2.【歓喜の陰で】

1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ

2.【歓喜の陰で】

「お前は買い物すらまともにできんのか!」  買い出しから帰ったカマルを待っていたのは、所狭しに並んだ魔術アイテムの瓶にヒビが入りそうなほどの怒号に、カマルは身をすくめた。  王宮内にある魔法研究所。魔術の精製や、新しい魔法の研究に使うための薬品や標本などを一手に管理している。カマルはここで魔術アイテムの管理する職に就いていた。 「リキッドが二個足りんじゃないか!」  頭がハゲ上がった上司は、カマルが買ってきた品を自分のデスクに並べ、買い出しのメモとカマルの顔を交互に睨みをきかせた。 「……すみません。あ、あの、すぐに取ってきます! 代金は給料から……。」 「当たり前だ! 兄貴はあれほど優秀なのに……。」 怒りはため息とともに諦めへ。 「申し訳ありません……。」  店を出て転んだ時しか考えられなかった。悔しさと自責を煮詰めた泥が湧き出しカマルを飲み込んでいった。  王級の廊下を行くアイナは、普段よりも歩く速度をゆるめていた。傍らでは、ヘリオスがアイナの繊細な気持ちに気付かないまま、今日の戦果についての自慢話を続けていた。  ヘリオスはほんの一瞬、自分のしゃべりに間ができたところで、こちらに向かってくるカマルに気づいた。 「カマル!」 ヘリオスが呼びかけるとカマルは二人に気づき、スピードを緩めた。 「どうしたんだ? そんなに急いで。」 「いやそれが、買ってきたはずのアイテムが入ってなくって、上司に大目玉さ。もう一度行って来いって。」 「またあのハゲか。俺の竜貸そうか?」 「いやいやいや! 自分のせいなんだから大丈夫、ありがとう。」 慣れない走りで噴出した汗にすら焦りや葛藤が混じっていたカマルは、少しだけ心が軽くなった。 「そうか……。あそうだ、今日いつもの店で飲まないか?今日は俺が出すからさ。アイナも時間があるって言うし。」 「どうしたの? 気前いいね。」 「ヘリオスってば、撃墜数を初めて隊長さんに勝ったから、自分はおごってもらえることになって興奮してるのよ。」  アイナにネタばらしされたヘリオスが慌てて口を遮ろうとし、アイナはそれを軽やかにかわしていたずらっぽく笑ってみせた。 「あー……うん。わかった。行くよ。」 「おう、待ってるぜ」  二人の眩しさに耐えられなくなったカマルは、先を急ぐことにした。 「気をつけてね――。」 アイナの優しさを背に受けながら。 「で、最後の一人を俺が仕留めたわけよ!」  顔を真っ赤にしたヘリオスが槍を投げる仕草をしながら、隣に座っているアイナと向かいに座っているカマルに、今日の武勇伝を語っている。  三人の行きつけである居酒屋は、兵士や役人、町人など、多種多様な客で賑わい、この国の繁栄を象徴していた。  ヘリオスは語りの勢いが利き手にもつたわり、木製のジョッキに入った酒を豪快に飲み干した。 「その一撃がなければー、隊長はやられていたかもしれないわけ。分かる?」  自分の功績がいかにすごいものだったかを切々と二人に説いているが、酔っ払っているため全く説得力がない。 「ちょっとしょんべん。」  と言いながらヘリオスが席を外した。トイレに入るヘリオスの後ろ姿を確認してからアイナが、 「もーこれで今日何回目かしら。」  テーブルに頬杖を付きながら悪態をついた。 「いや、でもすごいよヘリオスは。副隊長に推す声が僕のところまで聞こえてきてる。」  カナルは純粋にヘリオスの強さを尊敬していた。 「昔から喧嘩っ早いだけよ。子供の時から成長してないだけ。」 「でも実際、ヘリオスにはいつも助けてもらってた。今じゃこの国を立派に守ってる。」  付き合いの長い三人。いまじゃお互いの気持ちの変化にもすぐき気づけるほどだ。 「ねえカマル、大丈夫? 昼間会った時あまり元気がなさそうだったけど……。私でよければ相談に乗るわ。」  上目遣いのアイナは間接照明でいつも以上に艶っぽかった。 「……うん、大丈夫。ありがとう。」 「やっぱり仕事のこと? 配置転換、私からお願いしてみようか? あのハゲ、あんまり評判良くないから。」 「ありがとう。でも魔法に携われる今の仕事は嫌いじゃないんだ。今日も僕のせいだし。」 「そう……。それじゃやっぱり、お兄さんの……。」  と、アイナが言いかけたところで、上機嫌のヘリオスが戻ってきた。 「どしたどした、二人とも暗い顔して!酒足りてないんじゃねーか?」  ヘリオスは隣りにいたアイナに自分の腕を回すと、 「あ、そうだカマル。俺たち結婚する予定なんだ。」 「…え、いつ?」  今日の出来事に思いを馳せていたカマルも、これには驚かざるを得なかった。 「そーだなー、まずはお互いの両親に挨拶に行って、それから決める。」  突然の吉報に、落ち込んでる場合じゃないと心を切り替えるカマル。 「そうかおめでとう! 良かったじゃないかヘリオス!」  自分でも驚くくらいの笑顔と声で二人を祝福するカマル。すかさず店員を呼んで追加の飲み物を頼み、乾杯し直した。その様子に一瞬驚きながらも、嬉しそうな表情を浮かべるヘリオスと、ほっとした様子のアイナだった。  二人の結婚話がひとしきり続いたところでカマルは「ちょっとごめん」と二人に告げて席を外した。  トイレから出たカマルは、二人の席には戻らず、そばにあった店の裏口から外に出た。  酒や店の備品を収めた酒蔵のある庭。満天の星空が、カマルを照らしていた。  上司やヘリオス、そして、アイナ。いくつもの想いが自分の胸を刺す。カマルは胸の真ん中を何度か拳で叩いて、いつもの自分を守った。  すると、すぐそばから物音が立った。二人のどちらかが来たのかと思って少しドキリとしたが、当ては外れ、店の者と思わしき人物が酒蔵から出てきただけだった。  連日続く頭痛に、ヘリオスは首を傾げていた。カマル達と飲んだのはもう三日前。迎え酒と思って飲み続けたのがよくなかったのかもしれない。しかしそういう時に限って仕事は待ってくれないものである。  さきおとといの一件により、王宮周辺の警備を強化するということになり、パトロールの回数が増えたのだった。王宮を中心とした空中巡回。単純な業務だが、ルビーも一緒ということで気を抜くわけにもいかず、二日酔いを気合いで押しのけて臨むことになった。  ドラゴン二匹で急上昇し、全方位の確認。その後二手に分かれて高度を下げながらパトロール、という事前の説明を、頭痛の残る頭で復唱し、ヘリオスは愛竜にまたがった。  股の下からじんわりと熱のような雰囲気を感じる。 「あれ? 熱あるのかお前?」 と、人の言葉で尋ねてみると、竜は高く大きな鳴き声を上げた。 「気合入ってるってことか。へへ、やるね。よし行くか!」  ドラゴンに鼓舞されたヘリオスは飛翔した。  二羽のドラゴンが発着場から飛び立っていく様子を、アイナは中庭で嬉しそうに見つめていた。王妃メルティナは、この時間にいつもお茶を嗜むのを習慣にしている。  結婚――。昨日の言葉が自分の中で何度も心の中で蘇ってくる。正直ヘリオスと恋愛関係になってからも、自分には縁のないものだと考えていた。  ヘリオスは幼い頃から喧嘩っ早く、騎士になることばかり夢見ていて、成人してもそれは変わらなかった。最初に告白された時も、しばらくの間は嘘をついているんじゃないかと疑っていたほどだ。でも自分のことをきちんと考えてくれていたのだということが伝わってきて、憧れが急に現実味を帯びてきた。 「何かいいことでもあったのかしら?」  メルティナに見透かされたアイナ。 「いえ、なんでもありません。」 と必死に否定するも、声も挙動もぎこちない。 「顔に出てるわよ。」 と、すぐに見抜かれた。  ヘリオス達が飛び立ってゆく様子を、カマルは中庭からほど近い廊下で見ていた。水の入った手桶とモップを持ちながら。  無くしてしまったマジックアップリキッドは、エナの店に残っていた最後の在庫でなんとか入手できたものの、罰として王宮の掃除を言い渡されたのであった。  今日はいつも以上に気持ちが上がらない。自分のしたミスの不甲斐なさと、親友達の結婚話。そして今、モップを持って掃除をしている自分自身。これが、優秀な魔法使いである兄と比べられ続けてきた自分の末路なのかと、笑いすらこみあげてきそうだ。 「カマル。」  声のした方に目をやると、そこには兄、ゼロアの姿があった。 「こんなところで何をしているんだ?」 「……いや、何って。掃除を……。」 「掃除……。そうか……。」  真っ白な聖衣に身を包んだゼロアは神の使いのようで、発せられる言葉全てが尊さを帯びていた。しかしカマルにとっては傷口に塗られる塩と同じ。 「兄さんこそ、こんなところで、どうして。」 「新しい魔術装置のことで大臣様とな。ところで、母さんが心配していた。たまには家に帰ってやれ。それと、家の名に泥を塗るなよ。」 「うん……。分かった。」  そうやっていつも釘を刺すところが、どうしてもカマルは気に入らなかった。  カマルの家は魔法使いの家柄で、代々インディヴァニア王家に仕えてきた。魔術師として数々の輝かしい戦果を上げた者や、研究者として国の発展に大きく貢献した者もいる。  カマルと六歳離れた兄のゼロアは特に優秀で、新しい魔法を開発したり、それを応用した新しい技術を開発したりと、八面六臂の活躍っぷり。今では若くして王立魔術研究所の所長にまで上り詰め、国政への出馬も噂されている。  魔法で人の役に立ちたちという思いはカマルにもあったが、兄の鉄のような志とは比べ物にならず、一族の者からの声にいたたまれなくもなり、家を出た。しかしほんのひとさじの希望があって今の仕事に就いている。  いつかは兄のように…と思っていた気持ちも年々差が広がっていく一方で、もはや消えかけている。  カマルは小さくなっていく兄の背中を、見えなくなるまで目で追った……。  王宮直上まで上昇したルビーとヘリオス。二人で双眼鏡を使い、異常が無いかをくまなく調べる。穏やかな空と気候。緩やかな時間の流れの中吹く風が心地いい。いつもと変わらない風景がそこにはあった。  だがその安寧がいつまでも続かないことは、人の歴史が証明している。 「何もなさそうだな。よし、下へ降りるぞ。」  双眼鏡を外して後ろを見ると、そこにヘリオスの姿はなかった。 「ヘリオス? おい、どうした?」  辺りを見回すがやはり姿はない。ルビーが事態が飲み込めずにいるとドラゴンが声を上げた。視線は下に向いている。  急転直下。はばたきを止めたドラゴンとヘリオスが真っ逆さまに落ちていた。  まずい――!ルビーはすぐ急降下し助けに向かう。ここは王宮の直上。甚大な被害が出るかもしれない。  中庭では今もメルティナが侍女達とお茶を楽しんでいた。結婚のことについてアイナが口を割ろうとしないので、他の侍女達があの手この手で問い詰めつつ、和やかな雰囲気に包まれていた。  ルビーのドラゴンは猛スピードでヘリオスのドラゴンを追い、やっと同じ高さにまでやってきた。ヘリオスもドラゴンも完全に意識を失っている。 「おいヘリオス!しっかりしろ!」  反応がない。ルビーのドラゴンがヘリオスのドラゴンを足で捕まえ、なんとか体勢を戻そうとする。しかし意識を失っていることもあり、ぐんぐんスピードを上げて落ちていく。  おかしい――。  本来ならば大型のドラゴン十分支えられるはずのパワーを持っているはずのルビーのドラゴンであったが、何故か今日に限って支えられない。いや、ドラゴンのパワーは衰えていない。何か別の力によって引き寄せられているかのようだった。  眼下の王宮がどんどん大きくなっていく。このままでは壁に激突してしまう。いや、それならばまだいいかもしれない。ルビーは二次災害を恐れていた。  首にぶら下げたホイッスルを思い切り吹き、警笛を鳴らす。誰かが気づいてくれることを願って。続けて槍の石突でヘリオスとドラゴンを突き始めた。 「起きろヘリオス! 起きろ!」  最初は若干の手加減をしていたが、状況が刻一刻と悪化していっている今ではそのようなことも言ってられない。力は増す一方だ。  それでもヘリオスは目を覚まさなかった。  中庭で穏やかな語らいをしていたメルティナとアイナ達。どこからともなく笛の音が聞こえて来るのが分かった。それに混じって何か叫び声のようなものも届き始める。  辺りを見回す全員。 「あっ、あれ!」  侍女の一人が絞り出すような声を出し、天を指差した。  きりもみ状態で落ちてくる二匹のドラゴンの姿を見て、侍女たちは散り散りに逃げ出した。  わずかな時間の中でアイナは、これは逃げられないと冷静に確信し、王妃だけでも助けなければと体が動いた。 「なんで……?」  アイナは自分の目の前にどうしてメルティナの姿があるのか最初分からなかった。しかし次の瞬間にはもう、アイナはメルティナに抱きかかえられていた。  それは人生経験、あるいは志の差だったのかもしれない。アイナの使命感よりもメルティナの想いがほんの少しだけ上回った結果、動きにも差が生まれたのだった。  地が響いた。大地が胎動し、大きく動く。そう表現するのがふさわしい音だった。何かあったことは、カマルでもすぐに分かった。 (砲撃?いや飛来音は無かった。)  大きな天窓から、煙のようなものが上がっている事に気づくやいなや、ホウキを捨てて走った。  白煙に包まれた現場。ほこりが舞い、カマルの視界を遮る。城壁の一部が崩れているのが分かった。うめき声や悲鳴が耳に届く。五感の全てが悲劇を訴えかけてきていた。  一歩ずつ、ゆっくりと中庭に足を踏み入れるカマル。最初に見つけたのはドラゴンの下敷きになっていたヘリオスだった。  叫びながら駆け寄ると、かろうじて体が動いた。 「待ってろ! すぐ助ける!」  幸いにも挟まっている個所が少なく、すぐに引きずり出すことができた。そのまま仰向けに寝かせて気道を確保、すぐに両手をかざして回復魔法をかけると、黄緑色の鮮やかなオーラがヘリオスの全身を包み込んだ。小さなかすり傷はみるみるうちに良くなっていく。カマル渾身の癒しはヘリオスの意識にも働き、彼を取り戻した。 「……う。ここは……。」 「良かった……。」 「俺、は……?」 「大丈夫、傷は浅いよ!」 必要な事だけを短く伝えるカマル。カマル自身もこのような事態は初めてで、それぐらいしか言葉にすることができなかったのだ。 「誰か! 誰か救護班を!」  ふいに声が聞こえた。振り返るとそこには、額から血を流しながらも必死に助けを呼んでいるルビーの姿があった。その傍らには、複数の怪我人の姿も。  ヘリオスにさらに癒しの力を込めて、ルビーのもとに向かうカマル。わずかな距離なのにものすごく長距離に感じられた。それはその場に近づきたくないという思いからだった。胸を押さえた。それは自分の気持ちを抑えるためであり、また祈りでもあった。  ルビーのかたわらに寝かせられていたのは、王妃メルティナと、アイナ……。  腕や顔に裂傷があるものの、目立った外傷は見当たらない。けれど意識がない。頭を打ったのかもしれなかった。  カマルはありったけの回復魔法をかける。ヘリオスの時よりも鮮やかな緑色のオーラが二人を包み込んだ。  ルビーがそれに続けて心臓マッサージをメルティナにかける。 「王妃様! お戻りください! こんなところで倒れてはなりませぬ!」 カマルも魔法をかけながら必死でアイナに向かって叫び散らす。 「アイナ! アイナ戻ってきて! ヘリオスと……結婚、するって……!」  最後は自分でも何と言っているのか分からなくなっていた。両手から放たれていた緑色のオーラが薄まっていき、自分の意識も薄まっていくのが分かった。 「こっちだ救護班!」  最後に聞こえたのは、ルビーの声だった……。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!