葛飾クラブを取り巻く人たち

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葛飾クラブを取り巻く人たち

岩井幹(いわいみき) 19??年、東京都千代田区生まれ 日本の女性スポーツファッションデザイナーの草分けであり、創設以来葛飾クラブのユニフォームをデザインしているミキイワイデサインラボ代表取締役 旧子爵の家に生まれる。「ベルリンの奇跡」として名高い日本代表チームの主将をつとめた父を持つ 父の遺志を継ぐべくスポーツデザイナーの世界を志し東京藝術大学を卒業するもデザイン事務所やスポーツメーカーの採用試験に片っ端から不採用になり、単身ヨーロッパに渡る。1969年に帰国、ミキイワイデサインラボの前身となる岩井幹デザイン事務所を設立する。同年発足した葛飾クラブが元日本代表主将の娘が立ち上げたブランドに白羽の矢を立てて以来三十年以上そのユニフォームをデザインする 篤志家でもあり、サッカーを続けるのが困難な家庭の子女を援助し続けており、深雪の東京での生活費の一切を負担している。 独身。 モデルは照明デザイナーの石井幹子(もとこ)。石井の父はベルリン五輪日本代表主将の故竹内悌三である。 工藤巌(くどういわお) 1959年、東京都江東区生まれ フレディの竹馬の友、その縁で葛飾クラブのクラブハウスに魚を卸し、休みの日には葛飾ハイーニャのホームゲームで太鼓を叩いている一人サポーター アイロンパーマにレイバンのサングラスを愛用しており、やくざもののような風体をしているが至って真面目な魚屋。ただハンドルを握ると非常に荒っぽい性格になる その風貌から極道さんとあだ名されている。フレディのみ顔が白くて四角いことからペヤングと呼んでいる 趣味は編物、オーセンティックを販売してないハイーニャのユニフォームを自ら手編みしてオールシーズン着こなしている バツイチ。別れた嫁との間に一人息子がいるが嫁が再婚しているので遠慮して会わないようにしている モデルは芸人のアイパー滝沢 三柳亭柳三(さんりゅうていりゅうぞう) 1937年、東京都江戸川区生まれ 落語家。本名は高梨大吉。出囃子は「ああ人生に涙あり」。戦後の江戸落語の中興の祖の一人であり、愛嬌のあるキャラクターでテレビの人気者でもある 父と兄を戦争、母と姉を空襲で失い、親戚中をたらい回しにされる不遇の少年時代を送る。中学にも行かず愚連隊となり二十歳過ぎまで職を転々とする 戦後の落語ブームに乗る形で弟子入り、当時としては異例の十年足らずで真打ちになる 古典一筋の半面、枕やくすぐりは二度同じものを使わないほど新しいネタをどん欲に取り込む。舌鋒鋭いため敵も多いが目下の者や若い者には優しい 私生活では三ない主義(嫁はもらわない、弟子は取らない、宵越しの金は持たない)でいまだに中野の公団に一人暮らししている 佐藤とは佐藤が新聞記者として取材して以来の盟友。コンビを組んでストリップ小屋を回ったことも。当時佐藤は国会議員、柳三は売れっ子で怖いものなしになってしまっていた自分たちにやきを入れるためだった 回文になっている名前は真打ちになった時に自ら命名したもので、これを戒名とするので一代限りの名跡となっている モデルは三遊亭遊三(笑点の水色のお師匠さん)、「水戸黄門」うっかり八兵衛役の俳優高橋元太郎
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