2.新曲のささやき

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 翌朝からは、ライブ本番まであっという間に時間が過ぎていった。私は初めてのことなので、邪魔にならないよう隅で作業の様子を眺めていた。 「いよいよだねえ」  ライブ前の空気を吸うためか、明日香さんは作業開始から会場にいた。 「こんなにたくさんの人が、関わっているんですね」  私は会場を忙しく動いているスタッフさんたちを見ながら、感嘆のため息をついた。 「そう、数時間の本番のために、大人数で何倍もの時間をかけて準備をしてくれるんだ。でも、これでもまだ少ない方だと思うよ。ここはライブ用の設備が揃っているから、照明や音響機材もほとんど持ち込む必要がないし」  会場によっては、機材も照明も一式持ち込まないといけないこともあると、明日香さんは言った。クラシックや演劇に適した造りのホールだったとしても、ロックのライブには不向きだったりするそうだ。 「そういえば、ベストな残響時間がジャンルによって違ったりしますよね」 「あ、それ前に聖良が言ってた!」  音が部屋の中でどう反響するかによって、残響も変わる。全く残響がないと味気ないけれど、響きすぎても音が混ざり合って気持ち悪い。残響は、音が心地よく感じられるかを左右する重要な要素だ。その指標となるのが残響時間で、音源が振動を止めてから六〇デシベル減衰するまでの時間のことをいう。音量でいうと、六十四分の一。広い会場なら、聞こえなくなるまでの時間とほぼ等しい。 「たしか、教会音楽とかクラシックとくらべると、ロックは短めの方が良いんですよね」 「そうそう。でも、観客が入らない状態であんまり響かないように調整すると、本番は観客の服に吸音されて、さらに残響時間が短くなるんだって。冬は厚着になるからより吸音されるし、予測が大変だってPAさんが嘆いてたよ」  PAは音響に関すること全般を担当していて、この間飛行機で隣の席だった青海さんもその一人だ。音響機材の搬入やセッティングに始まり、本番中のオペレートもする。客席に届ける音を作る人、といってもいいかもしれない。バンドのそれぞれのパートをスピーカーから客席に伝える、とても大事な仕事だ。  今まで観客の一人としてただ楽しんでいただけだったけれど、PAさんや照明さんたちの緻密な計算の上でステージが作られていたのだと思うと、ものすごく価値があるものに思えた。  ゲネプロの時間には津麦社長も現れて、一緒に見学した。開始の十分前にやって来たイカルさんはいつもの猫背でおどおどとした彼とは別人で、率直に言ってとても格好良かった。マイクの前にまっすぐに立ち、声を出す。張り上げているわけでもないのに、第一声で心を掴まれてしまった。
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