忌まわしき門出

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「永井君、ちょっといい?」  発言したのは、教卓の前に立っている堤さん。中学から同じ学校の女子だ。取り巻きの女子を二人左右に伴っている。当時からクラスの中心を陣取れるような人だったが、高校でも変わりがなかった。 そして、そこそこ頭が冴える。 「警察に呼ばれてたよね?」 「呼ばれたよ」後ろ手でドアを閉める。 「香奈恵の事件のことでしょう?」 「そうだね」背後を通って自分の席に向かう。教室内を一瞥する。後ろの扉の近くに新之助がいる。雅也も残っていた。 「私たちは事件についてちゃんと聞かされてない。友だちなのにおかしくない? ねえ、どういう事件なわけ?」  どう答えるべきか計算する。席にたどりついた。「あまり、大きな声で言いたくはないんだけどな」はにかみながら、困り顔で言ってみせる。 堤さんは鋭く目を細めた。「普通じゃないんだ」 「外傷も、放置のされ方も、口に出して言うにはちょっと、つらいかな」机の横にかけていたリュックを引き上げる。「それに僕は聞いたと言っても現場を見てきたわけじゃないから、かなり詳しくというとわからないしね」  ちらりと本日の教室のごみ捨て係だった男を見る。顔をゆがめていた。と、堤さんの視線も新之助に向いた。「警察が言ってたことと合っているか知りたいから、永井君にさっきの話してやんなよ」  突然の名指しにひどく狼狽し口を開くことをしばらくためらっていたが、全視線の矛先を前に目をそむけて口を開いた。「遠野は、ごみ袋に入ってたんだよ。ストーブで重しがしてあったから、空気が入るとこなんてなかった」歯切れが悪い。 「ストーブで重し? それは初耳だよ。警察の人も教えてくれなかった」  ストーブを重しにしていたということは、袋の口をストーブで押さえていたということだろう。香奈恵の上に乗っていたならば、そもそも重しという言葉は使わない。じゃあ、あんま広めねえ方がいいんかな。つぶやく新之助に、ニュースで報道されるときには公表させるだろうから、大丈夫じゃないかな? フォローする。今さら懸念したところで、もう遅いだろう。少なくともクラスメイトの半分には知れ渡っている。 「でも、私には少しわかんないことがあるんだけど」堤さんの視線がこちらに戻ってくる。「ごみステーションの中で倒れてたんでしょ? でもごみステーションは閉まってるじゃん。掃除のとき以外は。もちろん開けたのは犯人だろうけど、じゃあ問題は、いつ香奈恵が押し込まれたのかって話。私は昨日香奈恵から、生徒会の壮行会があるって聞いたんだけど」  分岐点だ。答えを誤ってはいけない。計算する。ありのままを言い、徴候を見抜けなかったことに対する罪悪を表明するか。脚色をしてうまく責任から逃れるか。うまいことに、生きている三年生で壮行会に出ていたのは、永井聡太郎ただ一人だ。  ただ一人、だが。 「出たよ。香奈恵も、僕も」 「他には? 現生徒会はいたとして、三年で」 「大吾も綾香も受験がまだ残っているから、こられなかったんだ」 「じゃあ、もし香奈恵を殺せるとしたら、生徒会の人か永井君だけだったんだ」  空気が張り詰めていた。  堤さんは毎度毎度学年二位で足止めをくらい続け、望む地位を手にいれられなかった。いつの間にかすさみ出した心が相まって、常に目を光らせていたに違いない。学年一位を引きずり落とせる瞬間を。 「確かに、僕が一番、香奈恵に手をかけるチャンスが多かったのかもしれないね」自虐的な笑みを浮かべる。「でもまだ、外部、若草高校の人間以外の犯行だって可能性もあるよ」 「外部?」鼻で笑う。「外部だなんて落ちぶれたわね、元生徒会長。いいわ。今から反例を示してあげる」 顎を上げて不敵に笑む。彼女の反例に勝てるだろうか、と計算する。予感がちらついたが、目をそむける。 「まず訊くけど、香奈恵は一人で帰ったわけ?」 「いや、定期を忘れたことに気がついて、生徒会室に戻ったよ。門まで一緒だったけれどね」 「じゃあ、戻ってくるのを待たなかったってこと?」  うなずく。目を逸らさずに耐える。ペースを持っていかれていることには気がついていたが、打開策が思いつかなかった。  勉強で最良の成績を修めるために必要なことは単に努力することだけではない。伴う精神状態による。自分よりも上位の人の精神を汚染し、いかにして順位を落とさせるかも重要なのだ。堤彩葉もやっている。しかし永井聡太郎相手には、何度となく失敗している。 「香奈恵からメールがきたんだ。先に帰っていてほしいって」 「はあ? ちょっとみなさん聞きましたあ?」全体に目を向ける。指先がこちらを見つめる。「メールがきたから帰ったなんて、おかしくない? だって永井君、香奈恵と途中まで帰り道一緒じゃなかったっけ? 方向的に。なのに待ってなかったの? 夜道を女の子一人で帰らせるなんて、危なすぎない?」  ほとんど演説だ。浮かぶ笑みは楽しそう。普段ならば、絶対に効果のないやり方だ。堤彩葉よりも、永井聡太郎の方が味方の数が多い。彼女の言い方は、自分の嫌味な部分を全面的に押し出しているだけだ。しかし、今は人間が一人殺されている。犯人はわからない。ここで、疑いが一人の男に向いた。人間はどれほどその人物がよい人として映っていても、完全であるように見えるならば欠点を見たくなってしまうものだ。 「あとさあそれ、ほんとに香奈恵からだったって断定できるの?」  えっと漏らし、堤さんを見返す。少し目をみはっておいた。鋭く切り込めたと思い込んだ女は、喉を鳴らして笑う。「なんでもできる優等生かと思ってたけど、案外鈍いのかしら。犯人の目星だってついてないでしょ?」  うまい。劣勢でありながら、内心で称賛していた。 「もう我慢できねえっ」  ロッカーの前に立っている雅也が、突然叫び出した。質問者に詰め寄ろうとする。同じ中学だった男子二人が止めにかかる。中学一年生の頃だったか。彼の友人に悪いうわさが出回ったことがあるのだが、発信元をつき止めて全治一カ月のけがを負わせた。  暴徒化した同級生には一瞥で済ませ、貼りつけた笑みでこちらを見る。 「つまり香奈恵が殺されたのは、その一人になったタイミングってことでしょ? じゃあ反例。外部の人間に一人になるタイミングで校内に侵入、殺害なんて不可能だと思う」 「完全に不可能じゃないと思うけれど」 「でもそれってリアリティに欠けるでしょ。とうぜん、何ごとにも不可能はあり得ないけど。そんなこと言ってたら、推理が進まなくなっちゃう。じゃあ、こう質問しよう。香奈恵が定期を忘れたことは本人が自主的に気がついたわけ?」 「いや、生徒会の誰かからメールがあったみたいだよ」 「へえ。じゃあ、永井君が受け取ったメール、誰からだったんでしょうねえ」  不敵な笑みを浮かべていた。周りが騒がしい。  反論すべきか考える。しても無駄だ。「つまり堤さんは、僕が犯人だと?」 「あら、そうはいってないでしょ。まだどうして永井君に送られてきたメールに疑いを持ったのか、言ってないのに。でもそう言い出すってことは」  自分が犯人だって危惧を抱いてるんでしょうね。  胸中の声と重なった。全く予想通りの返しだ。だがいっそ、このくらいやってくれた方がよい。いや、違うな。隅で否定がくすぶる。 ああ、うるさい。うるさい、何もかも。  無造作にリュックを掴み取り、無言で教室を出た。漏らした舌打ちは、たたきつけるように閉めたドアによってかき消された。
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