。
「トーマぁ! 援護頼んだ!!」
援護は一人でいいということではなく、それはボクらも突っ込めという無言の指示。そして、そうするであろうという無言の信頼。今動いているのは初心者のルナだっていうのに。
やっぱりその期待を裏切って、ルナは銃を構えて走ろうとはしない。大体、普通に車が走っているのに飛び出す方がおかしい。現に轢かれかけているし。
急ブレーキをかけたせいで、後続の車も連鎖が起きたように車が停止する。
「今だ! 走れ太一! イズ……じゃなくて、須山!!」
言われてルナも走り出したけれど、その頃には既に敵に気付かれている。テラスの塀を遮蔽物にして、敵は上手く身を隠しながら発砲する。連射の性能から見てマシンガンだ。ハルの足元に線引くように銃線は火を噴いた。
「どうせ車は動かないし、こっちも一旦隠れて」
太一は既に隠れているし、撃たれた以上、ハルには退く気は無いはずだ。結果、ルナにだけの指示となった。角度的には隠れられている気はしないけど、立っているよりはマシなはずだ。
トーマからの通信が入る。
「三人で囮になってくれないかな? 表に顔を出せば僕は撃ち抜けるから」
「一人撃った時点でトーマの位置もバレると思うけど? 残り三人をかわせるの?」
「大丈夫。僕を狙ったらそれで交替。囮と攻撃を切り替えるんだ」
さすがにハルとは正反対でこんな局面では頼りになる。
「イ、イズ君、オレどうしたらいい?」
「とりあえず撃ちながら走ろう。敵がボクらを撃ちだしたらそれがチャンスだ。一・二・三で二人は飛び出して。ボクはマイクから離れるからあとは頑張って」
再び、ボクはルナの後ろに回って右手の銃を構える。
「す……須山さんは用意出来てますか?」
「……うん」
山本は恐る恐る指を折ってカウントする。三本の指が全て折られて拳に変わった瞬間に、山本を見ていた視点は一気に上がってファミレスを向いた。
既にハルは交戦中。山本は自分でカウントしたくせにワンテンポ遅れて飛び出す。
三つの銃線が向かうと、敵は当然引っ込む。マガジンの交換を装って、ボクはトリガーを引くのを止めた。さすがに、その動きを装うほどルナに経験も知識も無い。
それでも、攻撃の手が緩んだ事を知った敵は、身を乗り出してボクに銃口を向けた。そのプレイヤーの首を銃線が仰け反らせると、そのまま、塀の向こうに姿を消した。
「っしゃあ! ナイスだトーマ!」
「三人はそのまま行けるはずだよ!」
その予想通り、二人は銃口を泳がせて、見事に仲間からも姿を隠したスナイパーを探した。店に向かう階段をボクらは駆け上がり、ファミレスに突入した。まるでテロリストの襲撃に、客は絶叫していた。外にはずっと同じ格好のヤツがいたっていうのに。
飛び降りるには少々高いテラスで、うろたえる敵は恰好の的でしか無く、ボクらは有無を言わさず撃ち抜いた。
仕事を終えた三人の武装兵は店を出て地上に向うと、トーマが駆け寄ってくる。
「僕思ったんだけどさ、本当に敵は一つのチームなのかな?」
「あぁ? どういうことだよ」
「レーダーを起動するまで時間はあったにしても、分散するのが早過ぎるんだ。だから四チームがここにいるのかなって」
トーマは、予測だとか確信の無い事はあまり自信を持って言わない。というよりも、性格的に言えない。否定されるのが恐いからだと思う。
「確かに、その予想は一理あるね」
そんな風に肯定してあげると、目を輝かせてトーマは言う。
「イズもそう思う?」
「レーダーはどうなってる? ルナ」
「ん~、多分線路辺りでゴチャゴチャしてる」
「やっぱり! 戦ってるんだ!」
交戦中だとするなら、どちらかのチームが勝った時点でボクらが襲撃すれば手間は省ける。今飛び込んで混戦になっても面倒だ。そう提案しようとした時、山本が恐る恐る手を上げた。
「オレらはそれをどこかから狙うっていうのは? パニくってる所を撃てば勝てるよ」
意外と黒い。潰しあうのを待つのとどっちがマシかと言われると難しいけれど。実質リーダーのハルはそれに手を振って否定した。
「トーマは良いかもしれねぇけど、俺はそういうのは性に合わねぇんだ。やっぱガンガン突っ込んでこそだろ!!」
「じ、じゃあ、線路近くにいるんなら、トーマ君のライフルで電車撃ってさ、爆発させるっていうのは? 乗客は死ぬけどそんなのただのモブだし」
目的の為なら関係の無い被害はどうでもいいらしい。思考は完全にテロリストのそれだ。山本って本当は危ないやつなんじゃないのかと、ボクらは思い知らされた。その証拠に、ハルも言葉を探して見付からずにボクを見る。
「電車なんか撃っても一発で爆発するとも思えない。それよりもここは時期を──」
「ねぇ、赤い点が減ってるよ」
その時期は思っていたよりも早かった。〝減ってる〟ということは一つ二つ消えたくらいじゃないはずだ。
「よし、この隙に行こう。ルナ、みんなを案内して」
「は~い」
視点が動き出す。表参道を原宿駅の方に。人の波を上手くすり抜けるようにかわしながら。
「だから速いってんだよ! なんなんだそれ!?」
「遅いだけじゃん」
声が小さくてハルには聞こえなかったらしい。地形、風景を知らない人にとってはこの移動は人をかわすシューティングゲームみたいなものかもしれない。私服姿を見た事はないけど、きっと無縁の場所である山本はオロオロキョロキョロとしながら歩くから遅い。もしかしたら、現実でもそうなのかもしれないと思わされる。
「このまま敵が集まってる中心地まで行って良いの?」
「ボクはレーダーが見えないから、敵がいる範囲に近くなったらとりあえず止まって」
原宿駅を越えて新宿方面に。少しスピードが落ちたのは、歩いた事がないからだろう。二叉路を真っ直ぐ。にわかに異国の言葉と、銃声が聞こえた。
敵は全て赤一色というなら、誰がどっちのチームかなんてわかりようがない。まぁ、敵に変わりは無いから全ての赤を消灯させれば良いだけの話だ。
「敵が近いのか?」
ハルに五メートルほど遅れてトーマもやって来る。山本の姿は見えない……もういい。
「敵の数はどれくらいになってる?」
「えっとね~……七個……あ、五個になった」
絶賛撃ち合い中の様子は丸わかりだ。敵にレーダーを持っているプレイヤーがいないのかはわからないけど、向き合っている相手から逃げてボクらと戦うという選択肢は無さそうだ。
「四つになったら突っ込もう。もし挟まれても三人でなんとか出来る数だ」
「つーかよぉ、タイチは何やってんだよ……」
「これだけ人が密集してた事無かったから苦戦してるんじゃないかなぁ?」
トーマもあまり気に掛けている様子は無い。実際に遊びに行ってはぐれたわけじゃないんだし、絶対的な戦力というわけでもないから別にかまわないとは思う。
「四つになったよ」
視点が動き出す。国も名前も知らない奴ら同士で、専門学校の非常階段と地下に降りる階段で撃ちあっているのが見えた。戦況は二対二で五分。元の数が違うからどっちかが強かったんだろうけど。
「陽、どっち行けば良い?」
「ボクとルナは地下の奴をやる。二人は上の奴を」
狙撃手が平地で遠距離から地下を撃つというのは物理的に不可能だ。且、上の敵に突っ込むのは分が悪いから攻撃の手を分散させた方が良い。これはさっきの戦い方と同じだ。瞬時に判断出来た。
指示が終わると、ボクはルナの後ろに回って射撃体勢に入った。突如突っ込んで来た新たな敵に、非常階段に向いていた『意識』は乱されて、銃口をどっちに向けるかという『判断』が出来なかった敵兵は敵前逃亡という道を選び、地下への階段を駆け降りた。間抜けに背中を向けた一人をボクは撃ち抜く。
「Noooooooo!!」
仲間の死を悼む怒号がボクに向けられた。追おうとした時、敵は視界から消えて足元の階段だけになった。
「ちょ……ルナ!? 前見て」
「え? だって足元見ないと危ないじゃん」
確かに、転ばれるよりはマシかもしれない……けど、階段を降りた下はエントランスになっていて、ボクは恰好の的になっていた。 銃声は聞こえるけど、当たりはしない。足元の階段で火花を散らしたくらいだった。ハルの言葉を借りるなら〝クソエイム〟だ。
階段を降りきると視界が上がった。敵は撃ちながら後退して、逃げるように身を壁に張り付かせる学生達に銃を向けながら逃げていた。
もういいやとボクは銃を、ルナの右手を下ろした。初心者丸出しの腕で戦おうという気持ちと、逃げようという気持ちの葛藤が丸見えで可哀想だ。逃がしてやろう……なんていうことではなく。
敵の脳天に、真上から銃線が走った。ハルが身を乗り出して撃ったのだ。
「珍しいな、イズが撃たないとか」
「勝つとわかったら撃つ必要ないし」
宙に『CLEAR!!』の文字が浮かぶ。四チームのバトルロイヤルを制したのはボクら日本チームだった。
武器庫のおじさんが迎えに来た時、既に山本は車に丸っこい身体を縮めて申し訳無さそうに乗っていた。
「た~い~ちぃ~、お前サボったな!?」
「ごめん!! 次は役に立つから!!」
「ったく。しょうがねぇなぁ、お前は」
彼の言う『次』は一体いつなのだろうか。おじさんは何も言う事は無く、でも機嫌が良さそうなわけでもなく、無言で武器庫まで乗せてくれた。ロビーには次に出撃するプレイヤーが待機していた。ゲートは一つしかないから、出撃の終了と開始が重なるとこういう事も起きるみたいだ。
報酬も受け取ると、ハルはボクの肩に腕を回した。これがルナだということは覚えているんだろうか。
「で、話せよイズ。付き合ってんの?」
「まだルナが操作してるよ」
言うなり、慌てて飛び退いた勢いでハルは噴水に落ちた。
「プ、だっさ……」
「お……お前……須山! 学校始まったら覚えとけよ!!」
「……アタシ何もしてないじゃん」
「……そうだけどよぉ。その……お前、イズに変な事すんじゃねぇぞ!!」
ビシャビシャと廊下を濡らしながら、ハルは自室のあるゲートに走って行った。何事かと他のプレイヤーが見るけど、完全に逃走兵の後姿を隠しもしない。
「どうせ学校でも何もしないくせに」
トーマは面白いものがいなくなったゲートを見て言った。小中高の一貫制の学校だから、昔からあんな感じという事はわかっているんだろう。
「ガキ大将の代表格だな」
「東クンをカッコいいって言うクラスの人もいるのにね」
「学校のSNS見てるんだ?」
配布されたタブレットのアプリの一つだ。各クラスの掲示板があって、先生も見ているようだけど担任が『アレ』だから初日はそれで盛り上がっていた。けれど今はクラスメイトだとか他のクラスだったり部活だったり話題は分散している。匿名に設定する事が出来るから言いたい放題で盛り上がるのは、学校限定でも一般のネットでも変わらない。ボクも、ハルが好評なのは知っている。中学校はサッカー部でわりと活躍していたらしいというのも、そこから得た情報だ。でも、ルナが見ているのは意外だった。
「たまにね。授業中ヒマ潰しになるし」
「そういうの興味無いと思ってたから」
「別に誰が誰を好きだとかは興味無いけど、なんとなくあるから見てるだけ」
「トーマも見てる?」
ボクの問い掛けに、ルナはトーマの方を振り返ってくれたけど、その姿は元いた場所にはもう無くて、自室へ向かうゲートの方にあった。山本も、ひっそりと後を追うように。
「上がるんなら言って行けば良いのに。ボクらも終わろう。自室に帰って」
移動もスムーズに、自分の部屋に帰る。ドアが開くと、惨状が広がったままだった。
「これってログアウトしたら戻るよね?」
「……例えば、朝、ルナの現実の部屋を出て学校に行って、帰って来たら綺麗に掃除されてる?」
その答えに辿り着いたみたいで、苦笑いで「ゴメン」とだけ言って、再び頭突きした。謝るつもりで頭を下げたらボクがいただけの話で悪気は無い……はず。
右手を掴んで画面をスワイプ。『ログアウト』をタッチして、ルナは一仕事終えたみたいに息を吐いて、アイウェアとグローブを外した。
退屈そうな猫を構いに、ボクはテーブルの方に避難していた。コロコロと表情を変えて面白いルナの顔を見るのは、アイウェアを挟んで一方的にだけでいい。
「これすっごい疲れるね。普通は動きながら撃つんだよね?」
「そう。おまけに、たまに猫の方のルナがボクの脚の上で寝てるっていう障害付き」
まるで自分が邪魔といわれているみたいで不満なのか、ルナは頬を膨らませる。
「やっぱ名前変えて」
「ケダマに?」
「……ノアにしよう!」
〝しよう〟というよりも、〝しろ〟という方が正しい。
「ノアか。〝神と共に歩んだ正しい人〟だったっけ? 気まぐれな猫じゃ箱舟作りも飽きてやめそうだけどね」
「なに言ってんの? ノアァ~って鳴くからノア! 決まりね」
知識も相手が知らなければ逆に馬鹿みたいにしか見えない。そんな感じだった。
「じゃあこれからはノアって呼ぶ事にする」
「アタシが帰ったら戻るっしょ?」
鋭いな。もっと練習したら実戦でも活躍出来る凄いプレイヤーになれそうだ。本体が一個しか無いのが残念だ。そういえば、この本体で個人認証するのだとしたら、もっと色々なゲームが出た時に全て反映されるのか? アイウェアもグローブもワイヤレスだし、これから複数人でプレイする事も出来るようになる? その為のホログラム映像?
そんな事を考えていると、テーブルを挟んだルナが、頭突きしそうな勢いで顔を近づけた。
「……何?」
「アタシらこんな近くで話してたの?」
アイウェアが無いと目を合わせるのが難しい。
「しょうがないんだ。生活音を遮断する為に音は遮断されるし、拾わないようにマイクも本当に近くで話さないと声を拾わないし。でもだからって声を張り上げてるわけにもいかないしさ。そもそも、二人でやるように創られてる物じゃ──」
「緊張してますね?」
近いから顔の全景はわからないけど、細まった目が笑っているんだと伝えた。
「緊張? そんなわけないよ。さっきもこうやって話してたんだから別に今更。ハルじゃないんだから。あ、もしハルがこんな事されたらショック死しそうだな」
「口数が多いですよー?」
緊張しているのか? 『意識』がボクの鼓動を速くさせる。操られているみたいに呆気無く、簡単に。ボクは唾を飲み込んで緊張を抑えようとしたけど、この状況が『判断』を間違わせた。
多いと言われた口数は弾切れの銃みたいに何も出なくなった。トリガーを引いても、口がパクパクと動こうとするだけで、何も出ない。
そんなボクに、ルナは真面目な調子で撃ち続けた。
「一コ聞いていい?」
「何?」
「こないださ、なんでジュース買って来てくれようとしたの?」
寝惚けていたみたいだから覚えていないと思っていた。そうでもないらしい。
「いつもパンとチョコで食べにくいかと思って。それだけ」
ルナの目が驚いたように少し開いた。
「見てたの?」
「見てたって言うか、席が隣だから見えるって言うか……」
因みに、ボクら三人はトーマが机を回転させてボクの机と連結。そこに自分の椅子を持って来たハルが加わって三人で弁当を食べている。山本は食堂に行くから参加するのはゲームだけ。その横でルナは一人でパンを食べながら自分のデバイスを弄ったりしている。
この際だからボクは付け加えてあげた。
「ルナは毎日『ランチスティック』のキャラメルクリーム味を食べてる。お菓子は板のミルクチョコを半分。もう半分は翌日」
口にしてみると、ストーカーみたいで気持ち悪い事に気付いてしまった。ルナはそこを突きそうだと思ったけど、違った。
「あのパンが一番美味しいから。安いし」
「……ボクも一つ聞きたい事があった」
「なになに?」
ゲームの時よりも、目が燦然とした光を帯びたように思えた。
「ル……ノアを拾った時、人間にも動物にも愛情を注げないタイプって言ったよね? ボクはハルとトーマっていう友達もいる。あ、でも愛情とか変な風に取られたら困るけど……」
「本当に友達だと思ってる?」
ボクの顔が曇ったのが見えなくてもわかった。
「思ってるよ」
「なんか一歩引いてる感じに見えるから。こう言っておけばいっかとかそんな風に思ってそう」
「…………見透かしたつもり?」
「アタシ多分陽のことわかると思うよ。わかりやすい。隠してるつもりでいることも」
「だったらボクは今何を考えてる?」
「読めるわけない……でしょ?」
なんなんだ……相手が悪い。もし敵に回したら勝てそうにもない。ボクは本当に簡単でわかりやすいらしい。
「……さっきの話の続きだけど、ジュース買ってあげようとしたのはただの思いつきでからかっただけだ。別にルナを見てるわけじゃない」
「パンまで覚えてたくせに?」
……ボクは馬鹿だ。また、何も言えなくなった。
「よく目逸らさないね」
「逸らしたら負けの気がして」
心臓の鼓動はマシンガンのようだ。反動が忙しくて、本当に身体が揺れているような気分になってくる。
ルナの目がまた細まった。何か思い付いたらしい。
「東クンも言ってたけど、チュー出来る距離だね」
眼前にロケットランチャーでも持った相手が現れたように、ボクの思考は停止した。動けと『意識』する。その弾丸をかわすようにと。
「そ……うだね」
ちゃちなハンドガンを構えるのが精一杯だった。
「していい?」
その言葉は、発射されるよりも強烈で、ボクはハンドガンを降ろした。もう、戦う気も失った。
静かに、そっと、肩に手を掛けて引き離した。
「そういう事は言うものじゃない」
「冗談だよ。からかっただけなのに」
真剣なボクの顔を見て、調子を失ったみたいに、軽かったルナも口を閉じた。
「冗談でもそういう事は言って欲しくない」
「なんで?」
どう返すのが正しかったのか。銃を撃って敵を殺す。たったそれだけ。そんなたった一つの答えがあるわけでもない会話のコミュニケーションという戦いは難しい。
「ボクの勝手な押し付けかもしれないけど、ルナにはそんな事を言う人であって欲しくない」
「押し付けだね」
「わかってるけど……そういう事はちゃんと付き合った人に言うべきだと思うんだ」
「誰にでも言うわけじゃないよ? ってか、初めて言ったし」
「じゃあ今ので最後にして」
言葉も無く、ルナは頷いて、時計を見て立ち上がった。
「今日はもう帰るね」
「え……気を悪くさせるつもりはなかったんだ。ただ──」
「ううん。バイトあるから帰るだけ。なに慌ててんの?」
「……バイト?」
もうすぐ七時だ。こんな時間から?
「うん。急に休みになった人がいるから。何? いかがわしいバイトだと思った?」
「思ってない。ルナは……そうじゃない」
「それも押し付けだね。実はそうかもしれないし」
理想の押し付けというよりも、それはボクのただの願望なのかもしれない。教室で誰ともつるまず、一人気ままに過ごす様は、見た目に反して内気な女の子というのがボクの見る『須山ルナ』で、それを壊されたくなかっただけなのだろう。知れば知るほど、ボクの思うような人ではなかったのかもしれない。
「……何のバイト?」
「ゲーセン。あんま喋んなくていいし、髪も自由だし。どう? 安心した?」
「……別に」
勝ったと確信したらしく、ルナは上機嫌にノアの頭を撫でてドアに手を掛けた。
「ね、次はいつ呼んでくれるの?」
今日もボクが呼んだ覚えはないけど。気を害してないみたいで良かったとしか言えない。
「いつでも良いけど……連休最後の日は?」
「うん……いいよ。前の日にでもまた連絡してね」
残念そうな顔でそう言い残してルナは部屋を出た。台風が去ったみたいに、部屋は静寂で、約束の日に何か言いたそうにしていたのが気になったけど、もうどうにもならなかった。
寂しくなった。そう言うように、ノアはボクに顔を擦り付ける。
ゲーム内の部屋を片付けなきゃいけないけど、彼女が真面目に働いて稼いでる間にも、ボクはゲームをしていると思うと、どうにもログインする気にはなれなかった。
玄関が開いて、母さんが鳴らす生活音が騒がしく聞こえ始めた。ここはもう戦場ではないと、教えるように。
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