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【四】衝動(しょうどう)
「どうして……」
なぜ、ここまでして自分を殺そうとするのだ?
ブーツの下から熱気を感じた。
ティアの視界が真っ白に染まって――。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ペルセに続く海岸沿いの道路で、コイオス観光のワゴン車が膨張して爆ぜる。飛び散る火花と爆風が、一瞬周囲を明るく照らしてすぐに消えた。
魔媒晶の燃えカスである、紫の煙と黒煙の混ざりながら立ち上っている中、賊は爆発したワゴン車があった場所に目を向ける。
顔全体を覆う黒いマスクと黒装束に身に包み、種族も国籍も性別すらも判別不能の彼らは、闇夜に紛れて道路のすぐ横にあるリアス式海岸にはりつき、またある者は地中に潜伏し、またある者は海とは反対側の斜面になっている護岸周囲に擬態し、王立警察による捜査網を掻い潜ってきた。
彼らの目的、彼らの本懐の為に。これが世界に弓ひく行為だろうとも、彼らはそれでかまわない。すでに大切なものを失った人間に、怖いものなんてなにもないのだから。
「やったか!?」
その声を合図に燃える車体へと、人影が三十人ぐらい、ぞろぞろより集まってくる。
音を立てる海風にあおられて、さらに激しく燃え上がる炎。勢いを増して車体全体を覆い隠す獰猛な赤の乱舞は、賊たちに勝利を確信させるほどだった。
それが、その油断が、自分たちの死に直結するとは考えずに。
「――っぎゃ」
打ちつける波とは別の、短い悲鳴があがった。
燃え盛る炎を囲んでいた賊たちが、もがき苦しみながら次々と道路に倒れ込んでいく。
体中から異常な量の汗をかいて黒装束をびっしょりを濡らし、さらにその場にいた全員が、一気に汚物まで垂れ流すという異常な事態。
体中の血液が不規則に収縮し、体内の水分が暴走し、内臓が見えない手によって搾り上げられるかのような激痛に、新鮮な空気を求めて彼らは口をパクパクと開いた。
「固有魔力振動数に反応するステルス地雷を設置ですか。一つは進路方向、避けられることを予想してもう一つ設置。地雷を避けようとハンドルをきったタイミングで魔法弾を打ちまくって、もう一つの地雷へ誘い込んでどっかーん! と、なかなか手が込んでいますね。しかも私の蛇ちゃんにひっかかった虫はただの虫じゃない。なんと、あぁ、なんとっ! 魔力ネットワークを脳に編み込んだ蠅じゃないですかっ!!!」
賊たちは目を白黒させる。
燃える車体から聞こえる女性の声が、彼らの戦法をつまびらかに解説し、打ち震えるような感情を声にのせる。
「王立警察が盗聴源を発見できなかったのは、盗聴器である蠅がぶんぶん飛んで移動していたから……そんな精密な魔力操作ができるなんて、テロリストにしておくにはもったいないです。まったく、本当に、もったいない。神様はあなた方に、一体どんな試練を課したのでしょうかっ!?」
楽しそうに、歌うように、賊たちの戦法を解説して称える声は、次第にトーンを落として、神の名のもとに嘆いてみた。
さながらオペラの歌手のように滑らかに。さながら主演女優のように華やかに。さながら悲劇のヒロインのように高らかに。
「あなた方の敗因は、最初の地雷で私たちを倒しきれなかったこと。さらにもう一つは、ティア様がいたことです」
波と音と燃え盛る炎の音よりも、闇夜に通りぬける風のように美しく通る女性の声。ティアという名前が燃え盛る炎から聞こえた時、倒れ伏した賊たちの一人が悔しげにつぶやいた。
「そ、うか……、ユニークスキル持ちか。だから、カルティゴに留学していたわけか。いや、ひぁっ、はぁ、あ、ぁっ……」
防壁魔法を使った気配もなく、蒸し焼けにもならずに、ターゲットが生きている可能性から導き出した答えながらも、悔し気なつぶきの中に幾分の憐憫があった。そして、自分たちの敗因を言葉にすることで、崩れて折れた己の心をなんとか立て直そうとする奮起が感じられた。
属性魔力を自身のテクニックとスキルとを組み合わせて行使する、複合魔術が【魔導】であり、オルテの国民たちは、諸外国よりも魔力に通じている強固な自負とプライドがある。そのため、魔力があっても魔法が使えないユニークスキル持ちは侮蔑の対象であり、この国ではよほどのことがない限り、ユニークスキル持ちであることは口外されることなく、死んだ後も秘匿され続ける。
魔王が暴虐の限りを尽くしていた暗黒期の500年、魔法を使えない魔力持ちに顕現した突然変異――ユニークスキル。
特定の種族が使用できる【種族スキル】と、自らの努力と才能で獲得する【通常スキル】とはベクトルが違う、理すらも覆すそれは、ユニークというよりも、神様の気まぐれのように不条理かつ理不尽な代物だ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ぶんと風が唸って、大きな力で賊たちは薙ぎ払われた。
体が宙に舞うほどの強大な力に、骨ごと臓腑が潰れて、落ちる身体が地面に着くスレスレのタイミングで、さらに上空から、大きな水塊がハンマーの如く振り下ろされて、賊たちの身体は無様に道路にバウンドした。
「……――っ」
悲鳴をあげる間もなく、血が飛び散り、歯が飛び、目玉が飛び出る者もいた。血で染まる視界に映るのは、赤く染まった満月と鎮火された車体から現れた黄金の繭だ。
まるでワゴン車が繭にすり替わったかのような大きさで、平然と月光を受けて燦然と輝く黄金の塊は、賊たちが鎮圧された気配を感じ取り、脈を打つように蠢動する。
「はーい、じゃっじゃじゃーんっ!」
例えるなら、赤く染まりつつある闇夜に咲いた黄金の花。
繭が花のように八方へと広がり、中心の花柱にある場所には修道服の女性が、両腕を天へと突き上げて晴れやかな笑顔を浮かべている。
貞淑で厳格な服装とは真逆のグラマラスで淫猥な肉体。恍惚と熱を浮かべる顔にすこし垂れ気味な青い瞳には陶酔の色が宿っている。
それよりも賊たちが目を疑ったのは、黄金の花の正体がシスターの髪だということ。大量に膨大に、一本一本がきらめく川のごとく動き、長さを変え、シスターを中心に無限に広がり、動けなくった賊たちを次々と拘束していく。
圧倒的な力を前に、賊たちは自分たちを薙ぎ払った存在が、あの奇怪で美しい髪だと分かった。
そして、悲鳴をあげる。
しゃくしゃくと何かがこすれ合う音の大合唱。
自分たちに浸食していく金色の髪が、賊たちの身体に潜り込み侵食し、彼らの肉体を食んでいたからだ。
しゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃく……。
「こ、この、化け物がァッ」
「あはははははは……っ、ひゃあああぁ。これでもぉ、ゴルゴーン族なんですよ。私ぃ、竜人の混血晶なんですけど、おかげで耐火性ばっちりなんです。髪の毛一本一本、全部蛇ちゃんで顕微鏡で観ると、ちゃんと鱗もびっしり生えているんですよぉ。もうっ、かーわいぃっ!」
くねくねと我が身を抱きしめて声を上げるシスターは、はぁはぁと荒い息を吐いてだらしなくピンクの舌を出していた。
快楽に悶える修道女の淫らな演舞と、生きながら小さい生物に食べられていく凄惨な光景。残酷な女神が支配する地獄では、死は苦痛からの解放であった。
「その、姫様。シスター・カーラはいつもそうなんですか? というか、おやっさ……警視総監殿も、なんか無言でトリップしてますし」
「いえいえ、二人ともわたしのユニークスキルのせいです。【月の女神の手】でリミッターを解除したんですが、その副作用で脳内麻薬がドバっときているようで」
「そうですか、ドバっと……ですか」
眼前の惨劇から現実逃避気味に、カーラの後ろでティアとファウストが話し込む。護岸の斜面に背中をあずけて座り込むと、ひんやりとした心地よさが背中を中心に広がり、助かったという安堵で緊張の糸から解放された。
カーラの毛に守られてはいたが、車一つを丸焼けにする高温だった。蒸し焼きにならずに耐えられたのは、自分たちが多種族の血が混ざった――混血晶だという恩恵が大きい。
噴き出す汗をハンカチで拭きながら、ティアは横ではへたりこんでいるプルートスを見た。なにもない空間にぶつぶつと呟き、完全に目が行ってはいけない方向を睨んでいる、つまり危ない人である。
プルートス殿は半魚人族かしら?
いつのまにかなくなっていた日よけの帽子。あらわになったプルートスの寂しい頭髪には、青白い魚の鱗がぬるりとした光を放っていた。
死んだ魚のように淀んだ青灰の瞳には、どのような意思が宿っているかは分からない。だが職務をまっとうする意思はあるらしく、賊たちの体内にめぐる水分を圧縮させて、歯を飛ばし、爪を剥がし、眼を抉る。
さらに海のすぐそばであることを利用して、魔導で海水を引き上げて、満身創痍の賊たちに、塩水を雨のごとくふりまいていく。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ」
波の音を打ち消すほどの、悲鳴の咆哮が夜気に響く。
毛細レベルの蛇の群れに、じわじわと全身を食われたあげく、体内の水分を掌握されて、傷口に海水をぶちまけられる。
苦痛にあえぐ口から泡が零れ、白目をむいて悶絶する賊たち。
反撃は拷問に変わり、生と死のぎりぎりのラインを責められて、恐怖のあまりに正気を失いはじめた。
「あはははははっ。やっぱり、生きたままの人間生肉超サイコー。おいしい、おいしい、おいしぃ、蛇ちゃんたちも久々にたくさんの人間を食べることが出来て、とても喜んでいますぅ。……あぁっ、ああっ、あぁんっ! ティア様ぁ、あなたに仕えることが出来て、私、とても幸せですぅ……」
カーラが大げさに胸をそらせると、修道服から盛り上がっている二つの山がぷるんと震えた。ゴルゴーン種の本能のままに、血肉を喰らう悦びに打ち震えて、頂にある乳首が修道服を持ち上げてぼっ起する。彼女は確実に発情していた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
これは地獄か。と、ファウストは顔を青くさせた。
血と塩水と生ごみを腐らせた、地獄のような混合臭。酸鼻を極めた地獄の光景に、ファウストは口に手を当てながら声を震わせる。
「け、警視総監殿。賊たちに取り調べを! このままでは、死んでしまいます」
悲鳴にかき消されないように、声を張り上げた若き警視総監補佐は、末姫が惨劇を見せないように、彼女の小さい体を抱き寄せる。
「ファウスト殿、すいません。体、離してください」
苦しげな呟きに、ファウストは胸を締め付けられた。
彼女を怖がらせないようにした行為が、まさか彼女に恐怖を与えていたなんて、そんな考えも及ばなかった自分の未熟さが許せなかった。
あわてて身を離すと、丸メガネの奥で妖しく輝く紫の瞳があった。瓜実顔を赤らめて、ピンクの小さな唇から荒い息が漏れている。
熱に浮かされたような辛い表情には、甘い雰囲気が漂っていた。
「もっと離して……、このままじゃっ」
言葉とは裏腹に、ファウストの身体へ自らの身体を摺り寄せて、誘うように身をくねらせる姿は求愛のダンスのようだった。
尋常ではないティアの様子から、ファウストは原因に思い至った。
儀式の導入で、オルテュギアー王家の血筋は、一般市民よりも多種族の血が多く混ざっている。その中には、吸血鬼や夢魔といった【夜族】という食人と性を糧とする種族も含まれていた。
多種族とよく諍いを起こす問題のある種族であるが、夜族の魔力はハイエルフに匹敵する。いつか復活する魔王に備えるためとはいえ、王位継承の儀式で生き残った王たちは、交わることさえ禁忌とされる怪物とも、外宇宙の存在とも婚姻を結んだ。
それもすべてアステリアの意志のままに。
魔女の鎖は青いバラを蝕んで、黒い涙をつねに流させる。
「ごめんなさい、ごめんなさい。こんなの初めてで、まさか自分がなるなんて」
詫びるティアの表情は苦悶で歪んでいた。罪悪感と自身の身体を蝕む衝動に戸惑い、自身の倫理観と目覚めた本能が正面衝突する。
命の危険と濃厚な血の香り。発情したカーラにあてられて、ファウストやプルートスの体臭と汗に反応して、生まれて初めて生理的衝動を体験しているようだった。
「姫様、つかぬことお聞きしますが。衝動抑制剤は服用していますか?」
「【ホビット】と【夜族】用のを一日二錠です。朝のうちに飲みましたけど。薬の残りは燃えてしまいました」
ホビット族は好奇心旺盛で友好的な反面、ダークエルフを筆頭とした敵対種族に対して、殺意に近い嫌悪感を持っており、混血であろうとも生理的衝動として種族間の怨嗟は引き継がれる。
夜族の方は、万が一覚醒したとしても、衝動を抑えるための予防として処方されていたのだろう。
「そうなると、自分の抑制剤は代用できないみたいですね」
「ファウスト殿の血統は……?」
「今年は人類種が50、妖植族が15、魔樹族が15、鬼菌糸種が20でした」
悔しげに答えるファウストは、燃えて朽ちた車体の骨組みを見た。二列目のシートに置かれていた二つのトランクのうち、窓側の一つが真っ黒の消し炭状態になっている。これでは中身も無事ではないだろう。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
オルテは多種族からなる混血国家であり、毎年一度は血統鑑定が実施され、犯罪に手を染まないよう衝動抑制剤が処方されている。
ファウストの職業上、血に負け、本能に負け、欲望に負けて襲いかかってくる容疑者を無力化させるために、一通りの種族に対応できる抑制剤が支給されているのだが、医者でもない自分の独断で、ティアに服用させていいのか逡巡した。
抑制剤の量が多すぎた場合は、下手をしたら命を落とすからだ。
「姫様、血ですか? それとも、自分の身体が欲しいですか?」
このままではいけない。
覚悟を決めるしかないだろう。
「……りょう、ほ、う」
「分かりました。姫様の初めてを務めさせていただきます」
ファウストの言葉にティアは息をのんだ。
そして視界の端では、カーラがプルートスを押し倒しているのが見えた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
フロントガラスから火花が見えた瞬間、ティアは反射的にカーラの頭にかかっている純白のベールをはぎ取った。このベールは強力な衝動抑制装置であり、ゴルゴーン種の血を引くカーラの食人衝動を抑制するとともに、彼女の兄弟ともいえる頭の蛇たちは、ベールの力で普段は眠っている状態なのだ。
はぎ取ると同時に、ユニークスキル【月の女神の手】を発動させて、カーラの魔力リミッターを解除し、さらにカーラの蛇を操ってプルートスに接触させ、彼にも同様に魔力リミッターを解除させた。
疲労困憊のファウストは、リミッターを解除したら死んでしまう可能性もあり、戦力的に考えてもプルートスとカーラで十分。
これで賊への襲撃と、防火・鎮火の問題が解決できた。
……そう思っていた。
「っは、あはははは……」
狂ったように笑い賊たちを蹂躙するカーラ。淡々と海水をくみ上げて賊たちに拷問かけるプルートス。あまりの凄惨の光景にティアは呆然とするも、自分を守ろうと抱き寄せるファウストの存在に、彼の優しさに意識が現実へと追いついてきて……。
「……っ」
理性が赤い壁にぶつかり、意識が無意識から伸びる無数の黒い手に囚われる。
自分を守ろうと抱き寄せられる力。密着して感じるしなやかな筋肉に、胸を高鳴らせる男くさい汗の匂いに、全身の毛穴がぞわりと開く。
今まで知ることのなかった異性の肉体を意識し、命の危機という恐怖が、濃厚な血臭の嫌悪感が、人体が破壊される音が、悲鳴の合唱が、残虐な行為が、なにもかもが心地よく感じ始めている。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
『娘の血統鑑定はどうでしたか?』
記憶の彼方から父の声が響いた。宮廷魔導士である父は、前回の王位継承で起きたテロの主犯格を検挙した功績から、青バラを咲かせる栄誉を賜ることになった。
が、王族の血を引いているがティアには王位継承権がなく、父親と他の姉妹とともに、王宮の近くにある北の離宮で幼少を過ごした。
『はい。クラウディア様は人間の血が色濃く出ていますが、環境の変動により他の血が活性化する可能性があります。とりあえず、抑制剤を処方しますので様子をみましょう』
父にカルテを渡した主治医は、慣れた様子で父に説明するが、カルテを受け取った父の表情は優れない。
『人類種が50、ホビット25、夜族15、暗黒種が10……そうか、私は人類種の純血だから、想像することが難しいな』
人間には生理的衝動も飢餓感もない。
娘に流れる人間の血が、異種族の衝動と飢餓から救ってくれることを祈るしかできない。
『お父さま?』
『……ティア、すまない』
父があの時、なぜ娘に詫びていたのか、知った時にはもう後戻りが出来ない。退路はほぼ断たれて、手遅れの状態まで来てしまった。
「分かりました。姫様の初めてを務めさせていただきます」
ためらうことなく、ファウストが首を差し出してきた。スーツをはだけさせて、青白い月光に照らされた太い首。皮膚からうっすらと見える血管が、ティアの意識に揺さぶりをかけている。
体中の細胞が絶叫に近い産声を上げて、周囲に広がる濃厚な血の匂いに心地よいめまいを感じた。
空腹よりも激しい、根底から突き上げてくる強烈な飢餓感が、ティアの意識に語りかける。
――この男を喰らいつくせ。と。
【つづく】
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