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翌日の日曜日。燃え盛る反抗心をゲームで消化してやろうかと思いながら、でも、ここは一旦離れて冷静になろうかなんて思いながらベッドでゴロゴロしている間に、時間は十時になっていた。
デバイスの短い振動に、ボクの頭は一気に覚醒した。連戦は初めてだと思いながら、画面を見るとメールでは無く、チェインからのメッセージだった。
『ヒマ?』
反抗児からだ。召集令のメールよりも非常に簡素でわかりやすい。更に短く、『暇』と返す。これ以上短くは返せないはずだと思っていると、一切文章の無いメッセージが返って来た。そんな手があったかと敗北感に飲み込まれていると、
『ゴメン、間違った。どっか行かない?』
良かった。ボクの勝手な戦いまで読まれていたのかと思った。というか、テレビとか他の女子の話を参考にすると、もっと絵文字なりスタンプなりあるはずなのに、素っ気無い。
『良いよ。でも今起きたから時間掛かると思う』
都内方面の電車に乗ったら連絡してという返事を最後に、ボクは急いで仕度して駅に向かった。行き先を決めずに電車に乗るのも、切符を買うという支払い方法じゃないから可能な事だ。
本八幡駅に着くと、ルナはあのボロボロのパーカーのフードを被って電車に乗ってきた。暑いのか、袖は捲くられていた。もうパーカーの季節じゃないし着なきゃ良いのに。結構不審な空気が漂っている。
「どこに向かってるんだ?」
「このまま代々木行って乗り換えて原宿。いつか行こうって行ったじゃん」
唐突なのも馴れてしまえば『いつも通り』と片付けられてしまうから、慣れって凄いなと思う。
日曜日の昼下がりは人でごった返していた。もうかれこれ流行の発信地と言われ、六十年もこんな景色があるらしいから、パワーのある街だ。
ハルが憧れていた『手を繋ぐ』という事は、一方的に手を取られた事で叶ってしまい、そのまま握り返して、不思議な気分を味わった。良い奴なのに女子が苦手って言うのも理不尽な話だ。一度馬鹿にされたことで逃げるほど苦手意識を植え付けられるというのは、どこかで聞いた話だと思ったら、ルナの声もそうだった。
「似てるな、ハルとルナって」
「バカって言いたいの?」
暗にハルを馬鹿だと断言しているぞ、それは。
「いや……どっちも良い奴だなって……」
「ふ~ん。アタシは嫌い。でも友達思いだよね。女子と話さない代わりに……あ! 同性趣味の人!?」
「違うって! 女子と手繋ぐのが目標らしいし」
「……小学生みたい」
今頃くしゃみでもしているだろうか。連れて行かれたのは、ゲーム内で行ったパンク系の店で、驚いた事に店員は同じく、確か『ヒロコちゃん』だった。内装も、商品の差はあるけど同じだ。
国が創ったゲームとはいえ、こんな小さな店の中まで再現する必要があるのか? そもそも、あれは本当にただの戦闘用アーマーのシミュレーターの役割しかないのか? だったら何故買い物が出来る必要があるのだろうか。税金を使って実店舗に買いに向かってまで。
「凄くない? ゲームで見たまんまっしょ?」
「うん。だから驚いてる……」
ここだけじゃない。色々と連れて歩かれた竹下通りも、敵と遭遇したビルも。遅い昼ご飯に行ったファミレスの店内も。全部同じ。
まるでバーチャル世界に同じ世界を創ろうとしているみたいだ。この国は何をしようとしている?
「どっか行きたいとこ無いの?」
思案を遮る言葉に、ボクは現実に返る。
「あぁ……うん。いや無いけど。でも意外だな、こういう人の多い店来るように見えないから」
テーブルの端にある、注文用タブレットをルナは指す。
「これあるところしか行かない。声出さなくて済ませられるから」
「徹底してるんだな。逆に行きたい店無いのか? 例えば、声出さなきゃ注文出来ない店とか」
呪文みたいな商品名のコーヒーショップとか。
「あるけど、そういうのは諦めてんの。それくらいイヤ。自分の声聞かれるの」
「でも今は一人じゃない。行きたい所に行ける。代わりに注文してあげられるし」
「…………人に頼りたくない」
そう言うと思った。話すことを拒むというよりも、人との関わりを避けているようにさえ思える。
「今更そう言うなよ。友達じゃないのか?」
「人付き合いがわからなくてさ。どこまで頼んで良いのか、どこからが頼ってるって言うのか。それに、一人じゃ出来なくなる事があるのはイヤ。だったら初めから出来なくて良い」
「まぁ四六時中一緒にいれるわけじゃないしな……でも、だからこそ一緒にいる時には一人で出来ない事をすればいいわけでさ」
開いていたと思っていた心はまだ開いてはいなかったということか。いくつ扉があるのかわからないけど。大きく息を吐いて、ルナはデバイスを見せながらポツリと、
「ここのクレープ食べたい」
「……今パンケーキ食べたのに?」
「甘いモンしか食べないから」
昔から続いているらしい、地方の修学旅行生にも人気の伝統的なチョイスだ。デバイス内臓のアプリでの支払いが不可能な事は勿論の事、ファミレスみたいに備え付けのタブレットでの注文にも対応していないから声を出さなければ注文出来ない店だ。
「行こう。もっといつもみたいに振り回せば良いんだよ!」
「そっか……Mなんだね。メモしときま~す」
やっと笑ってくれて、少し安心した。でも、声以外にも、何かまだ話していない問題を抱えていそうだ。それが何かはさっぱりも検討がつかない。そういえば、前に電車の中で中断された親の話も聞いていないままだった。それもいつか、話してくれるだろうと決め付けて、ボクらは来た道を引き返す。
人がごった返している中で、ボクは手を繋いでいる反対の腕を掴まれた。店の呼び込みにしては随分と力が強い。その腕の先を見ると、頭の悪そうな髪色の男だった。
「クソマジメな兵隊さんが女連れてると思わなかったな」
「なんの用だ。それに、あの話は地下だけにしとけよ」
マダラ頭が高梨。坊主になってる方は確か小森だったか。空テナントが並ぶ裏手を指し、高梨はボクの腕を掴んだまま歩き出した時だった。
「おぉ! 日出君じゃないか。例の彼女か?」
グッと、繋いだ手が握られる。いないところで彼女って言ってんの? という感じだろう。
「飛高さんこそ、そちらが結婚も考えてる彼女さんですか?」
やり返してやる。パステルカラーの服の、優しそうなお姉さんといった感じで、にこやかに会釈した。
「人に言われると照れるな。そう。早大の一年生で古川ひかり。それより、喧嘩か? 丁度君達の態度には一度言うべきだと思っていたんだ。俺が買おう」
挑発された二人はいきり立ち、ボクをそっちのけで飛高さんの胸倉を掴んだ。
「い、いや……デート中にそんな事は……」
「日出君も同じだろう? それに、こういうのには馴れてる」
「空手やってるし、任せておいて大丈夫ですよ。それに、彼女さんも行くなって言ってますし」
わかってますよ。強いのは。嫌と言う程。頭に鈍い痛みが戻った気がした。
ルナの握った手に力が込められていた。多分、この知らない人ばかりの状況では話さないだろう。
「本当に良いんですか?」
「あぁ! いつも3Bには助けられてるからな。たまには返させてくれ」
その名前を地上で出されるのは恥ずかしい。眩しいくらいに爽やかに笑った飛高さんだけど、向かった路地裏の先では二人を殴るんだろうと思うと、人って言うのは本当にわからないものだ。ヘッドギアの上からでも、立ち上がる事すら困難だったあの蹴りを、直で喰らったらどれほどのものなのか。
三人を見送って、ボクらはその場を後にした。
「誰あれ?」
「え~……と……ゲーム仲間」
「3Bって?」
「ボクとハルとトーマが強いから勝手にグループ名まで付けられてるんだ。あの二人はいっつもやる気無いから飛高さんが怒ってたんだけど、こんな形になるとは……」
「……よくゲームでそこまで本気になれるよね。リアル過ぎて現実と区別つかなくなってんじゃん?」
呆れたように言われたけど、あのゲームと現実に区別するべき境界線なんて無かった。それは絶対に言えないけど。
パンクファッションのショップ『PUNX』前の静かな通りに戻り、路上に座りながらイチゴとチョコのクレープを食べながら、ルナは訊ねた。
「あの人ら結婚すんの?」
「飛高さんが大学卒業したら結婚するんだって言ってた」
「じゃあ教えてあげた方が良いよ。あの女イヤな感じ。人のことは言えないけど」
「嫌な感じって?」
「古川ひかりっしょ? 見た事ある」
「……知り合い?」
一瞬、「しまった」みたいな顔で口を歪ませた。
「…………一口食べる? 美味しいよ?」
「え? じゃあ……貰う」
そう言うと、イチゴを口にくわえて「どうぞ」みたいに向けてくるけど、
「無理だって……おかしいだろ」
「生地の方が良かった?」
「そっちじゃない……」
「なにが? 彼女なら出来るっしょ?」
イタズラ猫の笑みでクレープの生地を手で剥がして、くわえる。そのままボクの口に来てくれたら良かったのに。しかも、やっぱり聞き逃してはくれなかった。堂々とした大木みたいに芯のある通る声だから聞こえないわけがない。
「彼女って言ったわけじゃないんだ。ハルが勝手にさ」
「うん、そこは別にアタシもこだわらないからいいよ。好きなら一緒にいれば良いだけで、いちいちそんなカテゴリー分けしなくていいし」
真面目に持論を展開しているけど、いかんせん口からビラビラ出たクレープ生地のせいで、真面目には見えない。
「食べないの?」
「くれるんなら普通にくれよ」
口に入れた生地を、舌に乗せてベーッと見せる。食えるか。それとも、もしかしたら知らないだけでカップルってそういうものなのか……そうなのか!?
「それって普通なの? ボクは彼女とかいたことないからわからないんだけど」
「普通って言ったら食べるの?」
生地を一枚千切って地面に放り投げると、ルナはそれを指す。
「カップルってそれ拾って食べるのも普通だよ?」
堪えきれないように笑っているから、どんなに経験が無い人でもわかる。
「それは無い」
「バレた? じゃあ正解賞あげま~す」
クリームを舌で舐め取ると……そのまま、ボクの唇に塗り付けられた。あまりに突然で、平然とやるから、思考は停止した。戦場じゃアーマーが完全に停止している。死ぬ……というか、今ので殺された。防御も何も無視して。
「クリーム美味しくない?」
「………………うん」
暗殺された人の気持ちがわかったような気がする。音も無くやって来たと思ったら、いつの間にか首を掻っ切られていて、抵抗する術も無くやられているのだ。
クリームの甘さなんてどうでも良いというか、全くわからなかった。何事も無かったように、完食して立ち上がった。目の前に短いスカートから延びた太腿があって、慌てて目を逸らした。
「山手線一回周ってから帰ろっか」
「………………うん」
少し、手が震えていた。繋いだ手がそれを抑えた。微動が伝わったのかもしれないと思うと、逃げ出したハルの気持ちがよくわかった。
「あれは……キスにカウントされるのか?」
「口じゃないからされないっしょ」
もっと先に進んでしまった感じがするけど、どうだろう。この時既に、喧嘩を代わりに買ってくれた飛高さんの事なんて頭には無かった。
電車のシートで揺られながら、さっきからどう考えても気になる事があった。
「唇も当たった気がしたけど」
「じゃあカウントすれば? あ、アタシは初じゃないから大丈夫」
そんな、何よりも強烈な弾丸が心臓を貫いた。
「でも彼氏出来た事無いって……」
「あぁ、うん。だって相手は男じゃないし」
「へ?」
ボクは、更にルナの事がわからなくなった。
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