忌まわしき門出

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 もう二度目の名のない教室にお邪魔する。立花さんしかいなかった。座って手帳のページをめくっている。目を点にしていたが、携帯を持ってきました。説明すると納得してくれた。メールを開いて携帯を手渡す。  先に帰ってていいよ。  たった一言。メールにはそう書いてある。香奈恵さんとのやり取りで他に見ても大丈夫なメールがあったら見せてくれるかい? お願いされてうなずく。一度携帯を受け取り、遠野香奈恵で検索をかける。ざっと今までどんなやり取りをしてきたのかを思い出す。どれを見られても大丈夫だろう。その旨を告げて、もう一度渡す。しばらくいじっていた。  やっぱ、不審な点はねえな。メアドもおんなじだし、文面的にも変なところはねえ。率直な感想と共に返される。不審な点が見つかるはずがない。たった一言であれば、まねをするのは簡単だ。 「あの、このメールは、香奈恵からのものではないのでしょうか」携帯をリュックにしまう。  ああ、まあ。途端に歯切れが悪くなる。「まだ確かなことはわかっちゃいねえよ」はぐらかされた。手に力が入っていた。無理やりほどく。一礼して立ち去った。  駐輪場に行くと、三年二組のスペースで内田兄妹が口論していた。立ち止まる。内田君には双子の妹、しおりさんがいる。クラスは違ったが、中学は同じなので何度か話したことはあった。 「どうして探偵になんてなろうとするの?」  しおりさんが怒鳴った。ペダルに右足をかけて自転車に乗っている内田君が、目をつむって眉を寄せている。 「絶対にならないでって言ったのに。お母さんもお父さんも反対してるのに。誰もお兄ちゃんが探偵になったって、喜ばない。おじさんだって、絶対に許すわけないからっ」  間があった。 「もう吐き出したいことは全部吐いたな」ゆっくりとまぶたが上がる。「父さんと母さんに、おじさんまで持ち出せば、おれが探偵になるのを辞めるとでも思ってるのか? いいか、おれはあんたらに縛られて生きるなんてごめんなんだよ。これ以上口出しするなら、お前ら全員殺してやる」 「やればいいよ。そうしたら探偵になれないし」 「その返しはないだろ。脅しが全部使えなくなる」 「あたり前じゃん。だってお兄ちゃんの妹だもん」  なんだ、このけんかは。緊迫した雰囲気に魔が差す。内田君が咳払いした。「とりあえず、おれの前からうせろ。これ以上口出しするなら、そうだ、家を出ていこう」手を打った。  今度は妹の方に間があった。「で、出られるわけないじゃんっ。お兄ちゃんに家を借りられるわけないもん。未成年一人でできることじゃないし」まくしたてる。 「馬鹿だなあ」しかし、相手はにやりと笑みを浮かべた。「おれには完ぺきなツテがある」 「そんなの、はったりだよ。お兄ちゃんのばーかっ」叫ぶなり持っていたかばんを、兄の自転車に思い切り横からたたきつけた。自転車がぐらつく。搭乗者が重心を逆にかけて、どうにか立ち直った。倒れたらどうするつもりだったんだ。文句を投げつけたときには、しおりさんは顔を伏せぎみに背を向けて、こちらに向かってきた。よどみない足取りで、突進するかのごとく近づいてくる。ポニーテールが激しく揺れている。道を開ける。途端に顔が上がった。平生通りのやや細めな目をしていたが、こちらの顔を認めるなり鋭くゆがんだ。  口の端がけいれんする。何歩か後退するも、詰め寄られる方が早かった。目の前で立ち止まられて、下がっていた足がすくむ。上体をややのけぞらせる。睨みつけられた。眼鏡はかけていないが、兄によく似た双眸だ。顔立ちも似ている。以前に一卵性双生児であると言っていた覚えがある。 「どうして犯人扱いされてるの」  やがて、無表情に問われた。しかし声音はいつもより低く、圧を感じる。「えっと」口の中が乾ききっている。会話にしては長い間を挟んでから、無理やり続ける。「しおりさんは僕のこと犯人だとは思ってないの?」 「あんたにカナちゃんを殺す理由がないでしょっ」  叫ばれた。身体が半ば反射的にはねる。口をつぐむ。どうもしおりさんの扱いにはいまだに慣れない。彼女は同性にはかなり友好的だが、兄を除く異性にはかなり攻撃的だった。怒るにしても女子にはやわらかく注意する程度なのだが、男子には最大の圧力を伴って全力でエネルギーをぶつけてくる。  顔立ちはまあまあだし女子と話してるときは全然いいやつなのに、欠点がでかすぎるよな。同じく中学から彼女を知っている雅也の感想だった。同意だ。 「私が言ってるのは、そういうことじゃないから。あんたのせいでお兄ちゃんがこのまま探偵になったらどうするの? どう責任取るの?」  ぐっと顔をのぞき込まれ、半歩後退する。十センチメートル近く低いにもかかわらず、圧力がどうも釣り合っていない。  内田君が探偵になろうがならなかろうが、知ったことではない、とは口が裂けても言えない。何か考えなければ。必死に言葉を探す半面、今は何も言わない方が正解な気もしていた。無駄なことを言えば、相手を逆上させることになる。  しかし逆に何も言わなければ、早く答えろとさらに怒りに拍車をかける可能性もある。責任転嫁で怒られるのは、一番厄介なパターンだ。自分一人ではたいてい丸く収めることはできない。第三者の介入が必要になる。 「しおり、まだ受験が残ってるだろ。そのエネルギーを勉強に向けたらどうだ」  駐輪場から、内田君の声がかかる。お兄ちゃんは黙っててよ。振り返ったしおりさんが噛みつくが、責める相手を間違ってるぞ。まっとうな指摘が飛ぶ。 「別に、おれはこいつに頼まれた覚えはない」指先を向けられる。「ただおれが夢をかなえるために、勝手に事件を利用しただけだ。怒りたいなら事件を起こした真犯人にぶつけろ」  黙った。肩越しに振り返っているので表情はうかがい知れない。手に提げているかばんの取っ手を握る手に力が入ったのはわかった。 「どうしてこんなやつかばうの? こんなやつ、どうなったっていいじゃんっ」かばんを持つ手を向けられる。 「かばいたいんじゃない。むしろかばいたいわけないだろ。目の前に嘘があるのが気にくわないだけだ」  散々な言いようだ。  また静まる。駐輪場の奥に立っている木が、風に吹かれてわさわさと音を立てている。目の前でかばんを持っている手が震えている。それが下がったかと思えば、しおりさんが横を抜けて走り出していった。しおりさん。名を叫んでみるも、遠ざかっていくばかりだった。  しばらくその背中を見送っていると、しおりに目をつけられるなんて、あんたも災難だな。背中に同情が刺さってきたので、身体ごと戻す。あとでちゃんと謝っておこうかな。する予定のないことをつぶやいておいて歩き出す。自転車は内田君の二台挟んで右隣に置いてあった。かごにリュックをいれる。  おれの人生に口出ししやがって。左で吐き捨てるように漏らす。心配しているんじゃないのかな。しおりさんをフォローしつつ、ジャケットの両ポケットに手をつっ込む。鍵がない。 「家族といっても他人だ。個々には自分で未来を決める権利がある。無駄な干渉はボウガイと読む」 「誰だって、家族に苦労はしてほしくないものだよ」手をつっ込んだままポケットを振ったが、音はしなかった。リュックの外ポケットをあさる。 「それが親ならわからなくもないが、妹からもやられるとはな。八方塞がりだ」 「しおりさんは、少し心配性なところがあるからね」ブラコンと言いかけそうになった。鍵を見つける。 「内田君って、割としおりさんにあたりが強いよね」 「あたりまえだろ。うっとうしいからな」  苦笑しておく。横目でつい先ほど、しおりさんが通った方を一瞥した。 「ところであんた、堤彩葉あたりに何か言われなかったか?」  鍵を刺そうと鍵穴に目を落としたが、顔を上げる。訊き返した。すると片方の口角を上げる。やっぱりな。何も答えてないが納得された。ときどき彼には読心術でも使っているのではないかと思わされる。 「予想していたの?」 「あんたはどうなんだ。わかってただろ、警察が変な証拠品を出してくる前からな」かかとで自転車のスタンドを蹴り起こした。がしゃんと音を立てて、タイヤが落ちる。乗ったまま後ろに下がり、自転車を出す。向きを左側が前を向くように変える。 「あんたにこういう日がくるのを、ずっと待ってた」  こぎ出した。
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