【一】帰郷(ききょう)

1/1
前へ
/52ページ
次へ

【一】帰郷(ききょう)

 今から1000年前  伝説の都――ユピテルを一瞬で滅ぼした魔王【マキーナ】  深紅の巨体に輝く藍色の翼を持ち、その存在は呪いそのもの。  歩くだけで世界をゆがめ、()けるものは本来の姿を忘れて魔物となり、海と空とを暗黒に穢し、大地を枯らして毒の呪いをかけた。  魔王は生きる不条理だ。  敵対する者は、魔王の断種の呪詛【ブロークンチェーン】によって生殖能力が奪われて、後世に伝える血脈すらも断絶させる。  最悪であり災悪である魔王。 【マキーナ】が封印されたのが500年前。  勇者【アレン】と、魔法使いであり魔導王国オルテュギアーの第二王女――魔導姫(まどうひめ)【アステリア】が世界に平和をもたらし、アレンはアステリアの姉である【エステリア】と結ばれ、魔導王国オルテュギアーの王となった。  それがわたしのご先祖様。伝承通りであるのなら、この身体には勇者の血が流れている。  可憐な顔に年齢不相応の皮肉気な微笑を浮かべて、ティアはカーラを伴い五年ぶりの故郷の地を踏んだ。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  ごぅっと風が吹く。海を背にした駅舎から外に出ると、磯の香りと煙たくイガラっぽい匂いが鼻についた。  教授連中がたしなむ煙草(シガー)よりも粘っこくて、鼻の奥にわだかまるような不快感に、思わず眉を寄せ、反射的に「くしゅ」と口から小さなくしゃみが飛び出してくる。心なしか全体の視界が白っぽくぼやけて見えるのは、魔導車から出る排気ガスのせいだろう。  駅舎の前にある魔導バスのロータリーでは、人々は白い煙にもイガラっぽい匂いにも慣れたものらしく、白く煙る世界で平然と賑わっている。――そのことにティアは奇妙な寂寞を味わった。  紫の瞳が映す煙るロータリーと白亜の町。海からの塩害を防ぐためにつくられた、魔力付与の漆喰で新たに塗り固められた白が、太陽の光を吸収して鈍く弱々しい光を放っている。  風光明媚な観光名所でもある、オルテの首都【クエル】  もしも車の排気ガスがなかったら、ここからも小高い丘の宮殿が見えて、海の濃いエメラルドと白い街のコントラストが訪れた人々の心を揺さぶっていただろう。  季節が夏ならば、オレンジやレモンといった柑橘系の果実が売り出されて、黄色やオレンジの暖色系が景色に(さい)を添え、町中が観光客をむかえるために色とりどりの旗を釣るして、魚介の料理と螺鈿細工(らでんざいく)などの工芸品を売り出す準備をする。  これはこの国を出る五年前の記憶。季節ごとに変わる景色と、町の匂い。そして活気のある人々の姿があった。  あれがなくなり、これがなくなり。これが増えてあれが増えた。  排気ガスと匂いから逃れるように、ロータリー周りの商店は、入り口が固く閉ざされており、晴れた日なのに灰色が濃くなった世界は、賑やかな音がするのに活気に乏しい。  それは当然の事象である――にも関わらず、五年前のブランクがあるとはいえ、ティアは違和感を強く覚えた。  一見してなんともない日常生活なのに、どこかよそよそしい空気を醸し出し、人々の視線の先が自身の足元に注がれる。まるで嫌な現実から見て見ぬふりをしているみたいだ。  王位継承の儀式が、今や世界中に交付されているにも関わらず、ある意味、この町が儀式の参加者に対して玄関先であるにも関わらず、町中が恐ろしいほどの静謐と日常を保ち、一定の緊張感を孕んでいる。  五年前とは明らかに違う景色、変わってしまった日常故に、ティアは自分が本当に故郷に帰ってきたのか自信がなくなってきた。もしかしたら、降りる駅を間違えた。もしかしたら、まだ自分は夢の中だった……だったらよかったのに。 「うわぁっ。五年前とはえらい違いですね。見てください、あのバス二階建てですよ」  と、隣のシスターカーラがはしゃいだ声を上げた。暗い表情のティアとは対照的に青い瞳をキラキラと輝かせている顔は、子供のように無邪気だ。  ティアは知っている。カーラは努めて明るく振舞っていることに。下手をしたら、この里帰りが死出の旅になるからこそ、彼女は最後までティアの帰国に反対した。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  魔導王国オルテの王位継承の儀式。  魔王を封印して以降、王女アステリアによって生み出された、犠牲を伴う血塗られた儀式(くさり)。  誰が命名したのか、その儀式は【アステリアの鎖】と呼ばれており、継承の儀式に生き残った者が次期オルテの国王になる。  アステリアの時代から続く、膨大な魔力と知識に加え、儀式で命を落とした者たちの魔力とスキルを、まるごと手に入れることができるのだ。  それは絶対的な力と栄誉――ただし、国王となった者はアステリアの思想に支配されて、次の王位継承の儀式で生贄になる運命。  生き残ったとしても、いずれ生贄にされる。  魂を感情を人格を剥奪されて、アステリアの代行人形となって王という名の国の歯車となる。まともな者ならば忌避する事象なれど、儀式の参加条件がないに等しいことから、魔導を求道する者、権力欲に憑りつかれた者、政治的思惑で参加する者、わずかな希望を見出して縋りつく者などがこぞって儀式に参加する。  さながら混沌を極めし蟲毒の様相をていしているものの、ティアを含めた勇者の直系は周囲の涙ぐましい努力で現在まで維持されている。  勇者の血をひく王族――【尊き青バラの血(ブルーローズブラッド)】は500年経過しても尚、価値が下がることも枯らして根を絶やすことも許されない。  わたしの考えが確かなら、この儀式は――。 『もし私に何かあったら、なにがなんでもこの国から出るんだ』 ――ヘルメス教授。  この五年、ネイリス学院でただ遊んでいたわけではない。  殺害された恩師、故郷で起きつつある異変、アステリアがなぜこんな儀式を強制しているのか、すべては一本の線に繋がっている。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 「ティア様、出迎えが来ないみたいですから。バス乗りましょうよ。この二階建てのバスなんかいかがでしょう」  青い瞳を輝かせているカーラは、観光客が列をなしている二階建てのバスを指さした。  少し離れてもわかる大きめの赤い車体。天井を取っ払った二階はオープンカーのように開放的で、風景を見るための大きめの窓から黄色のシートが規則正しく並んでいるのが見えた。 「うーん、迎いが来ないのなら仕方ないけど」  ティアは少し煮え切らない。迎えが来るとこっちが完全に思い込んでいたのなら、自分たちはここから自力で歩かないといけないし、けれども向こうが遅れていたのだとしたら、勝手にここから離れた結果、最悪行き違いになる。  王位継承の儀式は誰でも、参加が出来るのだ。そのために他国の王族が政治的な思惑の元で、儀式に参加したこともある。そして、混血化と種族間の差別意識が原因で、前回は暗殺やテロが横行し国際問題に発展した。  儀式を無理矢理中断すれば、行き場のなくなった膨大な魔力が暴走して、魔導王国オルテュギアー自体が消滅すると言われている。  それ以前に、儀式の進行を妨げることは世界平和に弓ひく行為であり、魔王の脅威が完全に払しょくされていない現在において許されざる行為。  ティアの父――当時、学生だったイーダスによって検挙されたテロの首謀者と、――【ライラ】は、王位継承の儀式からの唯一の生き残りである、ティアの母――アステリアを経由して膨大な魔力を継承された【カーリア・ヴィレ・オルテュギアー】の手によって滅ぼされた。  社会的ではなく物理的に。  女王に憑りついたアステリアの了承の下で、王宮から放たれた魔力の塊である白銀(しろがね)の矢が一矢(いっし)一国(いっこく)を滅ぼした。  あまりも呆気なくライラが滅んだために、最初は制裁に賛成だった世界(デーロス)は震撼する。  ライラはその当時、【混血排除主義者(イレイザーヘッド)】および【根拠のなき血統(ブラッドネストゥール)】を掲げて、人類種(じんるいしゅ)による純血至上主義に傾倒し、混血化が進んでいるオルテ王室を名指しで批難して、周辺諸国の頭痛の種と化していた。まさか同盟国であるオルテに対し、テロを敢行するとはだれも想像すらしなかった。 ――しかし、これはやりすぎではないのか?  凄惨な現場を目撃した誰かが言った。  白銀の矢が着弾した場所を中心に、建物を蒸発させるレベルの強烈な熱波が人々を襲い、ライラがあった場所には、強大な茸雲が赤々と屹立した。  儀式で継承された、魔力による圧倒的な火力に世界中が震撼するも、制裁を下したオルテの姿勢は揺らぐことはない。オルテはいずれ復活する魔王の脅威に打ち勝つために、団結を世界へと呼びかけたのだが、溢れ出した疑問と恐怖が、毒水(ぶすみず)のごとく人々の心へ浸食するのに時間がかからなかった。  魔王はどっちだ?  この世界はアステリアという悪霊に支配されているのか?   ティアは自身が儀式に参加することを一ヶ月前に表明し、王家に向けて手紙を出した。だから、速やかな儀式の遂行と暗殺を阻止するために、護衛としての出迎え要員を寄こしてくれると思っていたのだが、どうやらアテが外れてしまったらしい。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 「乗りましょうよ。きっと楽しいですよ~」  カーラもそういった事情が分かっている。分かっているからこそ、ティアの扱いに内心で憤りつつ、彼女の気持ちを落ち込ませないように、わざと道化役を買って出ているのだ。決して、物見遊山で二階建てのバスに乗りたいわけではない。 ……うん、たぶん、そうだ。と、ティアは心の中で苦笑いをする。 「そうね。そのバスが【王家の丘】か、【ペルセ】にいくのなら考えるけど」 【王家の丘】とは儀式を行う場所であり、【ペルセ】は儀式の参加者を相手に発展した宿場町だ。  とはいえ、ティアは本気でバスに乗ろうとは思っていない。暗殺やテロの襲撃に遭う可能性がある以上、一般人を巻き込まないように目立つ行動は控えた方がいい。  時間がかかるけど、徒歩で移動した方がいいかしら。  儀式は明日の夜からだ。できれば今日中に【ペルセ】へ赴き、予約した宿へ泊まりたいのだが、ここからペルセまでかなり歩く。日用品と研究機材を詰め込んだトランクを持って、三時間近く海岸沿いを歩いて、目的地の場所まで何度も急な坂道を行き来するのだ。  ホビット族の血を引いているティアには、どんな難所(なんしょ)でも踏破(とうは)する種族スキル【万難踏破(ワンダーフット)】があり、足の裏には靴よりも強靭な毛が生えている。じつは新しい靴を買うよりも、素足の方が効率がいいのだが、それでも新しい靴を買おうとしているのは、足裏の毛を他人に見せたくない思春期特有の羞恥心に由来している。  もっと歩きやすい靴に代えて、海からの強い風に長時間あおられるのだから、ワンピースドレスの上に羽織る上着を買った方が賢明だ。いやいっそのこと、装備を一新した方がいいのかもしれない……と、そこで気付くのだ。  自分の記憶が確かならば、ここから商店街に出れば服屋も靴屋も容易に見つかるはず。  だが、その根拠と頭の中で組み立てられた段取りは、あくまでも五年前の情報であり、現在は店があるのかすら分からない。 ――お店、閉店していたらどうしよう。へこむかも。  そんなことを考えながら、お互いのトランクを引きずってロータリーまで移動すると、ロータリー中央に設置された拡声器からアナウンスが聞こえてきた。 『こちらコイオス観光でーす。カルティゴからお越しのティア・ロード様。カーラ・ラン様。ただいま、お迎えに向かいますので指定の場所まで来てくださーい』 「「…………」」  ティアとカーラは、微妙な表情を浮かべてお互いの顔を見た。  出迎えにしては遅れていることに、嫌な予感を覚えた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  呼び出された場所は、ロータリーの隅に位置する待合室だった。  ティアとカーラは何気なさを装いながら、待合室の周囲をさっと一周して観察する。入り口の扉には【コイオス観光・貸し切り中】の看板が下げられていて、コンテナを改造したらしき四角い建物の中に、いくつかのソファーとテーブルが置かれているのが見えた。窓から部屋の内部と二人の人間がソファーに座っているのを確認し、入り口のところで再び立ち止まると、ティアは自分の感じた悪い予感が的中していないことを祈った。  これ以上、悪いことなんて起きないはずなのだから。  ティア・ロードとカーラ・ラン――一ヶ月に儀式の参加を自国へ表明し、カルティゴから出国し、生きのびて儀式へと参加させるために、オルテ側で用意された仮の身分だ。    その名前で呼び出されたというのなら、待合室でまっている人間はこちら側の味方であるはず。  丸メガネの奥で紫の瞳が不安で揺れる。ドアノブに手を伸ばすのを躊躇う白い指が震えて呼吸が乱れていくのを感じた。  脳裡によぎる研究室で倒れていた教授の死に顔。頭から血を流して、毎日手入れをしている立派な顎髭を床につけて、限界まで見開かれた瞳には、すでになにも映していない――恩師であるヘルメス教授は死んだ。否、殺された。  教え子のティアに殺人の容疑がかけられたのが出国直前。  事前に逃げろと教授に警告されていたティアは、身柄を拘束される前に大陸間横断列車に乗り込んだ。  カーラがティアを信じてついてきてくれたのが幸いだった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 「…………」  ティアはドアノブを掴んで先に進むことが出来なくなった。  相手が敵か味方が分からないことが、こんなに恐ろしいとは想像できなかったのだ。 「もうっ、ティア様たら。私の存在をもっとたよってくださいよ」 「え、ちょっ」  ティアを押しぬけるようにさっとドアノブを引くカーラは、我が身を盾にするかのように待合室にすっと入る。隙ない身のこなしと、ネコのように音を立てない動作は訓練された兵士そのもの。彼女はたしかにティアのお目付け役であり護衛であるのだ。かなり問題がある部類ではあるのだが。 「こんにちは、コイオス観光さん。カルティゴから来ました。ティア・ロードさんとカーラ・ランです」  陽気な声を出してカーラは会釈をすると、部屋に入ってきた二人に対して、ソファーから二人の男が立ち上がりほっとしたように破顔する。 「いやぁ。申し訳ございません。こっちの不手際でお待たせてしまって」  そう言って、ぺこぺこ頭を下げる二人の男は仕立ての良いスーツに日焼けの帽子をかぶっていた。一人は青灰(あおはい)の瞳を持つ年配で、もう一人は年若く翠色(すいしょく)の眼が疲労で淀んでいる。  おおよそ、観光業者を名乗るのには行儀の良い格好。砕けた態度ではあるが、彼女たちを映す二人の瞳は冷たい警戒心が潜んでいる。  よかった、しっかりした人たちだ。とティアは心の中で胸を撫で下ろした。自制心の低い者はたいていカーラの方に視線がいき、修道服を盛り上げている豊かな曲線を視えない舌で舐めまわす。彼女の存在のおかげで、初対面の人間の人となりが判断できるのだから、本当に存在自体が有難い。 「どうも、コイオス観光のプルートスです。こちらは見習いのファウスト」 「はじめまして、魔導王国オルテュギアーへようこそ! 本日からの三日間! 当社が主催する素敵なツァーをお楽しみください」  出来る限りの明るい声を出して、あくまで自分たちは観光業者であり二人は観光客であるという(てい)を繕う。 「ささ、まず。ここまでの長旅で疲れたでしょうからソファーに座ってください。お茶の準備も出来てますので」 「……わかりました」 「はーい」  そう促されてソファーに座ると、ファウストと呼ばれた青年は待合室のすみにあるドリンクサーバーからお茶を出した。備え付けの紙コップを四つ出してお茶を注ぎ、丁寧に給仕する彼の挙動は宮廷遣い特有の品の良さを感じる。 「どうぞ、粗茶ですが」  笑顔でお茶を勧められた時、ティアは紙コップの横に二枚の名刺が置いてあることに気付いた。  名刺にはこう書かれていた。 【魔導王国オルテュギアー 王立警察 警視総監 プルートス・オケアノス】 【魔導王国オルテュギアー 王立警察 警視総監補佐 ファウスト・メレアグロス】 【つづく】
/52ページ

最初のコメントを投稿しよう!

24人が本棚に入れています
本棚に追加