2.新曲のささやき

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「思った通りの演奏が、できなかったんだ。恥ずかしいけど、自分で作ったのに譜面通りに弾けなかった。ちゃんと弾けたらもっと良い曲になるのにって、歯がゆい気持ちだったよ。――そんな時に、聖良が現れたんだ」  いつもの十字路。人通りのほとんどない、真夜中。そこに、聖良さんがやって来た。 「彼は僕の歌を褒めてくれた。それから言ったんだ。ギターを、自分に弾かせてくれないかって」  驚いた、とイカルさんは言った。 「僕の頭の中で鳴っていた音が、目の前で奏でられているんだ。完璧だった。人生で、あんなに興奮したことはないよ。僕は彼に、一緒に音楽をやろうと言った。誘うというよりは、懇願だったかもしれない。とにかく、彼を捕まえておかなくちゃって、僕の本能が言っていた」  それが、アルモニカの原点、彼らの始まりだったのだ。 「イカルさんは聖良さんと……契約したんですか?」  父のことを思い出しながら、もしかしたらと私は尋ねた。しかしイカルさんはきょとんとした顔になって、首を傾げた。 「契約? いや、そんなちゃんとしたものはないよ。事務所との契約はもちろんあるけど、バンドメンバーがずっと辞めないでいてくれる保証はないんだ」  でも、とイカルさんは訴えるように言った。 「僕が歌手でいられるのは、彼がいるからなんだ。たぶん、世界のどこを探しても、彼しかいない。もちろん、明日香もいてくれないとダメだけど、僕が踏み出すきっかけをくれたのは、聖良だったんだ」  喋り終えた途端、イカルさんは恥じらうように俯いた。語り過ぎたと思ったのかもしれない。私は彼に、自分の正直な気持ちを伝えた。 「……うらやましいです」 「え?」 「そんなステキな出会いがあって、頼りになる仲間がいて、イカルさんがうらやましいなって思います。私には、そこまで夢中になれることも、人生を変えてくれるような人との出会いもなかったので」  イカルさんは私の言葉に、静かに耳を傾けていた。それからゆっくりと、顔を上げた。前髪に透けて見える目が、私をまっすぐに捉えていた。 「音緒さん」 「は、はい」  改まって名前を呼ばれて、私は思わず姿勢を正して返事をした。 「僕たちと一緒に、同じ夢を見てくれませんか? 僕たちは、今よりもっとたくさんの人に、歌を届けたいんです」  まるで、プロポーズみたいだと思った。きっと、イカルさんの中ではそのくらい重くて大事な言葉を、くれたのだとわかった。目の奥が、じんと熱くなる。視界がぼやけそうになって、私は慌てて瞬きした。 「私も、一緒で良いんですか?」 「はい。一緒“が”、良いんです」  胸が詰まって言葉が見つからなかった私は、ありがとうございますと答えるのが精一杯だった。 「全国ツアー、絶対成功させましょうね」  イカルさんは、はい、と笑顔で言った。私との会話で見せてくれた、初めての笑顔だった。
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