7.【最後の戦い】

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7.【最後の戦い】

 なんて常識のないやつだ。夜分遅くに研究所の扉を何度も叩く不届き者に対して、ゼロアはそんな想いを抱いていた。すでに今夜はゼロアしかいない。最初は無視を決め込んでいたが、音は止まず、しかも人のいない研究所全体に響くほどの轟音で、出るしかなかった。  怒りと苛立ちが入り混じり、絶対に追い返してやると意気込んで扉を開ける。 「こんな夜更けに一体――。」 「こんばんは、兄さん。」  そこにはよく知った顔が二つ……。しかもよく見ると後ろにはドラゴン。しかもその背には縛られた人間の姿……。  絶句。 「中、入れてくれないかな。」  物置に気絶した暗殺者を押し込んだ。カマルの誘眠魔法を追加でかけてある。 「全くお前ってやつは……。」  ボストフの部屋で見つかった書面を見終わると、ここまでの事全てに対しての想いが漏れた。だが口角が上向きだ。頼りなかった弟がついに自分の足で歩み始めている。親心にも似たその感情が嬉しかった。  親友の命を助けたいと深く頭を垂れる弟に対して、 「分かった。何とかしてみよう。」  と返したのも、その感情が動いたからこそのことだった。  迎えた、運命の日。  地下牢にて、両手両足を鉄鎖でつながれたヘリオスを、カマルとルビーが見守っていた。そこへゼロアが数人の兵隊を連れてやってくる。 「時間だ……。」  ヘリオスに麻袋を頭から被せられる。  死刑制度のあるインディヴァニアでは、罪人の処刑は公開で行われていた。犯罪抑制のための見せしめと、国と軍の権威を示すためでもあった。  ヘリオスの場合、「国を揺るがした重罪人として、多くの民の前にその罪をさらす必要がある。」大臣としての威厳を持って、ベルドはそう述べていた。よってヘリオスの処刑は、コロッセオで行われることとなった。  コロッセオ――。国内最大級の収容人数を誇る円形闘技場。普段は人と猛獣による生死を分かつ緊迫した戦いが日々繰り広げられているが、今日は野望と正義が渦巻く特異点になろうとしていた。すでに会場を埋め尽くす超満員の観客達。アリーナの中央にはすでに断頭台が備えられており、太陽に照らされて銀色に輝く刃は、竜の牙を彷彿とさせた。  人が死ぬ場面というものは非常に衝撃的であり、同時に刺激的なものでもある。不測の事態に備えて、数十騎の竜騎士団がドラゴンと共に客席へ目を光らせていた。  場内に設けられたオーケストラピットからファンファーレが鳴り響くと、観衆の目は一斉にコロッセオ上部のVIP席へと集まった。席の背後にあるカーテンが開くと、国王グラニス、それに続いて大臣ベルドが姿を現した。国王の支持率の高さもまた、公開処刑に人が集まる所以の一つだった。ただし王妃のメルティナは公開処刑制度に異議を唱えており、これまで一度も姿を現したことはない。人の死が見世物になることを極端に嫌がり、自室に籠ることで自身の主張に替えていた。聖母として崇められるメルティナも、この日だけは魔神のごとき態度のため、グラニスも頭を抱えるほどだった。  国王の登場で会場の盛り上がりはいよいよ最高潮を迎える。これから人が一人死ぬのだ。  王の着座が合図となり、アリーナの一角にあるゲートが開く。覆面で顔を隠した二人の騎兵に引かれて、台車に乗せられたヘリオスが現れた。顔には麻袋、体は拘束布に覆われ、鉄鎖によって背中の板に貼り付けられていた。  ヘリオスは身動きが取れないまま、騎兵によって断頭台へとくくり付けられた。  騎兵の一人が斧を両手に持ち、巨大な死刃(しじん)を吊っているロープを前にして身構える。会場が釘付けになる。  その中でベルドは、視線だけで隣のグラニスの顔を見た。想像していたものではなかったが、悪くないなと思った。ベルドの頭には、すでに未来の事しか無かった。この国の軍事力の強化と富国化、そして自分の進退……。この恍惚感は女を初めて抱いた時以来かもしれない。意識をしっかりと保たなければ顔がにやけてしまうところを抑え、ベルドはアリーナの様子を見守ることにした。  大観衆の注目の中、処刑人は無慈悲に斧を振り下ろした。ロープが切られた刃は、野に放たれた野獣のごとくまっすぐヘリオスに食らいつき、その首を狩った。  悲鳴と歓声が入り混じった声がコロッセオを包み込み、混沌とした雰囲気がしばらく続いた。  グラニスがその様子を座ったままじっと見つめている横で、ベルドは立ち上がり転移魔法で断頭台へ瞬間移動した。  落ちたヘリオスの首を鷲掴み、観客達によく見えるように高く掲げた。 「民たちよ、これを見よ! 大罪人は死んだ! これで我が国は悪しき者からまた守られたのだ!」  ベルドの口上に煽られた観客達は大盛り上がり。声や拳でそれに応えた。 「さあ、始まるぞ……!」 すでに自信と歓喜がいやらしげな表情に表れていた。 「我が下僕達よ…! 狼煙を上げる時だ!」  ベルドが右手の平を天に向かって勢いよく突き上げると、その手から黒紫色のオーラがあふれ出し、小さな球体となって観客席や竜騎士団のドラゴンに向かって飛び散った。オーラは一部の観客やドラゴンへと吸い込まれていく。 「さあ、我が手の中で踊るがよい…! まずはこのコロッセオからだ!」  ベルドはこの世界のすべてを手中に収めんとするがごとく、高笑いと共に両手の平を天に向けた。 「さあ襲え、狂え、我が同胞たちよ。この国を我が手に…!」  沈黙……。  ややもすると、観客からの笑いと汚いヤジが飛んできた。仮にも一刻の大臣がそれを一身に浴びている。  自分の魔力がうまく発動しなかったのだろうかと両手を見る。しかし両手からは溢れんばかりの魔力が放出されている。 「そのセリフ、寒いわよ。大臣サン。」  背後から掛けられた声に振り返るベルド。そこには、ヘリオスの処刑を行った処刑人達が立っていた。覆面の奥から現れたのは、ルビー、ゼロア、そして、カマルだった。 「大臣、残念です。この国の未来を担っていらっしゃるあなたほどの方が……。一体なぜ……。」  ベルドは冴えた頭ですぐに事態を理解した。 「なるほど……、そういうことか……。」  ベルドは脱力したかのようにうつむくと、不敵な笑いで両肩が上下し始める。 「なぜ、か……。君達は、この国の現状をあまりよく知っていないようだな。ご存知の通り、世界から見てこの国は決して広くない。資源も豊富とは言えない。ドラゴンは貴重な存在だが、すでに繁殖方法も確立しつつあり、珍しい存在ではない。国境で何度もやりあっているのは知っているだろう。」 「そうだ、だからこそ私達は国のために竜と共に戦っている!」  ベルドの問いかけに詰め寄るルビー。 「君達は、この国が好きか? 私は好きだ。だからこそこの国を守らねばならん。その責任がある。だが、もはやこの国だけでそれを果たすことは難しいのだよ。」 「それとドラゴンを操ることにどんな関係があるというのですか? しかも人まで殺して。」  ベルドは深くため息を付き、 「この国はな、平和な時代が長すぎて、他国に取り残されつつある。よそが高度な近代化を進めているというのに、まだドラゴンなどという古代の遺物に頼っている。」 「ドラゴンこそ我が国の誇りだろうが!」  ルビーがベルドに食って掛かる。竜を汚されることは、自分のプライドを傷つけられるのと同じことだからだ。 「誇り…。そうだな。だがそんなもの、それを超える技術の前では何の意味もないものだ。一人前に育て上げるのに莫大な時間と金がかかる。あれがどれだけ国の財政を圧迫しているか、お前たちには分からないだろう。」  ベルドは自分の胸の内を吐き出すと、満足げな表情を浮かべた。 「分からないな。ドラゴンを嫌っているくせに、自分の目的のためにそれを使うのか?」 「違うな、ドラゴンは目的のための手段に過ぎない。嫌っているわけではないさ。さて、おしゃべりはこのくらいにしよう。」 「ドラゴンなら中和剤を飲ませている。あなたの魔法は効かない。」  ベルドの妙な雰囲気を察知して説得を試みるカマル。だが、 「この国のは、だろう?」  唇の右端だけが釣り上がる。セリフを吐くと同時のタイミングで、ベルドの足元に真紅の魔法陣が出来上がった。次の瞬間、突風のような衝撃波が全方位に向かって解き放たれ、カマルたちを直撃。周囲のドラゴンをも吹き飛ばした。コロッセオの観客はその様子に恐れおののき、蜘蛛の子を散らす大混乱となった。 「来たれ、我が“真の”同胞達よ!」  その言葉と共に天へと解き放たれた真紅の波動が、天を貫いた。 「これで終わりだ! そして全ての始まりだ!」  自信満々で勝利宣言をするベルドであったが、事は思った通りには運ばなかった。しばしの間、何も変化が起きない事でベルドも事態を把握せざるを得なくなった。 「何を……。一体何をした!?」 「調子に乗んなよ。オッサン……。」  衝撃波で吹き飛ばされたルビーがよろめきながら立ち上がる。 「アンタ以外にもこの国を愛する人がいたってことさ。」  コロッセオでこのやり取りが行われている間、北の国境付近ではインディヴァニアの存亡を賭けた戦いが密かに繰り広げられていた。  ベルドに操られたドラゴンの大軍勢。それを迎えるインディヴァニア王立竜騎士団。 「行くぞ皆の衆! 騎士団の意地を見せろ!」  人一倍威勢の良い言葉を掛けて先陣を切るのは、頭の輝きも人一倍まぶしいあのハゲ上司。長槍を片手に、閃光にも等しい勢いでドラゴンを突き、討ち落としていく。 「嘘だろ……。」 「アイテムの管理人じゃなかったのかよ……。」  若い騎士団員があっけに取られるほど、その動きはセンセーショナルだった。  国境付近の出来事を知らないベルドは、そのいらだちをさらに強めていた。 「なぜだ!? なぜ現れない!?」 「甘く見てもらっちゃ困るね。味方がいるのはアンタだけじゃないってことだよ。」 「小賢しい真似を……!」  怒りで顔がゆがむベルドに対してカマルが最後の説得に挑む。 「大臣、もうやめましょう。あなたが国の未来を思う気持ちは分かりました。でもこの国の歴史はドラゴン無しには語れない。かつて人とドラゴンは相容れない関係だった。けれど長い時間をかけて今では信頼と共存の道を歩んでいます。他国との関係も、支配ではなく、調和の道があるのではないでしょうか。隣国も本当はそれを望んでいて、本当は対話が足りないだけなんじゃないでしょうか?」 「対話……。そんなもの、とうにしてきたわ。それこそ呆れるほどにな。私も最初はそういう道を夢見ていたさ。だがな! 国家と国家の関係がそんな甘いもので済むわけがないのだ!」  ベルドは拳を力強く握り、 「力だ。絶対的な力で圧倒する事こそが、国を守るための最強の盾なのだよ!」  その拳をカマル達に突きつけた。 「例えば、こんなふうにな。」  ほくそ笑んだベルドは、目の前に宙に魔法陣を生み出すと、そこに沈めるようにして、ずぶりと左手を入れた。 「な!」  驚く全員の前でベルドが魔法陣を通じて取り出したのは……、 「アイナ!」  カマルが叫んだが、アイナは意識を失ったままピクリとも動かない。 「私の崇高な目的を理解できないようだね。残念だよ。」 「これ以上悪行を繰り返すな。諦めて人質を離せ。」 「悪行? ここまで国を駄目にしたのは国王の方だぞ!」  ベルドの怒りは頂点に達しつつあった。 「国を守るためという大義名分で鎖国のような状態を続け、山に囲まれた小さな領土に縮こまったまま。他国が日進月歩にいる中で、我が国はどれだけ遅れを取っているか分かるまい…!」  怒りをあらわにする中でベルトはあることを思い出していた。近隣諸国との親睦を深めるパーティーにおいて、インディヴァニアが嘲笑の的になっていた時の事を。  絢爛豪華な装飾が施された迎賓室。テーブルには目にも鮮やかな御馳走が並び、国賓達がそれに舌鼓を打っている。  ベルドを含めた近隣諸国の大臣同士が、ワイングラスを片手に自国自慢に花を咲かせていた。 「先日の軍艦の件、ありがとうございました。 「いえいえ、こちらもしっかりと儲けさせて頂きましたから。またよろしくお願いしますね。」  景気のいい話が飛び交う。 「ところで……、インディヴァニアはまだ、竜なんぞに頼っていらっしゃるのですかな。」  ベルドに投げられた他国の大臣の言葉には、丁寧な口調の中に皮肉がたっぷりと込められていた。 「え、ええ……。皆様を見習って近代化を進めたいのはやまやまなのですが、王は伝統を重んじるところがありまして……。」 「まあ、ご立派でいらっしゃいますこと。私もアンティークは大好きですけど、ドラゴンはちょっと、見た目が、ねぇ……。」  扇で隠した口の奥から笑い声が漏れる。 「はあ、恐縮です。」 「ベルド侯も、早くこちら側に来てほしいものですなぁ。ま、気長に待っておりますよ。我々も伝統を重んじておりますからな。」  ベルドは必死に笑顔の仮面でその場を耐え忍ぶしかなかった。  これまでベルドは何度も、他国から技術者を招いたり、自国の若者を他国に派遣して勉強させたりしようとしてきた。しかし保守・安定路線な国王や、発言力のある元老院はそれをことごとく拒絶し、ベルドを絶望の淵へと叩き落した。地位をはく奪されそうになったこともあり、それ以降グラニスへの忠誠心は少しずつ、風の前の砂のように削られていったのだ。  ベルドなりに自国の未来を考え、正義と信念を持って国に仕えてきたが、恩を仇で返された形となった。その時の想いが今のベルドを作っていると言っても過言ではない。ここまで来たら後に引くわけにはいかなかった。  だがそんな理由をカマル達は知る由もなく、ベルドを睨み続ける。  業を煮やしたルビーがベルドに飛び掛かりそうになる。しかし、カマルはそれを手で制する。 「カマル…!」  カマルは手を下すとベルドに対峙した。カマルは一度天を仰ぎ、今度は首を垂れ、大きく息をついた。  そしてベルドをまっすぐ見据え、 「確かにあなたの立場から考えれば、この国は遅れているのかもしれないし、国を発展させるために必要な事もたくさんあるだろう。けど……、そんな人物が人の命を弄ぶことなんてあってはいけない!」  カマルの表情はさらに凄みを増し、 「だから僕は、あなたを許さない!」  ゆっくりと、右手の平をベルドに向け、 「アイナは返してもらう……。絶対に……!」  静かに戦闘態勢を取る。 「威勢だけは褒めてやろう。だが、そこまでだ。」  ベルドも片手をカマルに向けると、ひときわ大きな魔法陣がその前に浮かび上がる。  身構えるルビーとゼロア。一方カマルは笑みを浮かべて、 「目の前の事ばかり見てると、足元すくわれますよ、大臣。」 「ほざけ。」  魔法陣の中心に、赤い稲妻を帯びた光が集まり始めていく。対するカマルも大臣に向けた手の平に魔法陣を作り、青白く神々しい光が集まり始めていく。二つの光に力がみなぎり、徐々に臨界点へと近づいていく。 「カマル!」  二つの魔力で生まれたエネルギーに吹き飛ばされそうになりながら、ルビーが叫んだ。 「大丈夫、僕を信じて!」  カマルは視線だけをルビーに向ける。 「頼むぞ!」  ゼロアも背後からカマルに声援を送る。 「消え去れ!」  その言葉と共に、ベルドの意志によってその手から魔法が放たれた。 ……はずだった……。  ベルドの手は血帯(ちおび)と共に断たれ、その手は見当違いの方向へと魔法を放ち、赤き閃光は空の彼方へと消えていった。  ちぎれた自分の腕を見て、ベルドは断末魔の叫びをあげた。  その隙にもう一太刀、逆袈裟に入った。  姿勢を崩したベルドからアイナが離れたのを見逃さず、カマルは滑り込んで受け止め、そのカマルとアイナの前にはルビーが立ちふさがった。  何が起きたのか分かっていなかったのは、ベルドだけだった。  全員の前に救世主のごとく登場したのは、愛槍を携えたヘリオスだった。 「借りは返したぞ。」  ヘリオスは頭から足の先までベルドへの攻撃姿勢を崩さかった。 「おのれぇ! どこから……。」  致命傷を負いながら、気迫だけで立ちふさがるベルド。ヘリオスの背後にヒスイがふわりと降りたことで全てを悟った。 「なるほどな……。そういうことか……。」 「諦めろ。今ならまだ命だけは助かるかもしれない。」 「敵に情けをかけるつもりか……。そんな奴らばかりだから、この国は堕落したのだ……。」  力が抜け、膝を付き、うなだれるベルド。 「私は…、この国の、未来のために……。私がいなければ…この国は……。」  息も絶え絶えになり、戦意を喪失したベルドに戦闘態勢を解くヘリオス。  「ここで……! 負けるわけには……!」  うなだれていたベルドが顔を上げ、その口元に赤い光が急速に集まっていく。  光がベルドの手から離れた次の瞬間――。  それはベルドの顔前で大爆発を起こした。辺り一帯が瞬時に噴煙に包まれた。全員が爆風を防ぐために両手で遮った。  噴煙がゆったりとその範囲を広げていった。すると神風のように一陣の風が吹き、事の全容を明らかにしてくれた。  ベルドと対峙していたヘリオスの前に現れていたのは、地面から突き出した黄金の刃。幼い子供を暴れ馬から救ったカマルの魔法が、今度はヘリオスの命を救ったのだった……。
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