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3.【うごめく闇】
カマルが次にヘリオスと会ったのは、事故から三日後、王宮の地下牢獄だった。申し訳程度の窓からかすかな光だけが差すだけでとても蒸し暑い。汗と糞尿の混じった臭いが漂う劣悪な環境は、己の罪の深さを身をもって知れと、無言で訴えているかのように感じられた。
独房に入れられたヘリオスは、数日前の大口もどこへやら。無精ひげにまみれ、目に光はなく、“絶望”という言葉は彼のためにあるのだと言えるほどの瘴気を全身から放っていた。
面会にやって来たのはカマルとルビー、そして大臣のベルド。今回の一件には、ルビーにも責任があると考えられており、お目付け役として付いてきた。
「ヘリオス、聞こえるか?」
鉄柵ごしにルビーが声をかけると、焦点の合っていない目で
「……ああ。」
と一言だけ答えたことで、一同はひとまず安心した。何せ例の一件以来、食事を取らないどころか、ベッドからもほとんど動かず、死んでいるんじゃないかと疑われるほどだったからだ。
「教えてくれヘリオス。あの時何があったんだ。力になりたい。」
カマルが聞こうと思っていたことを、ルビーが率直に尋ねた。
「何言ったって、どうせ死刑は確実でしょ。帰ってくれ。」
最後は消え入りそうな声色だった。
「なんだよ、そんな目で見るな……。早く帰れ!」
三人に向かって枕を投げつける。
「ヘリオス、アイナと王妃様は生きてる。お前の答え方次第では助かるかもしれないんだ。」
ヘリオスの動きが一瞬止まる。が、
「……帰ってくれ。もう俺はいてもいなくてもいい人間なんだからさ……。」
己の無力さが返ってきただけだった。
中庭では復旧作業が続いていた。瓦礫をどかすためにここでもドラゴンの力が発揮されていた。
「ルビー隊長。今回の一件、あなたにも責任があることは十分お分かりでしょうな。我が国が有するドラゴン二匹も負傷、さらには王妃様までも…! 国王陛下のお気持ちをお分かりか!」
地下牢から戻ってきたさえない気持ちのルビーとカマルに、大臣のベルドが追い打ちをかける。我慢していたうっぷんを全てルビーにぶちまけるかのような格好となった。
「はい、心得ております。竜騎士団の団長として、どのような処分も受けるつもりです。」
ルビーとしては当然の態度だったが、ベルドはそれが気にらないのか、激情がさらに沸騰してしまう。
「ああそうだ。今すぐにでも貴殿を極刑にしなければこの気も収まらん。このことが外の国に知られてみろ。国防力を失ったと見られて一気に攻め込まれてしまうのだぞ! そうなった時、貴殿一人の責任で何とかなるものではないのだ!」
すさまじい剣幕でまくしたてるベルドの態度は、感情のすべてをルビーに押し付けているかのように見えた。
「まったく……。」
最後まで悪態を付きながら、ベルドはその場を後にした。
嵐が去ったことにホッとするルビーとカマル。
「君が気に病むことはない。君がいなかったら、ヘリオスの命もどうなっていたか。彼に代わって礼を言おう。」
ルビーに頭を下げられたが、カマルの気持ちが晴れることはなかった。
しかしルビーの思わぬ問いかけに、その気持ちは少しだけ好転へと向かう。
「ところで、ヘリオスに何か変わったところはなかっただろうか?」
「変わったところ……?」
「空中で突然意識を失ったように見えた。あいつの竜もだ。何か知っていることがあれば教えてくれないか? 私は、あいつがやったとは思えない。確かに調子のいいところもあるが、根は真面目だ。些細なことでもいい、なにか知っていたら教えてくれ!」
両肩を掴まれたカマルは記憶を掘り返してみた。飲み屋でのことを話したが、カマル自身、ヘリオスに変わった様子はなかったことを喋りながら感じていた。ただ一つを除いては。
「妙な人影?」
裏庭で見かけた人物についてルビーに話してみたが、カマル自身確証が持てず「全く関係ないと思うのですが」と付け加えた。
「念のため確認したい。案内してくれないか?」
しかしルビーは、そこに光明を見出したようだった。
ルビーの権限を使って裏庭の調査させてもらう許可を得た。だが変わったところは見当たらない。念のため店員にも聞き込みしてみたが、それらしき情報は得られず、すぐに暗礁に乗り上げてしまった。
「手がかりなしか……。」
酒蔵を前にしてため息をつくルビー。
だがカマルは少し考えてから、
「もしかしたら……。」
そう呟き、ルビーの前に出た。両腕を前に突き出し、両方の手の平もしっかりと開く。静かに目をつぶり、呪文を唱え始めた。
「在りし日の記憶……、ここに示したまえ……。」
カマルが最後にその言葉を唱えると、辺り一帯が神秘的な力を帯びた別空間に包まれた。庭や酒蔵など、そこにあるものはそのまま、しかし写真のネガフィルムのような色合いをした、異世界と呼ぶにふさわしい空間がそこに広がった。
「な……!」
ルビーは思わず腰に携えた護身用の剣をつかもうとしたが、姿勢を戻したカマルがそれを止めた。
「待ってください。大丈夫です。これは次元魔法の一つ。この場にいたものの記憶の断片を集め、当時の状況を再現したものです。」
己の肉体の鍛錬と竜との信頼に人生をかけけて来たルビーにとって、カマルの説明はイマイチ腑に落ちないものだった。その様子をカマルはすぐに察して言葉を続ける。
「目には見えませんが、この庭にはたくさんの神や精霊達がいます。彼らの記憶の断片を集めて、状況を立体映像にしたんです。僕があの時見た人物は一体何だったのか。彼らも見ていたはずなんです。その記憶を借りました。恐らくもうすぐすれば……。」
庭の入り口からフードをかぶった人物が入ってきた。
「来ました。やはりここの精霊たちも気付いていたようです。彼の様子を見てみましょう。」
フードをかぶった人物は辺りを気にしながらこそこそと酒蔵へと入っていく。その後を追うカマルとルビー。
精霊たちの記憶が作り出した映像は、酒蔵の中で男が何をしていたのかというところも、鮮明に映し出していた。
男はフードを取ると、懐から小瓶を取り出し、それを酒樽の中にこっそりと注いでいたのだ。
「あの男に見覚えがあるか? ヤツは一体何を?」
不思議がるルビー。
「いえ、僕も面識はありません。最後まで見てみましょう。」
男は小瓶の中身を注ぎ終えるとそれを再び懐にしまおうとしたところで何かに気づき、小瓶を落としてしまう。便は床を滑り酒樽と酒樽の間に入り、その奥にまで滑っていってしまった。
酒樽の隙間にめいっぱい手を伸ばしたが、どう頑張っても手は届かない。次第に男は外の様子が気になり始めた。しばらくすると小瓶を諦め、フードをかぶって外に出た。カマルとルビーもその後に続く。
ちょうど店の裏口のところに、カマルの残像があった。カマルは当時の自分がしていた浮かない表情を目の当たりにし、目を背ける。
フードをかぶった男が庭から出ていったところで映像は終わり、世界は元に戻った。
「ここまでのようですね。」
「結局男の正体は分からずじまいか。だがあの男の落とした瓶、まだ残っているかもしれないな。」
二人は店主からモップを借り、それを使って取り出す。
「やはり何かの液体か。微量だが中に残ってる。」
ルビーは、小瓶の形と中身がカマルにも見えるようにして確認した。
カマルは顔色をみるみるうちに青ざめさせていった。小瓶の形と「液体」という言葉がトリガーになったのだ。
まだ不確定であるものの、自分の中では過去の出来事が線で繋がり、確証が高まっていくのがよく分かった。
真剣に考えるふりをして口を押さえ、ルビーから顔を背けた。そうしなければ腹の中から何かが出てきてしまう感覚があったからだ。
「どうした?」
「いえ、なんでもありません。大丈夫です……。」
そう答えるのが精一杯だったカマル。
使用時のミスや整理の効率化のため、マジックアイテムを入れておく容器はある程度分類化されている。フードの男が落としていたものは能力増強系の魔法に使われるもので、カマルが紛失してしまったマジックアップリキッドも、その分類に含まれるものだった。
「ともかくこれで一歩前進だ。中身の解析を急ごう。何か分かるかもしれない。」
知恵や情報の差は、時に人の人生に大きな差を生む。今の二人の気持ちはまさにその状態だった。
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